スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&相違

2012-11-08 19:18:48 | 将棋
 個人的に待望のタイトル戦初顔合わせが実現。第20期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が8勝,矢内理絵子女流四段が3勝。
 振駒で里見倉敷藤花の先手。三間飛車を目指しましたが後手がいきなり角交換し,乱戦に。その中で後手に新手が出て,これはなかなかの構想だったようなのですが,その後の手順でその新手を生かす順を選べず,どうも先手が有利となったようです。
                         
 序盤といっていいかどうか分かりませんが,早い段階で△7三銀と上がったのが後手の新手。そしてその銀がようやく6四に上がったところ。ただここでは▲4六歩と突かれ,△6五銀の進出には▲8八角。続いて△3八飛と打ったところで▲4五歩と外され,△1八飛成▲同馬に△4五銀と手を戻したところで▲8二飛で攻め合いにされ,先手の勝ち筋に入っているようです。
                         
 後手の新手は実らずに里見倉敷藤花が先勝。第二局は23日に倉敷市で。

 実際にその箇所を提示する前に,さらに以下のことを確認しておきます。
 第二部定理一二の意味から第二部定理一二の新しい意味へと僕は転向したのですが,これは単に第二部定理一二の意味をどのように解釈するのかということが変化したというだけのことではありません。むしろ第二部定理一二の『エチカ』の内部での位置付けに変化があったということなのです。それは次のふたつの点です。
 第一はいうまでもなく,第二部定理九に原因の十全性という観点が導入され,この定理でいわれている個物の観念が,神の無限知性を形作るということを前提とした上で,第二部定理一二が解釈し直されているという点にあります。
 第二は,第二部定理九が第二部定理八系の意味のうち,個物の観念が現実的に存在する場合を意味しているという点に関係します。したがって第二部定理一二は,人間の精神が現実的に存在するという場合に関して言及されていると解釈されることになります。僕は第二部定理九系についてはこの点についてすでに説明しましたが,第二部定理一二については詳しく触れてきませんでした。ただ,第二部定理一二は第二部定理九系から直接的に帰結するという点では,僕は以前も現在も同様の見解です。よって第二部定理九系が現実的に存在する個物の観念に関して言及されているならば,第二部定理一二もまたそれと同じように理解されなければならないということ自体は当然で,この点に関してはこれ以上の説明は不要でしょう。
 したがって,その意味の理解において転向があったのは事実ですが,他面からいうならば,実は同じように第二部定理一二に関して考察しているのだとしても,実際には以前と現在とでは異なった定理について考察しているとみることも可能ではあります。この相違が原因となって各々の意味の相違を発生させているということになるからです。
 ここでは第二の点の方を重点的に分析します。つまり,第二部定理一二でスピノザが人間の精神とかあるいはその人間の精神を構成する観念の対象ideatum,すなわちこれはその人間の身体のことですが,それが現実的に存在する場合についての言及であるという点をまずは重視してみます。
コメント
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