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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

アドマイヤベガ&第三部定理五証明

2009-03-14 19:13:25 | 名馬
 昨年のマイルチャンピオンシップを勝ったブルーメンブラットの父はアドマイヤベガという活躍馬でした。
 デビューは2歳11月。新馬戦は1着で入線したものの走行妨害を取られ4着に降着。このためまだ未勝利戦に出られたのですが,12月初めの1勝馬クラスの特別戦に出走。記録上も初勝利を上げると,暮れには重賞にも出走し,これを制しました。
 当然ながら目指すはクラシック。まず弥生賞からキャンペーンを開始。2着とまずまずのスタートを切り皐月賞に。ここは1番人気に推されたのですが,おそらく体調面が整わなかったものと思われ,6着に敗退してしまいました。しかし続くダービーではゴール前で争う2頭を外から交わして優勝。見事に大レースを制覇しました。
 秋は当時は菊花賞のトライアルであった京都新聞杯から始動。ここで重賞3勝目を上げて菊花賞に向いましたが,距離だったか体調だったか,皐月賞と同じく6着に敗退。残念ながらこれが現役最後のレースになってしまいました。
 2005年の中山大障害を制して同年の最優秀障害馬に選出されたテイエムドラゴン,2006年の桜花賞を優勝したキストゥヘヴンはこの馬の産駒。早世してしまったのが残念な馬です。

 第三部定理五の証明は容易というか,もうすでにこの定理を引き出す説明の中でなされているということもできるかもしれません。ここでは背理法を用いて証明してみましょう。
 今,AとBがあって,AはBを,またBはAを滅ぼすことができると仮定します。すなわちAとBは相反する本性を有すると仮定するわけです。そしてこの上で,AとBとがXという同じ主体の中にあるとします。そこでこのことは,ある主体の中に,その主体を,あるいはその主体を構成する部分を滅ぼし得るようなものが,この主体自身のうちにあるということを直ちに意味することになります。したがって,このXは,Xそれ自身によって,あるいはX自身のうちにあるAないしはBによって,滅ぶということに,あるいは少なくとも滅び得るということが帰結します。したがってこの場合,知性は単にXに注目するだけで,いい換えればX以外の何ものにも注目することなく,Xの存在を除去し得るということになります。
 しかしこれを主張することは,第二部定義二に反するということになります。すなわちこの定義が意味しているところは,事物の本性というものはそのものの存在を定立するけれども排除はしないということなのであって,そのゆえに,知性は単にあるものに注目するだけではそのものの存在を除去するようないかなるものをも見出すことはできないということであるからです。
 したがって,もしも知性があるものの存在が排除される原因,あるいはあるものの実在性が低下するような原因を発見するとすれば,それはそのもの自身のうちではなく,そのものの外部に見出すことになります。よって相反する本性を有するようなものは,各々の主体の外部にのみあるのであって,同一の主体の中にはあることはできないのです。
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コランディア&第三部定理五

2009-03-13 19:37:07 | 血統
 昨年11月のエリザベス女王杯を勝ったのがリトルアマポーラで,その祖母がルイジアナピット。この母系を日本での祖先まで遡っていくと,1958年にフランスで産まれたコランディアという馬に行き着きます。ファミリーナンバー9-e
           
 輸入は鎌田牧場で,この鎌田牧場と鎌田正嗣氏の名義で枝葉を広げていきました。コランディア直仔のベルワイドが天皇賞に勝ったのが1972年。リトルアマポーラはこの一族ではそれ以来の36年ぶりとなる大レース2頭目の勝ち馬でした。ただしルイジアナピットやその弟になるダイカツリュウセイ,ルイジアナピットの従妹になるマジックキスやこのマジックキスの姪にあたるアズマサンダースなど,重賞の勝ち馬は多く出ていました。こうしてみると牝馬の活躍馬が多いという印象で,これもこの一族が繁栄してきた要因のひとつといえそうです。リトルアマポーラも牝馬ですから,この馬を通じてさらに後世に子孫が広がっていくことになりそうです。
 ところで,リトルアマポーラ自身は社台グループの白老ファーム生産。母のリトルハーモニーまでは鎌田正嗣氏の生産で,生産者が社台グループに変わって大レースを勝つ馬が生産されたのは,少しばかり皮肉めいたものを感じないでもありません。ただ,白老ファームはこの一族を多く導入していますので,この一族の今後の繁栄の一翼を担っていくことだけは間違いありません。

 第三部定理六において,事物の自己保存の法則というものが一般的に言及されているということに対比していうならば,第三部定理七というのは,事物,とくに個物が現実的に存在するといわれるような仕方で存在する場合に,この個物が自己の有に固執する傾向ないし欲求というのが,この個物の本性に属するということが示されているといえるのではないかと思います。なお,現在の論考とはほとんど関係ありませんからここでは詳しい説明は省略しますが,この個物が現実的に存在するといわれるようなあり方と,そうでないあり方との相違については,第二部定理八系でスピノザが言及していますので,該当部分を読んでください。ただ,実際にある人間が病気に罹るということは,現実的に存在する個物としてのある人間が罹患するという意味においてのみ現実的には有意味であるといえるでしょうから,そうでないあり方については,ここでは詳しく考える必要はないかと思います。
 このことから,スピノザの哲学においてコナトゥスconatusといわれるものは,単にすべての個物に備わった傾向というだけでなく,すべての個物の本性に属するものであるということが理解できます。ところで第二部定義二は,事物の本性というのはこの事物そのものの存在と一対一で対応し合うことになっていますから,この本性に反するものはこの事物のうちにはあり得ないということが帰結します。このことを示しているのが第三部定理五であるといえるでしょう。
 「物は一が他を滅ぼしうる限りにおいて相反する本性を有する。言いかえればそうした物は同じ主体の中に在ることができない」。
 意味は難しくありません。もしもAがBを滅ぼし得るならば,このAとBは同一の主体の中にあることができない,いい換えれば共同してあるものの共通の本性を構成することはできないということです。
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王将戦&第三部定理六

2009-03-12 19:42:46 | 将棋
 深浦康市王位が二冠に輝くのか,羽生善治王将が最終局に持ち込むのか。昨日から指されていた第58期王将戦七番勝負第六局が決着しました。
 羽生王将の先手で深浦王位の4手目△3三角戦法。後手が四間飛車から中飛車に戻すという指し方。この手損を咎めようと先手が果敢に仕掛けました。後手が先に先手玉近くの香車を取って馬を作り,その馬を引き付けて1日目が終了しました。
           
 よってこの第1図が封じ手の局面で,▲4四同飛。もちろんこれは分かっていて馬を引いたのでしょうが,これでは引いた手の価値はかなり低かったように思います。以下△同歩▲3三歩成△同金と駒損を解消された後,▲1六角に△3四香と受けなければならないのも辛い感じ。さらに次の▲2二歩が軽妙な一着であったようです。
           
 後手はここで△2八飛から攻め合いに活路を見出そうとしましたが,▲2一歩成以下このと金が大活躍して先手が駒得を重ね,最後は受けに回って受け切り勝ち。先手の快勝というか圧勝ということばが相応しい一局だったように思います。感想戦にもありますが,第1図の時点で後手はもう失敗しているようです。
 どうもこのシリーズはこのように一方的な内容になることが多いのですが,それでもスコアはちゃんと3勝3敗になるのがこの両者のタイトル戦の面白いところ。最終第七局は25日と26日に指されます。

 自己保存の法則を『エチカ』のうちで示している定理のうち,第三部定理六の方はまだこのブログでは取り上げたことがありませんでしたので,簡単にではありますが,今後のためにもここで紹介しておくことにします。
 「おのおのの物は自己の及ぶかぎり自己の有に固執するように努める」。
 ここでいう努めるというのは,努力するというような意味で理解するとたぶんおかしなことになって,むしろ本性のうちにそうした傾向を有するという程度に理解した方がよいだろうと思います。努力するということのうちにはどこかそれを志向するような意志が介在するように受け取れるのですが,スピノザはそういうことに関してはむしろ明確に否定するでしょう。ここには意志ということばで表されるよりは,欲望とか欲求ということばのニュアンスで示されるものの方がより多く含まれてるといえると思います。実際に各々のものが自己の有に固執することを欲求するということを,スピノザは認めるであろうと思います。なぜなら,あるものがある傾向を有するということと,あるものがそれを欲求するということとの間には,あるものを対象化して説明しているのか,主体として説明しているのかという相違だけがあるように思えるからです。
 これがなぜ自己保存の法則になるのかということに関しては,とくに説明の要はないものと思います。というか,このように説明されることについて僕はそれを自己保存の法則ということばで示そうとしているというように理解してください。
 なお,これは定理ですから本来ならば証明することが必要なのですが,このこと自体は今回の闘病記そのものと密接に関係しているというわけではありませんから省略することにします。
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ダイオライト記念&自己保存

2009-03-11 19:12:42 | 地方競馬
 今日は船橋競馬場で第54回ダイオライト記念がありました。
 マイネルアワグラスは出遅れ。外からフリオーソが楽に先手を奪うとマイペースに。最初の1000メートルは63秒5という超スローペース。これはもうこの時点で勝負あり。ロールオブザダイスが2番手を追走していたのですが,最後の直線に入るとフリオーソは大して追われることもなく差を広げ,騎手が後ろを振り返るほどの余裕。上がりもメンバー中の最高タイムで4馬身の差をつける楽勝でした。スローペースに乗じて早めに押し上げることができたマイネルアワグラスが2着。ロールオブダイスが3着。
 優勝したフリオーソは昨年6月の帝王賞以来の勝利で通算7勝目。うち重賞5勝。ダイオライト記念は昨年も制していますので連覇。ここは能力通りに走れば負けることは考えられない相手関係でしたので,順当な勝利といえるでしょう。
 鞍上は大井の戸崎圭太騎手。今年は1月の船橋記念を勝っています。このレースは昨年に続く2勝目。管理するのは船橋の川島正行調教師。2年連続3度目のダイオライト記念制覇です。

 スピノザの哲学の射程は,自然のうちに実在するもの,あるいは実在し得るもののすべてにわたるわけですから,こうした論理の基準というものは,実際にはとくに病気について考えるときだけではなく,どんな事柄について考える場合にもその最大原則になるといえます。いい換えれば,このことはとくに病気について考えるという場合にのみ適用されるというものではありません。よって,こうした論理だけに頼ることによってある具体的な病気について考えるということ,あるいはそうでなくて病気一般について考えるという場合でも,射程となっている幅があまりに広すぎるがゆえに少し困難が残るということはいえるかもしれません。
 そこでもしも病気一般についてスピノザの哲学に従って考えようという場合に,その中で何が最も鍵となる事柄であるかといえば,僕はそれはスピノザの哲学における事物の自己保存の法則とでもいえるような一般規則ではないかと思います。これは『エチカ』でいうなら第三部定理六と第三部定理七で表されているといえるでしょう。
 第三部定理七で努力と訳されているのがラテン語でconatusということば。これはこのままコナトゥスといわれることもある,スピノザの哲学における非常に重要な概念のひとつです。そしてこの概念は,たとえば現実的に存在するある人間が病気に罹るということを,どのような事柄として説明するべきであるのかということを説明するでしょう。そしてそのあり方を,僕は自己保存の法則といっているのです。
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日本選手権競輪&論理の基準

2009-03-10 19:08:36 | 競輪
 今年から開催時期が少しばかり早まった日本選手権競輪。今年は岸和田競輪場が舞台となり,一昨日が決勝でした。
 並びですが,武田ー兵藤の関東,海老根ー鈴木ー渡辺の南関東,村上ー加藤ー山口ー山内の近畿中部という変則3分戦。北日本勢が皆無のビッグの決勝はいつ以来だったのでしょうか。
 Sは内枠3車で取り合いになりましたが,渡辺選手が取って南関東の前受け。中団には村上選手が入って,後方に武田選手。2車の武田選手が上昇していくと海老根選手は引き,これを村上選手が抑えて前後が入れ替わり,一列棒状のまま残り1周から村上選手の先行となりました。後ろになった海老根選手の捲りに合わせるようにバックから武田選手も発進。直線に入り,番手から出た加藤選手と捲った武田選手のきわどい争いとなりましたが,写真判定の結果は僅かに届いていた武田選手の優勝で加藤選手が2着。加藤選手と武田選手の間を割った兵藤選手を大外から捕えた海老根選手が3着でした。
 優勝した茨城の武田豊樹選手は昨年11月,最後のふるさとダービーに続く2度目のビッグ制覇ですが,GⅠは初めて。もっと早く獲ってしかるべき選手であったと思いますので,個人的にはようやくという感じもします。スケートでオリンピックにも出場するなど,名をなしてからの競輪転向でしたから年齢的にはもう若いとはいえませんが,もうしばらくは自力で頑張り,GⅠ2勝目,3勝目と目指していってほしいと思います。

 スピノザの哲学の射程の中で病気について考えていくという場合に,その論理的基準の最も核となる部分はどこでしょうか。それは,実はスピノザが第三部の序言で人間の感情を幾何学的方法で論述することの正当性を説明している部分にヒントがあるように思います。すなわちそこでは,人間の感情というものが自然を超越するようなものではないということ,そして自然の力と法則はいたるところで同一であるということが示されていました。病気の場合も感情と同じことがいえるわけです。そしてもちろんこれは,病気に限らず,自然のうちに生じること,生じ得ることに関してはすべて同じです。
 したがって,最大原則となるのは以下の二本柱であるといえるでしょう。すなわち,第一に,この全自然を超越し得るようないかなるものも存在し得ないということ,いい換えれば,自然というのは徹底して内在的なものであり,超越的要素を含まないということです。『エチカ』の中でこれを示しているのは第一部公理一であるということになります。これはその意味からして明らかだといえるでしょう。
 第二が,自然の力,自然の法則というのがいたるところで同一であるということです。こちらについては同様に『エチカ』の中においてひとつの部分で示すなら,第一部公理三になるでしょう。すなわち,原因があればそこから必然的に,否応なしに結果が生じるということ,そして何事かが結果として生じるためにはそれに見合うだけの原因がなければならないということ,これらふたつの因果論的原則,すなわち因果論における強い意味と弱い意味は自然のうちのいたるところで同一であるというわけです。よってある人間が何らかの感情を抱き,またときにそれに苛まれることも,そしてある人間が病に侵され,回復することもあるいは場合によっては生命を奪われることも,すべて同様にある因果論的必然性によって説明されるというわけです。
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マイナビ女子オープン&哲学的意義

2009-03-09 19:43:09 | 将棋
 矢内理絵子女王への挑戦者を決めるマイナビ女子オープン挑戦者決定戦は,中村真梨花女流二段に岩根忍女流初段という新鮮な顔合わせとなり,今日,指されました。対戦成績は1勝1敗。
 振駒ですが,棋譜コメントに歩が3枚出て中村二段の先手とありますので,中村二段の振り歩先,つまり上座だったようです。段位からすればそうなのかもしれませんが,個人的にはやや意外に思えました。
 戦型が相振飛車になることは先後に関係なく予想できたところ。向飛車の先手に対して三間飛車の後手が積極的な指し方をして第1図。
           
 ここで▲3七歩は傷を消しにいく手筋ですが,△1五歩▲同歩△同香の仕掛けに▲1六歩と打ったのは疑問手だったと思います,端を破られるような形になり,後手にリードを許しました。さらにこの後,後手は角も切って飛車を捌きました。
 以下,先手の反撃に対してやや受け誤ったと思われるところがあり,怪しいムードにはなったのですが,逆転には至らなかったようです。最後はおそらく先手に見落としが出て,そのまま後手の勝ちとなりました。
 ということで岩根初段が挑戦権を獲得。同時に規定により女流二段への昇段も決めています。タイトル戦は五番勝負。第一局は来月17日です。

 スピノザの哲学の射程というものがどこまで届くのかということを考えてみますと,それは結局,自然のうちに存在するもの,あるいは存在し得るものすべてにわたるということになると僕は思っています。なお,スピノザは自然ということで,単に形相的なものだけを意味している場合もありますが,僕はここでは客観的なもの,すなわち思惟の属性に含まれるものまで含めて,それらすべてを自然といっています。
 第三部の序言においてスピノザは,自分が人間の感情についても幾何学的方法で取り扱おうとする理由について,自然は常に同一であり,また自然の力あるいは法則というのもどこにおいても同一であるからだという主旨の説明をしています。つまり人間の感情というものも自然のうちに生じているものであって,自然を超越するようなものではないのだから,これを幾何学的方法により論理的に解明することができるというわけです。
 これでみれば,僕の病気もまた,自然のうちに生じているものであり,何らこれを超越するようなものではないのですから,少なくともスピノザの哲学の射程の範囲の中には入っているということができるでしょう。実際にそのような観点からこの闘病記を記していくことにはなりませんが,この闘病記にスピノザ哲学との関連でその哲学的意義を見出そうとするなら,その最大のもの,あるいはこのことばはあまり好きではありませんが,その原理的なものはこの点にあるといえると思います。実際に僕は何か物事を考えていくという場合には,スピノザの哲学が指し示すような路線から外れるということは,少なくとも僕の自覚的な観点からはありません。したがって,闘病記といえども,何事かを考えるという場合にはスピノザの哲学に立ち返ることになりますから,そのときには,『エチカ』の定理などを引用する場合も出てくるだろうと思います。
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棋王戦&闘病記

2009-03-08 20:23:22 | 将棋
 久保利明八段が一気に初タイトルを奪取するのか,佐藤康光棋王がひとつ踏みとどまるのか,第34期棋王戦五番勝負第三局が指されました。
 先手は佐藤棋王。久保八段はごきげん中飛車。3A②△6二玉の形から,先手があまり多くない形に飛び込み,先手の重い攻めが間に合うかどうかという将棋となり第1図。
           
 今日はこのあたりからの観戦。ここから▲2八龍と引き,△4四角に▲3二と上。以下ばたばたとわりと早く第2図まで進みました。
           
 実はここでえらく先手がよくなったのではないかと思ったのですが,次の△3三角がいい手で,先手がいいにしてもまだ難しいと分かりました。先手は金を取って▲4三金。そこで後手は△5六歩と突き出しました。
           
 検討していてここは▲同歩を予想。実戦の▲3三金は最も危ないのではないかと考えていたのですが,93手目の▲5八香と,第4図の▲4三角がうまい手であったようで,どうも先手が残していたようです。
           
 この後,後手にやや誤算があったように思うのですが,最後は攻め合いの形に持ち込んだ先手がきれいに1手勝ちを収めています。
 佐藤棋王が1勝を返したものの1勝2敗。星の上ではまだ苦しいですが,3局とも中盤では優位に立っていますので,防衛の可能性も星勘定よりは大きいかもしれません。次の第四局は18日。関西将棋会館ですので,いわばホームの久保八段としてはそこで決めたいところだろうと思います。

 これまでは『エチカ』の中からある定義や公理,ないしは定理や備考の一文を選び,それをテーマにして考察してきました。また,前回の表象論やかつての責任論など,テーマの選び方はやや恣意的であると思われるような場合もあったことは確かですが,いずれにしても考察する内容は選択されたものの周辺にあったのであり,したがって直接的な意味で『エチカ』に関係していたといえるでしょう。僕自身,このブログを始めた意図がそうしたものなのですから,それは当然といえば当然です。しかし今日からしばらくの間は,そういう意味では『エチカ』に直接的に関係するような内容ではなくなります。僕の病気のことを中心に書いていくことになるからです。したがって今回は,『エチカ』に関係するようなテーマの設定というのもありません。
 題名は闘病記としてみました。ただ,僕が病気と闘ったといるのかどうか,あるいは闘っているといってもいいのかどうか,正直なところ僕には分かりません。ただほかに適当な題名がどうしても思いつきませんでしたので,こうしたまでのことです。なるべくありのままに,詳しく書いていくつもりですので,そのあたりのことはむしろお読みいただく皆さんに判断していただければいいかと思います。
 ただ,病気をした僕という人間は,このブログを書いてきて,また現在も書きつつある僕という人間と同じです。すなわちごく単純にいえば,スピノザ主義者たらんとする者です。よっていかに闘病記を書くとなっても,完全にその部分から離れることはできないでしょう。したがって,普通の闘病記らしいものとは,少し違ったものになるかもしれないということは最初にお断りしておきます。そこでまずは病気の話そのものではなく,スピノザの哲学との関連を少しお話しておきます。
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今後の方針

2009-03-07 19:12:07 | Weblog
 病気のこともありまして,今後は少しブログのやり方を変えていこうかと思っています。ちょうどテーマの考察のまとめが終ってきりのいいところでもありますので,新しい本論は明日からということにし,今日は今後の方針についてお話しておくことにします。

 簡単にいえば,スタイルで説明していることに若干の変更を加えていくということです。したがってそれに沿って説明していくことにしましょう。

 まず上段と下段との関係ですが,これについては変更はありません。

 続いて各カテゴリー。
 哲学については変更点はありません。
 中央競馬については,扱うレースには変更点はありません。ただし,レース前日の簡単な予想というのは今後はしません。回顧記事のみになるということです。
 地方競馬も記事として取り上げるレースはこれまでと同じです。ただしこちらも今後は回顧記事のみで,前日の予想はしません。
 海外競馬については,日本調教馬が出走する海外のグレードレースの回顧記事のみになります。したがって展望の記事は今後はなくなりますし,レース前日の簡単な紹介というのもしません。
 これ以外の競馬関係の記事,すなわち名馬,血統,競馬トピックに関しては,不定期のものですので変更点はありません。なお,2011年をもって競馬トピックのカテゴリーは廃止しました。それ以前のこのカテゴリーの記事は,中央競馬,地方競馬,海外競馬のいずれかに分散させました。
 将棋に関しても,記事にする将棋の基準はこれまでと同じです。ただしこれも前日の紹介や,2日制の将棋の1日目終了時点での紹介はなくなります。
 将棋トピックおよびポカと妙手は不定期掲載ですので変更点はありません。
 競輪についてですが,これはグレードレースの決勝の回顧記事のみになり,その他のレースに関しては扱いません。また,前日の展望,グレードレース開催の紹介もなくなります。ただし競輪の場合,並びは回顧にどうしても必要ですので,これは回顧記事の中に挿入されることになります。また,表彰選手の紹介は年に1度ですので扱います。
 NOAHの記事は断腸の思いもありますが,今後は一切の投稿がなくなるものと考えてください。今までの記事がありますので,カテゴリー自体は残しておきます。
 歌・小説とWeblogに関しては変更点はありません。

 更新の頻度ですが,これまでは原則的に毎日となっていましたが,今後は予告なくお休みすることがあるかと思います。ただし,中央競馬,地方競馬,海外競馬,将棋,競輪の各カテゴリー記事に関しては,現状と同じように更新されるとお考え頂いて構いません。

 ブックマークからブログを外し,僕が高い頻度で利用している個人運営のサイトのみにしました。僕がチェックしているブログに関してはいくつか紹介していますし,また今後も機会があれば記事として紹介していくことになるでしょう。
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ジュベルハッタ&第二部定理一七まとめ⑧

2009-03-06 19:09:16 | 海外競馬
 昨年のJRA賞年度代表馬に輝いたウオッカは,現地時間28日のドバイデューティフリーを最終目標に早めにドバイに渡り,前哨戦として現地時間5日,日本時間で6日未明のジュベルハッタGⅡに出走しました。
 7番という中央の枠でしたが,これ以上はないと思えるくらいの好発を決め,行きたい馬を行かせてその直後のインにもぐりこみました。道中は掛かることもある馬ですが,それほどでもなかったのではないかと思います。
 そのままの位置取りで直線に。手応えがすごくよく見えましたので,そのまま突き抜けられるのではないかと思ったのですが,前も思ったほど止まらず,また十分に間隔も開かなかったようです。前にいた2頭,外から来た2頭とウオッカはほとんど一塊でゴールしましたが,ウオッカ自身はその中では最下位の5着でした。結果的には脚を使ったという感じはなく,ただ流れ込んだというだけで,レースとしてみればかなり消化不良という印象でした。
 しかしこれはあくまでも前哨戦。思うようなレースができずにこのくらいの結果を残せるならば,本番での巻き返しは十分に可能ではないかと思いますので,それに期待します。少なくとも力を十分に力を発揮したと納得できるようなレースはしてほしいところです。
 なおドバイではバランシーンの後,準重賞のUAEオークスがあり,ここに出走したアースリヴィングは再び2着。ブラックエンブレムとアースリヴィングの2頭はそれで遠征を終え,帰国しています。

 こうした表象の相違というのは,『エチカ』では第二部定理一七の直前にあたる第二部定理一六系二のうちに,すでに示されていると考えることができるかもしれません。そしてこの証明が,少なくとも部分的に自然学に依拠しているのです。つまりここには,ひとりの人間の平行論的関係における,身体的側面について言及されていることは間違いないのです。
 これは本論の方では触れなかったのですが,実は表象像というものが厳密に考えるならばこの考察に示したように異なるものであるということは,たとえば人間の感情というものはそれが同じ名前で説明されようと,対象が異なれば厳密には異なっていると考えるべきであるということを示した第三部定理五六とか,事物というのは一般的に概念されるほどかえって混乱していて,特殊的に概念されるほど明瞭であるということを示した『知性改善論』(五五)の特殊性と一般性の考え方などと大いに関係していると僕は考えています。なぜなら,この考え方に従う限り,表象像は表象像一般として概念されるよりはあの表象像あるいはこの表象像と概念される方がより明瞭であり,さらに同じあの表象像でも,Aの精神のうちのあの表象像とかBの精神のうちのあの表象像というように概念されるならさらに明瞭になり,そして同じAの精神のうちのあの表象像でも,あのときのあの表象像とかこのときのあの表象像というように概念されるなら,さらに明瞭であるということになるからです。いい換えればこれは,あのときのあの表象像と,このときのあの表象像との間にすら,厳密には何らかの相違があると考えるべきであるということを帰結させると思います。したがって,平行論的に考えるならば,あのときの身体のうちに生じた運動と,このときの身体のうちに生じた運動との間には,厳密には何らかの不一致があると考えるべきなのかもしれません。
 今回の考察はまとめもこれで終了とします。
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女流名人位戦&第二部定理一七まとめ⑦

2009-03-05 20:31:46 | 将棋
 タイトルの行方が決定する第35期女流名人位戦五番勝負第五局が指されました。
 第五局なので再び振駒で矢内理絵子女流名人の先手。▲7六歩△3四歩▲6六歩から,清水市代女流王将得意の右四間飛車。女流名人位奪取のためにと敢然と仕掛け第1図になりました。
           
 厳密にいうと先手がうまく受けていて,ここは▲4五角△同桂▲6六銀で後手が困っていたようです。しかし単に▲6六銀としたため,4五の銀が5六に進出することになり,後手が優位に立ちました。先手はその銀を追い返すために香損となり第2図に。ここが僕が観戦を始めた局面です。
           
 △6五同金と取る手ばかりを検討し,難しいのかなと思っていたら実戦は△6三歩。検討し直してなるほどこれで後手がいいかと思いました。しかしここから▲4六歩と突き,△2九馬▲4五歩△4六桂にも構わず▲4四歩と突き,△同歩には▲6一銀とこちらから打ち,△5一飛に▲4二歩と打ったののはなかなかの勝負順だったのではないかと思います。
           
 実戦はここから△5八桂成▲同玉△5六歩▲同銀△6一飛▲4一歩成△7一飛▲4二金△2一玉▲6五歩△5四金で第4図。
           
 手順からいえばここで▲4六桂なのですが,あとで▲3四桂と跳ねたとき,それが王手でないと△2五角の王手桂取りで抜かれる筋があるため打ち切れなかったようです。しかし実戦の手順は切れ模様で,最後は大差になってしまいました。
 第3図から第4図に至る手順で,▲5八同玉に替えて▲同飛ならこの筋はありません。また▲5六同銀のところですぐに▲4一歩成としてしまう手もありそうですし,▲4二金では▲4三歩もあったようです。残念ながら僕の力ではどちらの勝ちか判然としませんが,あるいは先手にもチャンスがあったのかもしれません。
 大一番は清水女流王将が制して女流名人に復位。矢内前名人は女王の一冠に後退となりました。

 こうした明らかに不可能であるといえるような想像というものが,いかにして人間の精神のうちに生じてくるのかということについても,その具体的説明を与えました。その例としてはかつての考察との関連からふたつを選びました。最初がペガサスの場合です。
 ところで,この例を検討することによって,僕たちはことばを用いるときに,それが観念とは異なるということに十分に注意しなければならないのですが,もしもそれに留意しているならば,ことばのメリットというものも少なからずあるということが分かりました。人間がこのように不可能であるものを想像することができるのは,その大部分をことばに依拠しているからなのですが,こうした想像は,それが単に虚偽にとどまり誤謬にまで至らないのであれば,人間の精神の力であるとみなすことができるからです。
 もうひとつの例はもう少し複雑で,こりん星の場合です。しかしこの例は,複雑であるからこそ,人間の精神による事物の想像,ひいては知覚や想起まで含めた表象一般のある特徴を示すのではないかと僕は考えます。
 こうした表象像の複雑性というのは,第一義的には,それをことばで表すことがより難解であるということを示しているといえるでしょう。そしてこの表象像の複雑性が,今度は各個人の精神における表象の相違を生み出すのではないかと僕は考えるのです。すなわち,ある表象像が複雑であればあるほど,それは各人によって異なって表象される度合が高くなるのではないかということです。
 ところで,こうした相違がなぜ発生するのかということについては,『エチカ』に依拠する限り,ふたつの仕方でこれを求めることができるでしょう。第一に,第二部定理一八に示されている複数のものに同時に身体を刺激されるあり方の相違としてであり,第二に,そもそも第二部定理一七自体が,表象像が完全に一致するためには,不可能とはいわないまでもかなり困難に思われるような条件を設定していると考えられる点です。これらふたつの点は,どちらがどちらというのではなく,双方が矛盾なく表象像の相違の原因になり得ると僕は考えています。
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東京シティ盃&第二部定理一七まとめ⑥

2009-03-04 19:19:48 | 地方競馬
 南関東重賞として行われるのはこれで最後と決まっている東京シティ盃
 好発はトップサバトンでしたが,内からフジノウウェーブ,ディープサマーも飛び出し,向正面は雁行状態。以下,マルカジーク,ディアヤマトといったところも差なく続いて前半の600メートルは34秒9のハイペース。
 3コーナーのあたりで外からトップサバトンが首をのぞかせ先頭に。しかし内からフジノウェーブもほとんど馬体を併せたまま,2頭が並んで直線に入ると,その後ろは離れ出してマッチレースに。直線の中ほどでフジノウェーブが一旦は突き放し,ゴール近くになって再び差を詰められましたが,凌いで優勝。トップサバトンが2着。3着は3頭の競り合いになり,真中に入った伏兵のプリュネルが食い込みました。
 優勝したフジノウェーブは昨年10月の東京盃以来の勝利。レースの表記に忠実にいくなら,南関東重賞は3勝目で,ほかに重賞2勝。このレースは一昨年も制していて2勝目。メンバー的にいえば最上位の能力と思われますので,順当な勝利といっていいでしょう。
 鞍上は大井の御神本訓史騎手で新年のオールスターカップ以来となる今年の南関東重賞2勝目。このレースは2006年と2007年に連覇していて3勝目。管理するのは大井の高橋三郎調教師で,こちらは2002年と2003年,2006年と2007年に制覇していてこのレース実に5勝目となります。

 これにより,人間の精神が何らかの事柄を想像し得るということに関しては,スピノザによる表象の説明と矛盾せず,これを示すことができました。しかし,現実的に人間がある物事を想像するということを考える場合には,想像という表象はかなり多岐にわたるがために,人間はある事柄についてはそれが不可能であるということを知りつつそれを想像する場合があるという反論や,そもそもそんなことをいう以前の問題として,人間は絶対に知覚することが不可能であるもの,すなわち現実的には存在しないもの,あるいは存在し得ないものをも想像することすらあるという別の反論を許す余地がまだあります。確かにここまでの説明だけでは,そうしたことが可能になるということは十分に示されているとはいえませんでした。
 これを示すために,まずある事柄が必然であるということが人間の精神のうちにある場合,それは真の観念としてあるということを前提します。この上で必然と想像との関係について考察すれば,この観念が原因となって人間が事物を想像するということはあり得ないということが帰結します。そしてこれが重要ですが,このことは単に想像という表象について妥当というだけではなくて,一般に真理と表象との関係にも該当するのです。そこでこのことから今度は不可能の場合について考えるならば,スピノザの哲学にあっては不可能ということは必然の対義語として用いられるわけですから,それについての考察と同様のこと,すなわち,人間の精神のうちにある事柄が不可能であると認識されるとき,それが真の観念である限りでは,この観念を原因として一切の想像は生じ得ないということが理解できます。いい換えれば,人間の精神のうちにある想像が表象像として生じるとき,あるいはもっと一般的に知覚と想起も含めて表象像が生じるとき,この想像の原因あるいは表象像の原因となる観念は真の観念ないしは十全な観念ではなく,誤った観念あるいは混乱した観念であるということになります。
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更新記録 3月3日現在

2009-03-03 09:03:47 | Weblog
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 3月2日 2月27日分を更新しました。
 3月3日 2月28日分を更新しました。

 3月1日~3月3日はお休みします。よって3月4日付の記事から,投稿日時と現実の日時が一致します。したがいましこの更新記録は今日付けが最後です。当初は削除の予定でしたが,コメントがつきましたので,記事として残しておくことにします。
コメント (2)
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