昨年までは4月に行われていたのですが,今年からは大井の最初の夜の開催に移設されたのがマイルグランプリで,26日の晩に争われました。
少しもたついた印象も残りますが,最内からアジュディミツオーの逃げ。マンオブパーサーがマークするように2番手で,ギャンブルオンミー,ロイヤルボスと続きました。前半の800メートルは48秒6。これはミドルペースに近いハイペース。
逃げ足快調のアジュディミツオーに対し,マンオブパーサーはついていけなくなり,直線入口ではロイヤルボスが2番手に。アジュディミツオーにはまだ余裕があるように見えたのですが,思ったほど伸びず,最後は差したロイヤルボスの優勝。アジュディミツオーが2着で,3着は中団から伸びてきたクレイアートビュン。
優勝したロイヤルボスは2006年のハイセイコー記念の勝ち馬。そこまでは5連勝だったものの,ここはそれ以来となる久々の勝利で南関東重賞2勝目。やや低迷していたといえますが,今年の正月に9ヶ月の休み明けのレースを2着すると,前走も2着と復調の気配を漂わせてはいました。重賞では苦しそうですが,南関東重賞ではまた無視できない存在になってきたといえそうです。
鞍上は船橋の張田京騎手。2月にグランプリカップを勝っていますので今年の南関東重賞2勝目。このレースは2004年以来の4勝目。管理するのは大井の三坂盛雄調教師で,こちらはマイルグランプリ初制覇となっています。
それではスピノザの哲学における病気論の考察の最後に,やや順番が後手に回ってしまったという感もありますが,一切の超越論的なものを否定し,内在の哲学を高らかに宣言しているといえる第一部定理一八をみておくことにします。
「神はあらゆるものの内在的原因であって超越的原因ではない」。
この定理はふたつの観点から証明されなければなりません。まず,第一部定理一六が示すように,神の本性の法則からは,無限に多くのものが必然的に生じます。そしてそれら無限に多くのものは,第一部定理一五により,神のうちに生じます。したがってこれら無限に多くのものに対しては,神は内在的原因であって,超越的原因ではないことになります。結果をそのうちに産出する原因を内在的原因というのだからです。これが第一の点です。
次に,第一部定理一四により,神以外には実体は存在しません。いい換えれば第一部定義三により,それ自身によって考えられるもの,つまり神の外部にあることができるようなものは存在しません。したがって,当然のことながらそうしたものから何かが産出されるということもありません。よってすべてのもの,すべての個物は神のうちにあることになりますから,神はあらゆるものの原因であることになります。これが第二の点です。
つまり,第二の点により,神がすべてのものの原因であるということについては疑い得ず,しかし第一の点により,この場合には神はそうしたものの内在的原因なのであって,超越的原因ではありません。よって神はすべての個物の内在的原因であるということになります。
少しもたついた印象も残りますが,最内からアジュディミツオーの逃げ。マンオブパーサーがマークするように2番手で,ギャンブルオンミー,ロイヤルボスと続きました。前半の800メートルは48秒6。これはミドルペースに近いハイペース。
逃げ足快調のアジュディミツオーに対し,マンオブパーサーはついていけなくなり,直線入口ではロイヤルボスが2番手に。アジュディミツオーにはまだ余裕があるように見えたのですが,思ったほど伸びず,最後は差したロイヤルボスの優勝。アジュディミツオーが2着で,3着は中団から伸びてきたクレイアートビュン。
優勝したロイヤルボスは2006年のハイセイコー記念の勝ち馬。そこまでは5連勝だったものの,ここはそれ以来となる久々の勝利で南関東重賞2勝目。やや低迷していたといえますが,今年の正月に9ヶ月の休み明けのレースを2着すると,前走も2着と復調の気配を漂わせてはいました。重賞では苦しそうですが,南関東重賞ではまた無視できない存在になってきたといえそうです。
鞍上は船橋の張田京騎手。2月にグランプリカップを勝っていますので今年の南関東重賞2勝目。このレースは2004年以来の4勝目。管理するのは大井の三坂盛雄調教師で,こちらはマイルグランプリ初制覇となっています。
それではスピノザの哲学における病気論の考察の最後に,やや順番が後手に回ってしまったという感もありますが,一切の超越論的なものを否定し,内在の哲学を高らかに宣言しているといえる第一部定理一八をみておくことにします。
「神はあらゆるものの内在的原因であって超越的原因ではない」。
この定理はふたつの観点から証明されなければなりません。まず,第一部定理一六が示すように,神の本性の法則からは,無限に多くのものが必然的に生じます。そしてそれら無限に多くのものは,第一部定理一五により,神のうちに生じます。したがってこれら無限に多くのものに対しては,神は内在的原因であって,超越的原因ではないことになります。結果をそのうちに産出する原因を内在的原因というのだからです。これが第一の点です。
次に,第一部定理一四により,神以外には実体は存在しません。いい換えれば第一部定義三により,それ自身によって考えられるもの,つまり神の外部にあることができるようなものは存在しません。したがって,当然のことながらそうしたものから何かが産出されるということもありません。よってすべてのもの,すべての個物は神のうちにあることになりますから,神はあらゆるものの原因であることになります。これが第二の点です。
つまり,第二の点により,神がすべてのものの原因であるということについては疑い得ず,しかし第一の点により,この場合には神はそうしたものの内在的原因なのであって,超越的原因ではありません。よって神はすべての個物の内在的原因であるということになります。