スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ジュベルハッタ&第二部定理一七まとめ⑧

2009-03-06 19:09:16 | 海外競馬
 昨年のJRA賞年度代表馬に輝いたウオッカは,現地時間28日のドバイデューティフリーを最終目標に早めにドバイに渡り,前哨戦として現地時間5日,日本時間で6日未明のジュベルハッタGⅡに出走しました。
 7番という中央の枠でしたが,これ以上はないと思えるくらいの好発を決め,行きたい馬を行かせてその直後のインにもぐりこみました。道中は掛かることもある馬ですが,それほどでもなかったのではないかと思います。
 そのままの位置取りで直線に。手応えがすごくよく見えましたので,そのまま突き抜けられるのではないかと思ったのですが,前も思ったほど止まらず,また十分に間隔も開かなかったようです。前にいた2頭,外から来た2頭とウオッカはほとんど一塊でゴールしましたが,ウオッカ自身はその中では最下位の5着でした。結果的には脚を使ったという感じはなく,ただ流れ込んだというだけで,レースとしてみればかなり消化不良という印象でした。
 しかしこれはあくまでも前哨戦。思うようなレースができずにこのくらいの結果を残せるならば,本番での巻き返しは十分に可能ではないかと思いますので,それに期待します。少なくとも力を十分に力を発揮したと納得できるようなレースはしてほしいところです。
 なおドバイではバランシーンの後,準重賞のUAEオークスがあり,ここに出走したアースリヴィングは再び2着。ブラックエンブレムとアースリヴィングの2頭はそれで遠征を終え,帰国しています。

 こうした表象の相違というのは,『エチカ』では第二部定理一七の直前にあたる第二部定理一六系二のうちに,すでに示されていると考えることができるかもしれません。そしてこの証明が,少なくとも部分的に自然学に依拠しているのです。つまりここには,ひとりの人間の平行論的関係における,身体的側面について言及されていることは間違いないのです。
 これは本論の方では触れなかったのですが,実は表象像というものが厳密に考えるならばこの考察に示したように異なるものであるということは,たとえば人間の感情というものはそれが同じ名前で説明されようと,対象が異なれば厳密には異なっていると考えるべきであるということを示した第三部定理五六とか,事物というのは一般的に概念されるほどかえって混乱していて,特殊的に概念されるほど明瞭であるということを示した『知性改善論』(五五)の特殊性と一般性の考え方などと大いに関係していると僕は考えています。なぜなら,この考え方に従う限り,表象像は表象像一般として概念されるよりはあの表象像あるいはこの表象像と概念される方がより明瞭であり,さらに同じあの表象像でも,Aの精神のうちのあの表象像とかBの精神のうちのあの表象像というように概念されるならさらに明瞭になり,そして同じAの精神のうちのあの表象像でも,あのときのあの表象像とかこのときのあの表象像というように概念されるなら,さらに明瞭であるということになるからです。いい換えればこれは,あのときのあの表象像と,このときのあの表象像との間にすら,厳密には何らかの相違があると考えるべきであるということを帰結させると思います。したがって,平行論的に考えるならば,あのときの身体のうちに生じた運動と,このときの身体のうちに生じた運動との間には,厳密には何らかの不一致があると考えるべきなのかもしれません。
 今回の考察はまとめもこれで終了とします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする