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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

いわき平記念&批判の矛先

2009-03-23 19:35:08 | 競輪
 記念競輪の決勝は多くの場合は火曜に行われますが,20日の金曜が祝日であったため,いわき平記念はその日が初日。よって今日が決勝(動画)となりました。
 並びは,小松ー伏見ー大槻の北日本,平原ー神山ー横田で関東,坂本ー西村の西国で,山口は単騎。
 前受けは坂本選手。中団が平原選手で後方から小松選手。山口選手は初手は北追走で最後尾での周回。小松選手は残り2周のホームから上昇。バックでは坂本選手を叩きましたが,早目に引いていた平原選手が外から発進し,打鐘から先行。小松選手は神山選手のインで粘る形になりました。内に包まれるのを嫌った伏見選手は引き,横田選手の後ろに山口選手が切り替え,坂本選手がホームで落車。番手戦はバックまで続き,神山選手が何とか守りきりましたが,これを見て自力発進した伏見選手を止めることはできず,楽に捲りきった伏見選手が優勝。平原選手が2着に逃げ残り,疲れきった神山選手に代わり横田選手が3着に食い込みました。
 優勝した福島の伏見俊昭選手は昨年はオリンピックの関係で,オールスターを勝っただけですのでそれ以来のグレードレース制覇。記念競輪は一昨年7月の福井記念以来となります。今日はまったく想定外のレースになったのではないかと思いますが,無理に小松選手につけずに引いて自力に転じた判断がよかったことと,小松選手が執拗に競って,捲りやすい展開にしてくれたことの2点が勝因のうちでも大きいものではなかったかと思います。

 スピノザの哲学というのは平行論ですから,たとえその哲学というのを存在論的なものと認識論的なものとに分節したとしても,得られる結論は同じであるということになっています。いい換えれば,たとえばある人間の実在性というものが無際限に小さくなるということが意味するところは,この人間の身体の実在性が無際限に小さくなるという意味であり,しかし同時に,この人間の精神の実在性が無際限に小さくなるという意味でもあります。そしてどちらの場合で考えたとしても,その限りでその人間は完全であるということになるでしょう。
 ニーチェがこうした平行論に関してどのような視点を持っていたかは僕には分かりませんし,スピノザの平行論に関してはニーチェはそんなに言及していないようにも思います。しかし,ニーチェは基本的に事物の解釈というのを重要視しますので,哲学的に存在論と認識論とに分けるならば,認識論的な立場からスピノザに対して批判をしているということはいえると思います。したがって,そもそもニーチェの批判の対象は,自己保存の法則が人間の現実的本性であるというスピノザの規定そのものに向けられているというよりは,人間の与えられた本性をそのように解釈するスピノザに向けられているといった方が正しいのだろうと思います。つまりこれを反動的とニーチェがみなすとき,こうした考え方が反動的な考え方であるというのはもちろんですが,こうした考え方をする人間は反動的な人間であるというような意味の方が,ニーチェの主張そのものからは僕には強く感じられるのです。
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