スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高松記念&第四の意味の場合

2008-08-05 22:27:10 | 競輪
 僕が住む横浜は,今日は雷を伴って断続的にバケツをひっくり返したような大雨が降る荒れ模様の天気。しかし四国は関係なく,高松記念の決勝(動画)も予定通りに行われました。
 Sは荒井選手でそのまま前受け。3番手に小嶋選手,6番手から矢口選手で周回。
 矢口選手の上昇は残り2周のホームから。一旦は小嶋選手に蓋をするような形から打鐘で荒井選手を叩くとライン4車で出きり,関東の先行になりました。小嶋選手も追い上げ,荒井選手を制してうまく5番手に。
 バックから小嶋選手が発進。スピードが違い,牽制を受けることなく捲りきりました。ホームで有坂選手が離れたので3番手は牧選手。直線,浜口選手も迫りましたが小嶋選手が優勝。浜口選手が2着,牧選手が3着。
 優勝した石川の小嶋敬二選手は2月の西王座戦以来のグレードレース優勝で,記念競輪は昨年7月の四日市記念以来ですから約1年ぶり。昨年後半は怪我もあり,仕方ありませんが,ここ何ヶ月かははっきり不調であったと思います。今回も初日・2日目のレース内容では優勝は厳しいと思いましたが,3日目と決勝は別人のような走り。復活の兆しかもしれません。

 明日から王位戦七番勝負第四局が始まります。

 第四の意味の証明については,原因と結果の実在性という観点から証明しました。しかしこのこともまた,結果として人間のうちに生じる観念に注目することによって,それ自体で証明することができます。
 ある人間Aがいて,この人間Aの精神のうちにある混乱した観念Yが生じたと仮定します。このことは,Aの精神の本性を構成すると共に,何かほかのものの観念を有する限りで神のうちにYの観念があるということを意味します。ここでは分かりやすくするために,ほかのものをBとしてみます。つまりAの精神の本性を構成すると共に,Bの観念を有する限りで,神のうちにYの観念があるということです。
 ところで,Yが生じるのであれば,それには生じる原因というものがあります。これは第一部公理三から明らかです。そこでこの原因をXとします。するとこれは,Xを原因としてYが生じるということになるのですが,このYが生じるということ自体は,まさに神がAの精神の本性を構成すると共にBの観念を有するという限りで神のうちに生じます。というのはYはまさにそうした仕方で神のうちにあるのですから,このこと自体がそのうちにない,たとえばさらにCの観念をも有する限りで神のうちにあると主張するなら,これは第一部公理四に反することになってしまうからです。
 つまり,もしもある観念がある人間の精神の本性を構成すると共に,何かほかのものの観念を有する限りで神のうちに生じるなら,その原因となっている観念も,同じ限りで神のうちになくてはなりません。したがって,人間の精神のうちにある混乱した観念の原因は,同じ人間の精神のうちにある混乱した観念で,この原因と結果の必然性は,神のうちに十全な観念が生じる必然性と同一であるということになります。
コメント
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