スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

久保利明八段&誤謬との関係

2008-03-07 18:52:29 | 将棋トピック
 王将戦では1勝4敗で敗退。順位戦でも残念ながらA級から降級が決まってしまった久保利明八段。僕は久保八段に少し思うところあるので,今日はそれを書いてみます。
 久保八段は振飛車党ですが,用いる作戦は四間飛車,ごきげん中飛車,早石田がほとんど。このうち,四間飛車は藤井猛九段の藤井システムをベースとしていて,ごきげん中飛車は近藤正和六段が開発した戦法,早石田は鈴木大介八段が復活させた戦法です。こう書くと久保八段は独創性のない棋士に思えるかもしれませんが,僕は必ずしもそうではないと思います。
 ごきげん中飛車の①Bの変化というのは,2003年の銀河戦本戦トーナメントで,佐藤康光二冠が谷川浩司九段に対して指したのが第1号局です。久保八段はこのとき解説を担当していて,△2二飛の局面が現れたとき,これは自分も考えたことがあると言っていました。感想戦では谷川九段はこの手順にかなり驚いた様子でしたので,少なくともここでは,久保八段の発想は谷川九段を上回っていたと思います。
 昨年の竜王戦第六局は,一昨年の竜王戦第六局と同じ出だしから,意表の相中飛車になりました。一昨年は6手目が△6二銀であったのに対し,昨年は△4二銀だったのですが,BSの生放送でこの将棋を解説していた久保八段は,△6二銀でなく△4二銀ということは,後手の佐藤二冠は相振飛車を考えているのではないかと,この段階で解説したようです。指された渡辺明竜王は,△5二飛にびっくりしたといっていますので,このときも久保八段の発想は渡辺竜王を上回っていたのではないかと思います。
 僕が久保八段の将棋で印象に残っているのは,瀬川昌司四段のプロ編入試験の一局。早石田の一種とはいえますが,この将棋の序盤はかなり独創性に溢れていたと思います。
 独創性のある将棋は見ていて面白いのですが,プロは勝たなければなりませんので,そればかりを求めるのは酷であるというのも事実。瀬川四段との将棋も,久保八段が勝ちましたが,途中の分かれは少し苦しくなりました。しかしその一方で,もしかしたら久保八段は,自身の発想力を前面に押し出すことで,もうひとつ上のステップに上がれるのではないかという気もするのです。

 明日は棋王戦五番勝負第三局。勝った方が棋王位に王手を掛ける一番ですが,内容の方も楽しみです。

 また,明日から玉野記念が開催されます。荒井選手が中心になるでしょうか。

 現在の目的は,一般的に観念と意志とが同一のものであるということを示すことですから,もうこれだけで十分なのですが,ここは間違いを起こしやすいところと思いますので,混乱した観念が観念である限りにおいて含んでいる意志と,誤謬との関係について,説明しておくことにします。もちろんこれは,スピノザの哲学において,虚偽と誤謬とは異なるという意味における,いわば厳密な意味での誤謬との関係です。
 やはりこりん星の場合で考えてみます。小倉優子の精神のうちにこりん星の観念があるということは,同時に,こりん星なる星の実在を肯定するような意志があるということを意味します。しかし,この意志があるということが,小倉優子が誤謬を犯しているということを直ちに帰結するのではありません。ある精神のうちに,ある意志があるということと,その意志,すなわち肯定ないし否定が正しいと思うということは,やはり別のことだからです。これはちょうど,ある人間の精神のうちに,混乱した観念があるということと,その混乱した観念が十全な観念であると思うことが別のことであるというのと同じです。
 そもそも,混乱した観念はすべからくそれを肯定ないし否定するような意志なしには考えることができないのです。よってこの意志がその混乱した観念を有する精神の誤謬を示すとすれば,おおよそ混乱した観念を有する精神はすべて誤謬を犯しているということになります。しかしスピノザの哲学では,そのようには考えません。こうした意志自体が示すのは,誤謬ではなく虚偽であり,この虚偽を真理とみなすことによって,はじめてそれは誤謬であるといわれるのです。
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