スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦&月の表象の場合

2008-03-08 19:55:23 | 将棋
 棋王戦五番勝負第三局。ここは羽生善治二冠の先手。佐藤康光二冠の作戦はごきげん中飛車。③CⅠの超急戦に進展。佐藤二冠が偉大なる悪手で応じると,羽生二冠も王将戦第二局で出した▲9六角で応戦。渡辺竜王によると10時にはここまで進んでいたようです。佐藤二冠は第8図の形に進めました。
          
 実はこの第8図,▲6一香成で先手が指せると結論していたのですが,羽生二冠の選択は▲2二歩。これはと金作りというより龍を取られるのを嫌った意味ですので,▲6一香成△1一馬という進展は,後手玉が4筋から3筋方面に逃げられると,盤面の左側の駒は取れても大変ということなのかもしれません。実戦は▲2二歩に△6六桂と取り,▲同歩△7四歩▲同角△6六馬に▲6五桂と王手しました。
          
 後手は第1図で△6二玉とこちらに逃げました。先手は▲6四歩と追撃し,△7二銀の受けに▲3一龍△同金▲6三銀と踏み込み,△7一玉に▲5二銀不成としました。
          
 第2図で後手は△6七香と打ちました。詰めろではありませんが△6九香成としたときに▲同玉とはできない形なので部分的には厳しい手。しかし少なくともこの手はいい手ではありませんでした。ここは△6八歩と打って△3九馬を狙う方が勝るのかもしれません。というのは△6七香の後,▲同金△同馬▲6一銀成△同銀▲5八金打と受けられてみると,どうもこの局面は先手の勝ちのようだからです。
          
 第3図以下,実戦のように7四の角は抜けるのですが,先手玉は捕まりません。ということで後手の投了,羽生二冠が2勝1敗として棋王位に王手を掛けました。
 最後は一方的になってしまいましたが,これはこれでまた面白い将棋でした。第四局は19日に指されます。
 
 明日は玉野記念の2日目優秀,ももたろう賞です。並びの予想ですがここは稲垣選手の先行1車。近畿中部で山田-有賀が行きたいでしょうが,紫原-合志の九州もここを主張すると思います。三宅-豊田の岡山に中国四国で米沢,有坂は位置を決めずに単騎でしょうか。インタビューがアップされると思いますのでご確認ください。いずれにしても稲垣選手。

 この観念が観念である限りにおいて含んでいる意志と誤謬との関係は,人間の精神によるの表象というのを例にとれば,さらに分かりやすく説明できると思います。
 僕たちが夜空に月を見上げるとき,月は実際にある位置よりはずっと近くにあるように表象します。これはこの表象が,単に月の本性だけを含むのではなく,月の光と僕たちの身体が関係し合うことによって,すなわち,月の本性と僕たちの身体の本性の両方を含むことによって形成されているからです。これは第二部定理一七の通りであって,問題ありません。
 そしてこのとき,僕たちは,月が実際にあるよりは近い位置に実在することを肯定する意志作用を有しています。これが,第二部定理四九が,混乱した観念について一般的にいっていることです。そしてこの意志作用というのは,僕たちが実際に月がどの位置にあるのかということを知っているか知っていないかということと関係なく,僕たちの精神のうちに,あるいは月の表象のうちに生じるのです。これはちょうど,僕たちが月の真の位置を知っているか知らないかに関係なく,僕たちが月を実際にあるよりは近い位置に表象するということに対応します。これは第四部定理一で述べられていることであり,やはり問題ありません。
 したがって僕たちは,月が実際にある位置に実在することを肯定する意志を有していたとしても,月を表象する際には,月が実際にあるよりは近い位置にあることを肯定する意志を有することになるのです。いい換えれば,月の十全な観念を有していても,月の混乱した観念を有する場合があるわけです。ですから,単に混乱した観念を肯定するような意志作用が人間の精神のうちにあるとしても,ただそれだけで,その精神が誤謬を犯しているということはできないということになるのです。
コメント
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