スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

誕生&意志と意志作用

2008-03-01 19:31:13 | 歌・小説
          
 中島みゆきの歌の中で,『永久欠番』と最も対比的な関係にあるのは『誕生』ではないかと思います。それはもちろん,『永久欠番』が人が死にゆくことををテーマとしているのに対し,『誕生』は逆に人が産まれること,また,生きることをテーマとしているからです。しかしこのふたつの歌を聴き比べてみたときに,その根底に流れているものは,実は同じようなものなのではないかと僕は思うのです。

   Remember 生まれた時
   だれでも言われた筈
   耳をすまして思い出して
   最初に聞いた Welcome

 この部分の中には,望まれずに産まれてくるものなどだれもいないという意味が込められているように感じられます。そしてそのことは,産まれてきたその人が,その後の人生でどのような道を歩んでいくこととは関係ないと思えます。これは,どんな生き方をしたとしても,人は永久欠番であるということの,ちょうど裏返しのようなものではないかと僕には感じられるのです。

   Remember けれどもしも
   思い出せないなら
   わたし いつでもあなたに言う
   生まれてくれて Welcome

 どんな人間に対しても,このようにいえる人間でありたいと,僕は思っています。

 明日は名古屋記念の2日目優秀です。並びは,長塚-手島-稲村の関東,萩原-遠沢の南関東に平沼,中川-小野の九州に友定で3分戦。これは小野選手がいいと思います,

 スピノザが意志とは個々の意志作用の総体であるということを強調するとき,そこにはひとつの意味が込められているのではないかと僕は考えています。
 おそらくこのことはスピノザの哲学における一般性と特殊性の関係に依拠しています。すなわち意志は,意志一般として考えられる場合には,個々の意志作用として考えられる場合に比べて,より混乱して認識されるのです。このようないい方が適当であるかは別として,たとえばある人間の精神のうちには,個々の意志作用のみがあるのであって,意志一般なるものはないということもできるのではないかと思います。そしてこのことは,別に意志作用が人間の精神のうちにある場合だけではなく,おおよそ意志作用がある思惟の様態のうちにある場合には,すべて妥当なのだと思います。
 僕の考えでは,すでにこのことのうちに,個々の意志作用はすべて思惟の様態であるということが出てきます。たとえばXという意志があるとして,このXがAのうちにある場合とBのうちにある場合では,まったく同じ意志作用であっても実在的には異なるものです。いい換えれば,同じ本性を有する複数の意志作用があるのであって,個々の意志作用のそれぞれは,数の問題として区別されるようなものなのです。ところが,そのような区別は様態的区別だからです。このことは,どんな意志作用の場合にも妥当であるといえるでしょう。
 すなわち,このように意志と意志作用を厳密に分けるような考え方も,第二部定理四九が一般的な意味で妥当であるということのひとつの根拠になると思います。
コメント
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