4日に鶴林寺で指された第13回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。藤本渚四段と吉池隆真奨励会三段は公式戦初対局。
加古川市長による振駒で吉池三段が先手となり,後手の藤本四段が飛車先を交換させての雁木。先手がさほど玉を囲わないうちに仕掛けて乱戦になりました。
この王手に先手は☗6六歩と受けました。後手が☖6三銀と成香を取ったところで☗4一飛と王手角取りを掛けて☖6二王に☗4四飛成。後手も☖8四銀で角を取り返します。
手番となった先手は☗5三金と王手して☖7一王に☗6三金と追っていきました。
今度は後手の手番。☖8五桂☗6八玉☖8六角☗5八玉と追い,☖5一香と打ちました。
この香車が詰めろの上に受けにも働いていて,ここで後手が勝勢に。第1図では☗6六角☖同角☗同歩と進める方がよく,それならむしろ先手に分がある戦いでした。
藤本四段が先勝。第二局は5日に指されました。
ヤコービFriedrich Heinrich Jaobiはスピノザの哲学を深く研究していて,完全にとはいいませんが,それをかなり正確に理解していました。そしてヤコービが到達した地点は,スピノザの哲学は論理的には完璧であるということでした。ヤコービはスピノザの反対者でしたが,スピノザの哲学は論理的には完璧であるということを肯定していたのです。だからヤコービがスピノザの哲学を超越するために採用した方法が,論理を超えたところ,つまり超論理によってスピノザを否定するnegareということだったのです。ただ,超論理について考察することは無意味といえますので,それが実際にどういう方法であったかということについてはここでは検討しません。
論理的に完璧であると解したスピノザの哲学を,ヤコービがそれでも否定したのは,おそらくこの哲学がキリスト教を否定するような思想であるということを同時に見出したからだと思います。というか,僕にはそれ以外の理由を見出すことができません。ヤコービが熱心なキリスト教信者であったのかどうかは分かりませんし,単に立場的なものでキリスト教を擁護する必要があったのかということも僕には分かりませんが,僕がいう神学的観点からヤコービがスピノザを否定したのは間違いないと思います。
ですからこの点では,ヤコービの立場とライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの立場は一致していたと思われます。ライプニッツは熱心なキリスト教信者であったというようには僕には思えませんが,宮廷人としてキリスト教を擁護しなければなりませんでした。下世話ないい方をすれば,自身の生活のために,キリスト教を否定する要素を含んでいるスピノザの哲学についてはそれを否定しなければならなかったのです。ただライプニッツが使用した方法はヤコービとは異なったものです。ライプニッツはヤコービとは異なり,スピノザの哲学が論理的に完璧であるとは解さず,むしろ論理的欠陥を抱えているとみなしました。これは第一部定理五および第一部定義三に関連するものですが,それらについてはすでに探求しましたからここでは繰り返しません。ライプニッツはその論理の欠陥を修正することで,神学的観点を守ることができると考えていたのです。
加古川市長による振駒で吉池三段が先手となり,後手の藤本四段が飛車先を交換させての雁木。先手がさほど玉を囲わないうちに仕掛けて乱戦になりました。
この王手に先手は☗6六歩と受けました。後手が☖6三銀と成香を取ったところで☗4一飛と王手角取りを掛けて☖6二王に☗4四飛成。後手も☖8四銀で角を取り返します。
手番となった先手は☗5三金と王手して☖7一王に☗6三金と追っていきました。
今度は後手の手番。☖8五桂☗6八玉☖8六角☗5八玉と追い,☖5一香と打ちました。
この香車が詰めろの上に受けにも働いていて,ここで後手が勝勢に。第1図では☗6六角☖同角☗同歩と進める方がよく,それならむしろ先手に分がある戦いでした。
藤本四段が先勝。第二局は5日に指されました。
ヤコービFriedrich Heinrich Jaobiはスピノザの哲学を深く研究していて,完全にとはいいませんが,それをかなり正確に理解していました。そしてヤコービが到達した地点は,スピノザの哲学は論理的には完璧であるということでした。ヤコービはスピノザの反対者でしたが,スピノザの哲学は論理的には完璧であるということを肯定していたのです。だからヤコービがスピノザの哲学を超越するために採用した方法が,論理を超えたところ,つまり超論理によってスピノザを否定するnegareということだったのです。ただ,超論理について考察することは無意味といえますので,それが実際にどういう方法であったかということについてはここでは検討しません。
論理的に完璧であると解したスピノザの哲学を,ヤコービがそれでも否定したのは,おそらくこの哲学がキリスト教を否定するような思想であるということを同時に見出したからだと思います。というか,僕にはそれ以外の理由を見出すことができません。ヤコービが熱心なキリスト教信者であったのかどうかは分かりませんし,単に立場的なものでキリスト教を擁護する必要があったのかということも僕には分かりませんが,僕がいう神学的観点からヤコービがスピノザを否定したのは間違いないと思います。
ですからこの点では,ヤコービの立場とライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの立場は一致していたと思われます。ライプニッツは熱心なキリスト教信者であったというようには僕には思えませんが,宮廷人としてキリスト教を擁護しなければなりませんでした。下世話ないい方をすれば,自身の生活のために,キリスト教を否定する要素を含んでいるスピノザの哲学についてはそれを否定しなければならなかったのです。ただライプニッツが使用した方法はヤコービとは異なったものです。ライプニッツはヤコービとは異なり,スピノザの哲学が論理的に完璧であるとは解さず,むしろ論理的欠陥を抱えているとみなしました。これは第一部定理五および第一部定義三に関連するものですが,それらについてはすでに探求しましたからここでは繰り返しません。ライプニッツはその論理の欠陥を修正することで,神学的観点を守ることができると考えていたのです。