大垣競輪場で行われた昨日の施設整備等協賛競輪の決勝。並びは青野‐山賀‐白戸の南関東,志田‐松村の中部近畿,片岡に阿部大樹,阿部将大‐成松の九州。
阿部将大がスタートを取って前受け。3番手に志田,5番手に青野,8番手に片岡で周回。残り3周のバックの出口から片岡が上昇。残り2周のホームでは阿部大樹の後ろに青野が続きました。誘導が退避するとまず片岡が阿部将大を叩いて先頭に。コーナーから青野が上昇していきバックで片岡を叩いて打鐘。ここから志田が発進。ホームで青野を叩いて先行となったのですが,松村が連携を外したので,番手に青野が嵌りました。バックから青野が番手から発進。そこに後方から阿部将大が捲り上げてきました。直線で青野の番手から踏み込んだ山賀が優勝。青野が4分の3車身差の2着で南関東のワンツー。阿部将大の番手から青野と山賀の間を突いた成松が半車輪差の3着。
優勝した千葉の山賀雅仁選手は2018年9月の青森記念以来のグレードレース制覇でGⅢ4勝目。このレースは南関東の3人が,神奈川,千葉,神奈川の並びになったので,青野の先行がかなり有力。出走メンバーのうちで逃げて最も結果を残せていたのは青野でしたので,番手の山賀が有利ではないかとみていました。先行したのは志田になりましたが,単騎になってしまったので,大した問題とはなりませんでした。山賀は現状の力量はともかく実績ではこのメンバーでは断然のものがありますから,そういう経験もここでは生きたのではないかと思います。
ライプニッツはスピノザと文通し,また後に面会したくらいですから,同時代人といっていいでしょう。ですから,ヤコービFriedrich Heinrich Jaobiがスピノザを知っていたということは,ライプニッツのことも知っていたということになります。ただし,ライプニッツによるスピノザに対する批判をヤコービが知っていたかどうかは分かりません。ライプニッツはスピノザの哲学には論理的な欠陥があると主張し,ヤコービはスピノザの哲学は論理的には完璧であると解していたのですから,スピノザの哲学に対する解釈はふたりの間で異なっています。ヤコービはライプニッツのスピノザ批判を知っていて,しかしその批判は的外れであると考えたのかもしれません。あるいはその批判は知らないで,そうした欠陥を発見することができなかったのかもしれませんし,そうした欠陥は存在しないと考えたのかもしれません。ふたりの間で共通しているのは,ふたりの間には神学的観点があったということ,そしてスピノザの哲学を評価していたということだけなのであって,スピノザの哲学に対する解釈は一致していたわけではないのです。
ヤコービとヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelも同じ時代を生きていたので,同時代人ということは可能です。ただふたりの間には30歳弱の年齢差がありましたので,年長者であるヤコービのスピノザの哲学の解釈に,ヘーゲルの考え方が影響を与えたということは考えにくそうです。一方でヘーゲルの方は,ヤコービのスピノザ解釈のことを知っていて,自身でスピノザの哲学を研究するときに,ヤコービの研究を参考にしたという可能性がないわけではありません。ヤコービもヘーゲルも同じドイツ人ですし,ヤコービのスピノザ研究は優れたものでしたから,ヘーゲルが参考にするに十分に値するものであったとは思います。
ライプニッツやヤコービとは異なり,ヘーゲルは神学的観点に立っていたわけではありません。純粋に自身の哲学的立場からスピノザの反対者,あるいはスピノザの超越者になろうとしたとみるのが妥当です。ですからこの点では,ヘーゲルもまたスピノザの哲学に対する評価は高かったとはいえ,ヤコービやライプニッツと一致していたわけではありません。
阿部将大がスタートを取って前受け。3番手に志田,5番手に青野,8番手に片岡で周回。残り3周のバックの出口から片岡が上昇。残り2周のホームでは阿部大樹の後ろに青野が続きました。誘導が退避するとまず片岡が阿部将大を叩いて先頭に。コーナーから青野が上昇していきバックで片岡を叩いて打鐘。ここから志田が発進。ホームで青野を叩いて先行となったのですが,松村が連携を外したので,番手に青野が嵌りました。バックから青野が番手から発進。そこに後方から阿部将大が捲り上げてきました。直線で青野の番手から踏み込んだ山賀が優勝。青野が4分の3車身差の2着で南関東のワンツー。阿部将大の番手から青野と山賀の間を突いた成松が半車輪差の3着。
優勝した千葉の山賀雅仁選手は2018年9月の青森記念以来のグレードレース制覇でGⅢ4勝目。このレースは南関東の3人が,神奈川,千葉,神奈川の並びになったので,青野の先行がかなり有力。出走メンバーのうちで逃げて最も結果を残せていたのは青野でしたので,番手の山賀が有利ではないかとみていました。先行したのは志田になりましたが,単騎になってしまったので,大した問題とはなりませんでした。山賀は現状の力量はともかく実績ではこのメンバーでは断然のものがありますから,そういう経験もここでは生きたのではないかと思います。
ライプニッツはスピノザと文通し,また後に面会したくらいですから,同時代人といっていいでしょう。ですから,ヤコービFriedrich Heinrich Jaobiがスピノザを知っていたということは,ライプニッツのことも知っていたということになります。ただし,ライプニッツによるスピノザに対する批判をヤコービが知っていたかどうかは分かりません。ライプニッツはスピノザの哲学には論理的な欠陥があると主張し,ヤコービはスピノザの哲学は論理的には完璧であると解していたのですから,スピノザの哲学に対する解釈はふたりの間で異なっています。ヤコービはライプニッツのスピノザ批判を知っていて,しかしその批判は的外れであると考えたのかもしれません。あるいはその批判は知らないで,そうした欠陥を発見することができなかったのかもしれませんし,そうした欠陥は存在しないと考えたのかもしれません。ふたりの間で共通しているのは,ふたりの間には神学的観点があったということ,そしてスピノザの哲学を評価していたということだけなのであって,スピノザの哲学に対する解釈は一致していたわけではないのです。
ヤコービとヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelも同じ時代を生きていたので,同時代人ということは可能です。ただふたりの間には30歳弱の年齢差がありましたので,年長者であるヤコービのスピノザの哲学の解釈に,ヘーゲルの考え方が影響を与えたということは考えにくそうです。一方でヘーゲルの方は,ヤコービのスピノザ解釈のことを知っていて,自身でスピノザの哲学を研究するときに,ヤコービの研究を参考にしたという可能性がないわけではありません。ヤコービもヘーゲルも同じドイツ人ですし,ヤコービのスピノザ研究は優れたものでしたから,ヘーゲルが参考にするに十分に値するものであったとは思います。
ライプニッツやヤコービとは異なり,ヘーゲルは神学的観点に立っていたわけではありません。純粋に自身の哲学的立場からスピノザの反対者,あるいはスピノザの超越者になろうとしたとみるのが妥当です。ですからこの点では,ヘーゲルもまたスピノザの哲学に対する評価は高かったとはいえ,ヤコービやライプニッツと一致していたわけではありません。