スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ファーザとシンコウエルメス&両立の説明

2019-10-06 20:15:17 | 血統
 先週のスプリンターズステークスを勝ったタワーオブロンドンは,世界的名牝系が出自です。日本での活躍馬を紹介します。
                                        
 タワーオブロンドンの祖母は競走馬として輸入されたシンコウエルメス。デビュー前の調教で重度の骨折。安楽死処分もあり得る骨折でしたが,血統のよさから難手術を敢行。競走能力は喪失しましたが一命をとりとめ,繁殖牝馬になりました。タワーオブロンドンの母は,シンコウエルメスがイギリスで産んだ仔です。シンコウエルメスの半兄には1997年にマイラーズカップとセントウルステークスを勝ったオースミタイクーン。また半姉の産駒に2006年に中京記念を勝ったマチカネオーラがいます。
 牝系の起点となっているのはシンコウエルメスの祖母のMargarethenという馬。ファミリーナンバー4-n
 Margarethenの1972年の産駒の子孫には2006年に東海ステークスとブリーダーズゴールドカップを勝ったハードクリスタル,1997年に京王杯オータムハンデキャップと府中牝馬ステークスを勝ったクロカミがいます。クロカミの孫には2011年にレパードステークスを勝ったボレアス,2013年に弥生賞を勝ったカミノタサハラ
 Margarethenの1973年の産駒の子孫には,日本馬の重賞勝ち馬はいませんが,2006年に安田記念を勝った香港のブリッシュラックがいます。
 Margarethenの1974年の産駒の子孫には2006年に朝日チャレンジカップを勝ったトリリオンカット。また繁殖牝馬として輸入されたファーザがいて,この馬はフリオーソの母になりました。フリオーソの半弟が2012年に金盃大井記念,2013年に金盃を勝ったトーセンルーチェ。2009年に京成盃グランドマイラーズ勝島王冠,2010年に大井記念東京記念を勝ったセレンも同じ系統の子孫です。
 Margarethenの1976年の産駒の子孫には一昨年の日経新春杯と去年の宝塚記念を勝ったミッキーロケットと2000年に青葉賞を勝ったカーネギーダイアンがいます。
 もう1代,2代と遡ればさらに活躍馬が出てきます。今後も多くの重賞勝ち馬が輩出する一族でしょう。

 誤謬errorは認識cognitioの欠乏を意味します。よって無限知性intellectus infinitusの一部とみられるような知性が誤謬を犯す場合には,その欠乏している認識する力potentiaが不足しているという意味になります。よって真verumなるものを真として肯定するのに偽falsitasなるものを真として肯定するのと同様の思惟する力を要さないという,第二部定理四九備考の一節が出てくるのです。しかし,虚偽falsitasである混乱した観念idea inadaequataあるいは誤った観念idea falsaをそれ自体でみるなら,その中に積極的に虚偽を構成する要件が含まれているわけではないのですから,観念を肯定する意志作用volitioは,それが十全な観念idea adaequataとみられようと混乱した観念とみられようと同等でなければなりません。したがって,同じ備考の別の一節でいわれているように,意志voluntasが思惟する力全般よりも広くわたるということはあり得ないのです。しかも混乱した観念は,無限知性の一部を構成するとみられる有限知性の中にあるとみられる限りにおいて混乱した観念なのであって,無限知性からみれば十全な観念なのです。一読すると矛盾するかのようにも思える同じ備考の中の個々の一節は,このように解釈することで両立することになります。そしてこれらが両立可能である論拠をスピノザの哲学の中で説明するのには,この仕方が最も適切であると僕は考えます。
 しかし,このような説明が分かりにくいものになっていることは僕も認めます。その理由は,僕たちはたとえば無限知性の一部としてみられるような自分の精神mensというのを,大概の場合は認識の主体subjectumとして解しているからです。すなわちこの分かりにくさは,主体の排除を徹底することが困難であるという事情によるのです。スピノザの哲学は,思惟の主体が何であるのかということを本質的に問いません。ところが僕たちはたとえば僕が,あるいはあなたがXを認識しているというように認識のあり方を把握します。このゆえに,現実的に存在するある人間の知性のうちに,Xの十全な観念とXの混乱した観念が同時に存在する場合,第四部定理一によってこれは生じ得る仮定ですが,そのときにXの十全な観念を肯定する意志作用とXの混乱した観念を肯定する意志作用が同等の力を有するのを不自然だと思うのです。
コメント
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