昨晩の第68回大井記念。
アナザートゥルースも逃げたかったようですが,一足先に内から前に出ていたカジノフォンテンの逃げとなり,アナザートゥルースは2番手に控えました。3番手はライトウォーリアとダノンファラオ。2馬身差でセイカメテオポリスとランリョウオーとエルデュクラージュ。3馬身差でエブリアンブラックとギガキング。4馬身差でカイルとミヤギザオウ。1馬身差でメイショウワザシ。4馬身差でサルサレイアとキャッスルトップが最後尾を併走。前半の1000mは61秒9のハイペース。
3コーナーを回るとカジノフォンテンがアナザートゥルースとの差を広げにかかりました。アナザートゥルースは必死に前を追い,内からセイカメテオポリスで外からライトウォーリア。直線に入るとアナザートゥルースが一杯になったので、内を回ったセイカメテオポリスがカジノフォンテンの外へ進路変更。じわじわと差を詰めていくと差し切って優勝。逃げ粘ったカジノフォンテンが2馬身差で2着。外から迫ったライトウォーリアは届かずアタマ差で3着。後方のほぼ同じ位置にいた2頭が併せ馬のように追い込み,外のミヤギザオウが1馬身差の4着で内のカイルが半馬身差で5着。
優勝したセイカメテオポリスは遠征したオグリキャップ記念から連勝。南関東重賞は一昨年の戸塚記念以来の2勝目。このレースは典型的な上位拮抗で,優勝しておかしくないと思われる馬の方が多数を占めました。結果的に内を回ることができたのが最大の勝因となっていますから,1番枠を引けたことが有利に働いたといえるでしょう。ただ戸塚記念以降は重賞以外はすべて入着していたものの勝つには至っていなかった馬が,ここにきての連勝ですから,馬が一皮むけてきたのも事実だろうと思います。母の父はディープスカイ。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手は一昨年の金盃以来となる南関東重賞30勝目。大井記念は初勝利。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞8勝目。第62回以来6年ぶりの大井記念2勝目。
他者に対する憎しみodiumによって害悪を与える行為は,倫理に反する行為です。現実的に存在する人間は,理性ratioに従っている限りでは憎しみという感情affectus自体を抱くことがありません。ですから憎しみによって害悪を与えるということは生じません。また,憎しみを感じたときでも,理性に従えば,その理性から生じる感情が憎しみを抑制しあるいは除去しますので,他人に害悪を与えることを断念することになります。これらの場合は単に合倫理的であるだけでなく,有徳的であるといわれることになります。しかし,憎しみとは別の受動感情が生じることによって憎しみが抑制あるいは除去され,他人に害悪を与えることを断念するのであれば,合倫理的ではあるけれども,有徳的であるとはいわれません。

愛amorは理性から生じる感情であり得ます。よってもしもその様式で現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちに愛が生じ,その愛のゆえに他者に親切をなすなら,これは合倫理的であるのはもちろん有徳的であることになります。ただし愛は,理性に従う場合にのみ生じる感情ではありません。愛が受動的に生じた場合は,その愛のゆえに親切をなすことは,合倫理的ではあっても有徳的であるとはいえないことになります。
現実的に存在する人間が他者を愛したときに,親切をなすことによって,もし自分自身に害悪が生じることを恐れる場合には,親切をなすことを断念するという意味のことが第三部定理三九ではいわれています。これは,この文言をそのまま解するなら,不安metusによって親切をなすことを断念することになりますから受動passioです。よって,理性に従っていないので有徳的であるといわれないだけでなく,理性に従っていればなす親切をなさないようになるのですから,合倫理的ですらなくなります。いい換えれば,愛という感情は,能動的であるか受動的であるかに関係なく,その感情を抱くこと自体が合倫理的であると解してもさほど間違いではありません。なぜなら愛という感情は愛する対象に対して親切をなすように現実的に存在する人間を動かすのであり,他人に対して親切をなすことは合倫理的であるからです。よって倫理的には抑制される必要がありません。
アナザートゥルースも逃げたかったようですが,一足先に内から前に出ていたカジノフォンテンの逃げとなり,アナザートゥルースは2番手に控えました。3番手はライトウォーリアとダノンファラオ。2馬身差でセイカメテオポリスとランリョウオーとエルデュクラージュ。3馬身差でエブリアンブラックとギガキング。4馬身差でカイルとミヤギザオウ。1馬身差でメイショウワザシ。4馬身差でサルサレイアとキャッスルトップが最後尾を併走。前半の1000mは61秒9のハイペース。
3コーナーを回るとカジノフォンテンがアナザートゥルースとの差を広げにかかりました。アナザートゥルースは必死に前を追い,内からセイカメテオポリスで外からライトウォーリア。直線に入るとアナザートゥルースが一杯になったので、内を回ったセイカメテオポリスがカジノフォンテンの外へ進路変更。じわじわと差を詰めていくと差し切って優勝。逃げ粘ったカジノフォンテンが2馬身差で2着。外から迫ったライトウォーリアは届かずアタマ差で3着。後方のほぼ同じ位置にいた2頭が併せ馬のように追い込み,外のミヤギザオウが1馬身差の4着で内のカイルが半馬身差で5着。
優勝したセイカメテオポリスは遠征したオグリキャップ記念から連勝。南関東重賞は一昨年の戸塚記念以来の2勝目。このレースは典型的な上位拮抗で,優勝しておかしくないと思われる馬の方が多数を占めました。結果的に内を回ることができたのが最大の勝因となっていますから,1番枠を引けたことが有利に働いたといえるでしょう。ただ戸塚記念以降は重賞以外はすべて入着していたものの勝つには至っていなかった馬が,ここにきての連勝ですから,馬が一皮むけてきたのも事実だろうと思います。母の父はディープスカイ。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手は一昨年の金盃以来となる南関東重賞30勝目。大井記念は初勝利。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞8勝目。第62回以来6年ぶりの大井記念2勝目。
他者に対する憎しみodiumによって害悪を与える行為は,倫理に反する行為です。現実的に存在する人間は,理性ratioに従っている限りでは憎しみという感情affectus自体を抱くことがありません。ですから憎しみによって害悪を与えるということは生じません。また,憎しみを感じたときでも,理性に従えば,その理性から生じる感情が憎しみを抑制しあるいは除去しますので,他人に害悪を与えることを断念することになります。これらの場合は単に合倫理的であるだけでなく,有徳的であるといわれることになります。しかし,憎しみとは別の受動感情が生じることによって憎しみが抑制あるいは除去され,他人に害悪を与えることを断念するのであれば,合倫理的ではあるけれども,有徳的であるとはいわれません。

愛amorは理性から生じる感情であり得ます。よってもしもその様式で現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちに愛が生じ,その愛のゆえに他者に親切をなすなら,これは合倫理的であるのはもちろん有徳的であることになります。ただし愛は,理性に従う場合にのみ生じる感情ではありません。愛が受動的に生じた場合は,その愛のゆえに親切をなすことは,合倫理的ではあっても有徳的であるとはいえないことになります。
現実的に存在する人間が他者を愛したときに,親切をなすことによって,もし自分自身に害悪が生じることを恐れる場合には,親切をなすことを断念するという意味のことが第三部定理三九ではいわれています。これは,この文言をそのまま解するなら,不安metusによって親切をなすことを断念することになりますから受動passioです。よって,理性に従っていないので有徳的であるといわれないだけでなく,理性に従っていればなす親切をなさないようになるのですから,合倫理的ですらなくなります。いい換えれば,愛という感情は,能動的であるか受動的であるかに関係なく,その感情を抱くこと自体が合倫理的であると解してもさほど間違いではありません。なぜなら愛という感情は愛する対象に対して親切をなすように現実的に存在する人間を動かすのであり,他人に対して親切をなすことは合倫理的であるからです。よって倫理的には抑制される必要がありません。