スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊スポーツ賞東京湾カップ&力関係

2023-05-05 19:16:04 | 地方競馬
 3日の第37回東京湾カップ。森泰斗騎手が2日の2レースのパドックで左足を挫創したためナイトオブバンドは町田騎手に変更。
 ヘルシェイクとチェルカトローヴァの先行争い。1コーナーからのコーナーワークでヘルシェイクが前に出ましたが,向正面に入るとチェルカトローヴァがまたヘルシェイクの外に並び掛けていきました。3馬身差でラブリービューとセンゲントップ。1馬身半差でガンモヘラクレスとナイトオブバンド。7番手にハセノゴールド。4馬身差でルクバーとジョーフォック。10番手にグラビティモデルとストームエンドとピノホホッア。13番手がライズゾーンで最後尾にコロンバージュ。ハセノゴールドは向正面で左前脚の第三中手骨を折ってしまいずるずると後退して競走中止。超ハイペースでした。
 3コーナーからヘルシェイク,チェルカトローヴァ,ナイトオブバンド,センゲントップ,ピノホホッアの5頭で雁行。コーナーの途中でヘルシェイクは一杯。直線に入ったところではナイトオブバンドが先頭に立ちましたが,そこまで。ナイトオブバンドとセンゲントップの間を抜けてきたルクバーと,後方2番手から外を追い込んできたライズゾーンの争いとなり,外を回ったライズゾーンが差し切って優勝。ルクバーが1馬身差で2着。最後尾から大外を追い込んできたコロンバージュが2馬身差で3着。
 優勝したライズゾーンは南関東重賞初勝利。このレースは先行争いが激しくなった上に,後続が早めに差を詰めていったために直線で二転三転することに。このことから分かるように,結果に最も大きな影響を及ぼしたのは展開でした。東京湾カップというレースはクラウンカップの上位馬が好走する傾向があり,ここは2着馬,3着馬,4着馬が出走。3頭はそれほど差がない結果でしたから,その3頭が軸になるとみていました。展開の要素が大きかったとはいえ,優勝馬の傾向自体は例年通りであったといえます。母の父はネオユニヴァース。5代母がクルーピアレディーの祖母にあたる同一牝系。
 騎乗した川崎の今野忠成騎手は一昨年の平和賞以来となる南関東重賞40勝目。東京湾カップは初勝利。管理している川崎の山崎尋美調教師は2011年10月のの埼玉栄冠賞以来となる南関東重賞6勝目。同年11月には浦和記念を制しています。東京湾カップは初勝利。

 力関係によって能動actioと受動passioの関係を説明した國分の方法は,ドゥルーズGille Deleuzeのように構成関係のあり方によって説明する方法より優れた点があると僕は考えます。
 人間のある作為によって,構成関係がひとつに結び付くか破壊されるかという観点からの説明では,当然ながら構成関係は結びつくか破壊されるかの二者択一になるのであって,人間のその作為は,能動であるか受動であるかに完全に分離されます。構成関係が結びつきつつ破壊されるとか,破壊されながら結びつくというのは,それ自体で不条理になってしまうからです。
 現実的に存在する人間は,能動的であるときには受動的ではなく,受動的である場合には能動的ではありません。直前の自由libertasの考察と関連させていえば,ある人間が自由の人homo liberであるときには奴隷であることはありませんし,ある人間が無知者であるときには賢人であることはないのです。したがって,能動と受動とを二者択一で解することは,間違っているわけではありません。ですが実際にはそれはその人間の働く力agendi potentiaと働きを受けるpati力の関係の上でそのようにいわれるのであって,この観点を考察の中に持ち込める分だけ,國分の説明は優れていると僕は考えるのです。
                                   
 第四部定理四系は,現実的に存在する人間は常に受動に隷属しているといっています。すると,もしも能動と受動を二者択一で理解してしまうと,人間は常に受動状態にあって,能動状態にあることはできないと解されるおそれがあります。しかしそれを力関係で把握するならそうはなりません。この系Corollariumがいっているのは,単に受動に隷属しているということだけであって,その力が大きいか小さいかということは関係ないからです。ですからもしも現実的に存在する人間が,この力よりも大きな力で働くなら,この人間は能動状態にあることになります。しかしこの力より小さな力で働いているときは,受動状態にあるということになるでしょう。つまり基礎的な条件として,現実的に存在する人間は常に受動に隷属しているけれども,働きを受けるその力より大きな力で働くとき,人間は能動的であることができるということが,國分の説明からは帰結させることができます。
コメント
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