スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京スポーツ賞川崎マイラーズ&実践倫理

2023-05-18 19:39:53 | 地方競馬
 昨晩の第15回川崎マイラーズ
 アイウォールとアランバローズがハナを奪いにいきました。枠なりにアイウォールの逃げとなり,アランバローズが2番手。向正面に入るところで3馬身差の3番手にファルコンビーク。2馬身差でリンゾウチャネル。2馬身差でオーヴェルニュ。6番手にデュードヴァン。4馬身差でゴールドホイヤー。3馬身差でグランデラムジーとトランセンデンスが併走し,最後尾にスワーヴアラミスと,縦長の隊列。前半の800mは49秒8のハイペース。
 3コーナー付近でアランバローズにアクシデントが発生。心房細動か鼻出血だったのではないかと推測しますが,このためにずるずると後退。後続はそれを避けなければならなかったので,アイウォールのリードが広がりました。コーナーで3馬身差の2番手まで追い上げてきたのがオーヴェルニュ。内のデュードヴァンが3番手で外のファルコンビークが3番手。その後ろにリンゾウチャネルとゴールドホイヤー。直線に入るとオーヴェルニュの外にデュードヴァンが並び掛けて2頭が競り合いながらアイウォールを追う形になりましたが,アイウォールがフィニッシュに向けてはむしろ差を広げていき,逃げ切って優勝。最後尾から向正面で動き出し,直線は大外から競り合う2頭を差したスワーヴアラミスが2馬身差で2着。2頭の競り合いはフィニッシュまで続き写真判定。外のデュードヴァンがクビ差の3着で内のオーヴェルニュがハナ差で4着。
 優勝したアイウォールは南関東重賞初挑戦での優勝。前走はこのレースのトライアルレースを勝っていました。トライアルの勝ち馬は斤量で恵まれることもあり,そのまま好走するケースがこれまでも目立っていて,今年もその傾向通りの結果。逃げなくてもレースはできる馬なので,その点は心配することはありません。斤量がほかの馬たちと同じになったときに,同じくらい走れるのかということが,これからの課題となるでしょう。父はエスポワールシチー。Eyewallは台風の目の付近の積乱雲の壁。
 騎乗した船橋の森泰斗騎手雲取賞以来の南関東重賞52勝目。第12回以来3年ぶりの川崎マイラーズ2勝目。管理している浦和の水野貴史調教師は南関東重賞10勝目。川崎マイラーズは初勝利。

 もしスピノザの哲学から実践的な倫理を発見しようとするなら,他人に害悪を与えることを断念することが能動actioとして生じるか受動passioとして生じるかは問われません。ある人間の精神mens humanaの能動はその人間の理性ratioから生じ,第四部定理七によって,その理性から生じる感情affectusが受動感情を抑制しまた除去することになります。他人に害悪を与える要因となる感情がその人間の能動によって抑制されたり除去されたりするのは,すべてこの様式によります。他面からいえば,現実的に存在する人間は,理性に従っている限りでは他人に害悪を与えようとする受動感情を抑制したり除去したりすることになるので,実際に他人に害悪を及ぼすような行為をなすことはありません。スピノザの哲学の実践倫理においては,これと同じことが現実的に存在する人間に生じるのであれば,つまり他人に害悪を与えることを断念すること,また他人に害悪を与えることを生じさせるような受動感情が抑制されたり除去されたりするのであれば,それは能動である必要はなく受動であっても構わないことになっています。これはスピノザが新約聖書の教えを高評価することと関係していますが,そのことはこれまでに何度も述べてきたことなので,ここでは繰り返しません。
                                   
 スピノザは第四部定理五四備考の中で,受動感情の有用性について語っています。そのとき,不安metusという感情を有用な感情のひとつとして提示しています。それはこの感情が,たとえば僕がこの考察の中で示したように,憎しみodiumという感情を抑制したり除去したりするのに役立つ感情であるからです。したがって,実践倫理の側面からは,不安という感情を抱くこと自体が受動であるにもかかわらず,その受動は有用な受動であり得るのです。このことは新約聖書についての見解opinioを詳しく示している『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』に訴えずとも,『エチカ』から汲み取ることができるものなのです。
 ただしあくまでもこれは実践倫理の側面からいわれているのであって,能動であるか受動であるかということ,つまりその人間のvirtusであるか徳でないかという観点を含むものではありません。徳であるかないかは,行為だけからは判断できないのです。
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