スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ラジオNIKKEI盃若潮スプリント&運動の方向

2023-05-03 19:06:10 | 地方競馬
 昨晩の第3回若潮スプリント。森泰斗騎手が2レースのパドックで左足を挫創したためフジコチャンは今野騎手に変更。
 逃げたのはハーンドルフ。2番手にメンコイボクチャンで3番手にナナドリーム。発馬後に躓いたクラティアラが4番手まで追い上げ,5番手にナックサンライズとフジコチャンで7番手のコスモイグローク,スタードラマー,ハーモニーアルゴルまで一団。2馬身差でワンダーランド。2馬身差でバシュラマック。2馬身差の最後尾にグリーリー。前半の600mは35秒6のハイペース。
 3コーナーを回るとハーンドルフとメンコイボクチャンが併走に。3番手にナナドリームでその後ろにクラティアラとフジコチャン。直線に入るとメンコイボクチャンが先頭に。馬群を割るように抜けてきたのがクラティアラで外から追ってきたのがフジコチャン。しかし2頭とも抜け出したメンコイボクチャンには追い付けず,優勝はメンコイボクチャン。外のフジコチャンが4分の3馬身差の2着でクラティアラが1馬身差で3着。
 優勝したメンコイボクチャンは南関東重賞初制覇。デビューは北海道で3歳になってから南関東に転入。前走が転入初戦で5着。北海道時代はイノセントカップで2着があり,能力的には通用しておかしくありませんでした。前走は転入初戦の上に12月以来のレースだったこともあり,その能力を全開するという状態にはなかったということだったのだと思います。これが本来の能力と判断してよいのではないでしょうか。父はコパノリチャード。母の父がアグネスデジタルで祖母の父がフジキセキ
 騎乗した船橋の澤田龍哉騎手はフジノウェーブ記念以来の南関東重賞3勝目。若潮スプリントは初勝利。管理している渡辺貴光調教師は開業から1年3ヶ月で南関東重賞初勝利。

 現実的にAという人間とBという人間が存在していると仮定します。そしてBが銃を持ってAを恐喝し,Aが金品をBに手渡したとします。このとき,AがBに金品を手渡したその行為は,Aの能動actioであるか受動passioであるかと問われれば,Aの受動であるとほとんどの人が答えるでしょう。
                                        
 AがBに対して金品を手渡す行為は,Aの身体的運動としてだけみれば,Aの身体corpusそのものの条件やその身体の可動域といった制約があるとはいえ,Aの身体の構成関係から考えることができる徳virtusであるといわなければなりません。これは第四部定理五九備考で,殴打という身体的運動が徳であるといわれているのと同じ理由です。そして実際にAのこの身体的運動は,A自身の徳である場合もあり得ます。たとえばAが慈善行為によってBに何らかの金品を手渡すとしても,身体の運動motusのあり方は恐喝によってBに金品を手渡す運動と同じものであり得ます。このとき,Aが慈善行為によってBに金品を手渡す,一般的にはこれは寄付をするといわれる行為ですが,この行為は必然的にnecessarioAの能動であるとまではいえないにしても,Aの能動であり得るということは,多くの人が同意できることではないかと思います。
 この寄付行為がAの能動であるのは,Aの行為がAからBに向かっているということのうちにあるのではありません。AがBに金品を手渡すという行動の方向がAからBに向かっているという点では,AがBに対して寄付をしていようと,Bに恐喝されていようと同じようにAからBに向かっているといわなければならないからです。たとえばBがAを動けないようにして無理矢理Aから金品を奪う,これは恐喝ではなく強盗ですが,その場合は行動の方向はBからAへ向かっています。したがって,もし行動の方向によって能動と受動を分かとうとするなら,AがBに恐喝されて金品を手渡す場合はAの能動であり,AがBに強盗されるならAの受動であるということになってしまいます。しかしこれは不条理でしょう。要するにこの例が示しているのは,身体の運動によって能動か受動かを判断できないということと同時に,運動の方向でもそれは決定できないということです。
コメント
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