スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&ふたつの課題

2023-05-26 19:30:29 | 将棋
 飯塚市で指された昨日の第34期女流王位戦五番勝負第三局。
 伊藤沙恵女流四段の先手で里見香奈女流王位のノーマル向飛車。先手が居飛車穴熊に組もうとしたところで後手から飛車交換を挑むと,先手がすんなりと応じて自陣飛車を打ちました。それに対して後手は角を切って猛攻
                                        
 後手は☖2六歩と垂らしました。先手は後手の飛車を排除する術がないので☗同飛と取り☖5九飛成☗同銀☖3五角の王手飛車を甘受。これには☗4六飛☖4五歩☗3六歩が一般的な手順で,苦しくてもそのように指した方がよかったかもしれません。実戦は☗4六飛打としました。これにも後手は☖4五歩。そこで☗2一飛成とし,☖4六歩に☗3六歩。
                                        
 ここで☖2六飛と打つ手を先手は見落としていたようです。見落としていたのならここまでの手順は変更の余地がなかったことになります。第2図からの☖2六飛はいかにも振飛車らしい切り返しといえそうですが,見落とすような類の手とも思えず,飛車交換に応じたことも含めて,この将棋は先手がやや不調であったように感じられます。
 里見女流王位が勝って2勝1敗。第四局は来月7日に指される予定です。

 事情はこの通りではあるのですが,憎しみodiumが受動感情であるのに対し,愛amorは能動感情の場合もあるし受動感情の場合もあるので,さらに考えておかなければならないことがふたつあります。
 ある受動感情が第四部定理七の様式によって理性ratioから生じる感情affectusによって抑制されたり除去されたりすることがあるならば,そのことは有徳的であるといわれなければなりません。これは第四部定理二四から明白です。したがって,受動的に発生した愛が,理性から生じた感情によって抑制されたり除去されたりすることがあるならば,それは有徳的なことが生じたということになります。有徳的でありさえすれば合倫理的であることができるということ,いい換えれば現実的に存在する人間は理性に従っていれば合倫理的であることができるということが前提となっているから,合倫理的であることは有徳的でなくても構わないというようにスピノザは推奨しています。ということは,受動的な愛が抑制されたり除去されたりすることが有徳的かつ合倫理的であるということになります。これは愛が一般的に合倫理的な感情であるということと矛盾するのではないかという疑問が生じ得るでしょう。これがひとつめの課題です。
 もうひとつは,第三部定理三九で,自分自身にmalumが生じる場合には,親切をなすことを断念するといわれているとき,悪が生じることが能動的に生じるなら,親切をなすことを断念するということが有徳的であるといわれることになるという点です。このことは,憎しみによって害悪を与えることを断念することが,不安metusという感情のみから生じるわけではなく,能動的にも生じ得るとしているわけですから,愛の場合にも同じように成立するといわなければならないでしょう。すると,親切をなすことを断念すること,あるいは完全に断念しないまでも,抑制されるとすれば,そのこと自体が有徳的であるといわれなければならないことになります。すると,親切をなすということが合倫理的であるといわれることと矛盾するように思えます。こちらがふたつめです。
 このふたつめの課題はそれ自体がさらにふたつの観点を含んでいると考えなければなりません。
コメント
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