昨晩の第50回戸塚記念。
好発はギャルダル。内からキャッスルトップが追い抜いての逃げ。控えたギャルダルが2番手。3番手にトランセンデンスとジョエルとランドファースト。6番手にセイカメテオポリスとギガキング。8番手にサヨノグローリー。9番手にスセリヒメとブライトフラッグ。ピースオブホースだけが前の10頭から大きく離れた最後尾。超ハイペースでした。
2周目の向正面でキャッスルトップとギャルダルの差が半馬身くらいに。トランセンデンスとジョエルがそれを追い,ランドファーストは後退。セイカメテオポリスとギガキングがその後ろになりました。3コーナーではギャルダルが先頭に出てキャッスルトップは一杯。ジョエルが2番手でトランセンデンスが3番手に。3馬身ほど離れてセイカメテオポリスとギガキング。直線に入って一旦はギャルダルが後ろとの差を開きましたが,トランセンデンスとジョエルが並んでまた差を詰めていきました。さらに最内を回ったセイカメテオポリスが,ギャルダルとトランセンデンスの間から鋭く伸び,粘ろうとするギャルダルを差し切って優勝。1馬身差の2着は大接戦。制したのは真中のトランセンデンス。外のジョエルがハナ差の3着。内容的には最も強かったギャルダルはハナ差で4着。
優勝したセイカメテオポリスは南関東重賞初制覇。このレースは実績馬が多く出走していて,この馬はこれまでの戦績では劣っていたので,僕は軽視していました。ただ,春のクラシックで結果を出せなかったのは,体調面が整っていなかったからなのかもしれません。大接戦となった2着争いの3頭は,実績上位でしたから,位置取りがよかったとはいえ,この馬も遜色のない力をもっていたと解するべきでしょう。川崎コースに対する適性も高いのかもしれません。母の父はディープスカイ。Meteo Polisはフランス語で,おそらく天気予報を出す会社のことだと思われます。
騎乗した大井の矢野貴之騎手はスパーキングサマーカップに以来の南関東重賞25勝目。第44回以来となる6年ぶりの戸塚記念2勝目。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞6勝目。戸塚記念は初勝利。
理由はどうあれ,たとえ方法の上でのことであったとしても,第三種の認識cognitio tertii generisによって認識するcognoscereことの方が,第二種の認識cognitio secundi generisによって認識することより明瞭であるというなら,第三種の認識は第二種の認識より優れているという結論を出すことができるように思えます。要するに,第二部定理四〇備考二では,第三種の認識は第二種の認識よりも優れた認識であるという意味のことがいわれているのだと解することができそうです。そしてこの解釈は,必ずしも誤りであるとはいえない面があると僕は考えています。
たとえば第五部定理二五は,ものを第三種の認識で認識することは精神mensの最高の徳virtusであるといわれています。ここでいわれている徳とは,第四部定義八でいわれている徳にほかなりません。したがってその定義Definitioに倣う限り,もしもある人間が現実的に存在しているとして,この人間の精神mens humanaにとっての徳とは,その人間の精神が十全な原因causa adaequataとなって何かを認識するということにあります。第一種の認識cognitio primi generisはこの様式の認識には該当しませんが,第二種の認識と第三種の認識はどちらもこの様式に適った認識です。よってものを第二種の認識で認識するということは,それを認識する人間の精神にとっての徳であり,同様に第三種の認識でものを認識することも,その人間にとっての徳です。
第五部定理二五がいっているのは,ものを第二種の認識で認識することも第三種の認識で認識することも,同じように徳ではあるけれども,どちらが最高の徳なのかといえば,それは第三種の認識で認識することの方であるということになるといえるでしょう。したがって少なくとも徳という観点からは,スピノザは第三種の認識の方が第二種の認識よりも優れているといっていると解して間違いないように思えます。
さらに第五部定理二七は,人間の精神が現実的に存在するとき,その精神にとっての最高の満足summa Mentis acquiescentiaは,ものを第三種の認識で認識することによって生じるといっています。つまり,ものを第一種の認識で認識したり第二種の認識で認識したりすることによって,仮に満足が生じるとしても,その満足は第三種の認識でものを認識したときに生じる満足ほど強くはないのです。
好発はギャルダル。内からキャッスルトップが追い抜いての逃げ。控えたギャルダルが2番手。3番手にトランセンデンスとジョエルとランドファースト。6番手にセイカメテオポリスとギガキング。8番手にサヨノグローリー。9番手にスセリヒメとブライトフラッグ。ピースオブホースだけが前の10頭から大きく離れた最後尾。超ハイペースでした。
2周目の向正面でキャッスルトップとギャルダルの差が半馬身くらいに。トランセンデンスとジョエルがそれを追い,ランドファーストは後退。セイカメテオポリスとギガキングがその後ろになりました。3コーナーではギャルダルが先頭に出てキャッスルトップは一杯。ジョエルが2番手でトランセンデンスが3番手に。3馬身ほど離れてセイカメテオポリスとギガキング。直線に入って一旦はギャルダルが後ろとの差を開きましたが,トランセンデンスとジョエルが並んでまた差を詰めていきました。さらに最内を回ったセイカメテオポリスが,ギャルダルとトランセンデンスの間から鋭く伸び,粘ろうとするギャルダルを差し切って優勝。1馬身差の2着は大接戦。制したのは真中のトランセンデンス。外のジョエルがハナ差の3着。内容的には最も強かったギャルダルはハナ差で4着。
優勝したセイカメテオポリスは南関東重賞初制覇。このレースは実績馬が多く出走していて,この馬はこれまでの戦績では劣っていたので,僕は軽視していました。ただ,春のクラシックで結果を出せなかったのは,体調面が整っていなかったからなのかもしれません。大接戦となった2着争いの3頭は,実績上位でしたから,位置取りがよかったとはいえ,この馬も遜色のない力をもっていたと解するべきでしょう。川崎コースに対する適性も高いのかもしれません。母の父はディープスカイ。Meteo Polisはフランス語で,おそらく天気予報を出す会社のことだと思われます。
騎乗した大井の矢野貴之騎手はスパーキングサマーカップに以来の南関東重賞25勝目。第44回以来となる6年ぶりの戸塚記念2勝目。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞6勝目。戸塚記念は初勝利。
理由はどうあれ,たとえ方法の上でのことであったとしても,第三種の認識cognitio tertii generisによって認識するcognoscereことの方が,第二種の認識cognitio secundi generisによって認識することより明瞭であるというなら,第三種の認識は第二種の認識より優れているという結論を出すことができるように思えます。要するに,第二部定理四〇備考二では,第三種の認識は第二種の認識よりも優れた認識であるという意味のことがいわれているのだと解することができそうです。そしてこの解釈は,必ずしも誤りであるとはいえない面があると僕は考えています。
たとえば第五部定理二五は,ものを第三種の認識で認識することは精神mensの最高の徳virtusであるといわれています。ここでいわれている徳とは,第四部定義八でいわれている徳にほかなりません。したがってその定義Definitioに倣う限り,もしもある人間が現実的に存在しているとして,この人間の精神mens humanaにとっての徳とは,その人間の精神が十全な原因causa adaequataとなって何かを認識するということにあります。第一種の認識cognitio primi generisはこの様式の認識には該当しませんが,第二種の認識と第三種の認識はどちらもこの様式に適った認識です。よってものを第二種の認識で認識するということは,それを認識する人間の精神にとっての徳であり,同様に第三種の認識でものを認識することも,その人間にとっての徳です。
第五部定理二五がいっているのは,ものを第二種の認識で認識することも第三種の認識で認識することも,同じように徳ではあるけれども,どちらが最高の徳なのかといえば,それは第三種の認識で認識することの方であるということになるといえるでしょう。したがって少なくとも徳という観点からは,スピノザは第三種の認識の方が第二種の認識よりも優れているといっていると解して間違いないように思えます。
さらに第五部定理二七は,人間の精神が現実的に存在するとき,その精神にとっての最高の満足summa Mentis acquiescentiaは,ものを第三種の認識で認識することによって生じるといっています。つまり,ものを第一種の認識で認識したり第二種の認識で認識したりすることによって,仮に満足が生じるとしても,その満足は第三種の認識でものを認識したときに生じる満足ほど強くはないのです。