スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ケンタッキーダービー&投票行動

2023-05-07 18:56:02 | 海外競馬
 日本時間の今朝,アメリカのチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーダービーGⅠダート2000m。
 デルマソトガケは発馬で左によれてしまいました。マンダリンヒーローは10番手前後の集団。発馬の影響で序盤は後方になってしまったデルマソトガケは漸進して向正面ではマンダリンヒーローに近い位置まで上昇。3コーナーにかけてデルマソトガケはさらに前の集団との差を詰めていきました。マンダリンヒーローはここで動くことができず,前の集団との差が開きました。直線はかなりごちゃごちゃしました。デルマソトガケは進路に関してとくに不利があったようには見えませんでしたし,一杯になってしまったわけでもなかったのですが,前に位置していた馬たちでの優勝争いに加わることはできず,勝ち馬からおよそ8馬身差で6着。マンダリンヒーローは3コーナー手前で開いた前との差を詰めることができず,勝ち馬からおよそ20馬身4分の1差で12着でした。
 マンダリンヒーローはともかくデルマソトガケはどちらかといえば前よりの位置でレースを進める馬なので,発馬の不利は大きいものでした。とくにこのレースは前に位置していた馬が1着と2着を占めましたので,展開面からもなおさらであったように思います。これだけ差がありますので勝ち負けまでは厳しかったかもしれませんが,発馬で不利がなければ,勝ち馬との差はもう少し縮まったものと思います。マンダリンヒーローはペースアップしたところで対応できませんでしたので,その点は今後の課題となるでしょう。距離にもやや不安があるのかなという印象も受けました。

 民主主義国家における選挙の投票行動は,無条件に能動であると思われるかもしれません。いい換えれば,法的に保障されている自由libertasの権利juraの行使であると思われるかもしれません。しかし,力potentiaの対比という観点を採用する限り,必ずしもそうであると断定できるわけではないのです。たとえばAが,その時代の雰囲気に流されてだれかに投票するということがあるとすれば,このAの投票行動に対する力は,A自身の本性essentiaによって説明される力より,時代の雰囲気とか空気といったものによって説明される力の方が大きいことになります。したがってAの投票行動は,この場合にはAの能動ではなく受動passioであるということになります。したがってAは与えられている投票の自由という権利を行使しているのではないといわなければなりません。なぜなら,人間にとっての自由とは,その人間にとっての能動についていわれるというのが原則であるからです。
                                   
 もちろんだからといって,この投票する自由を剥奪してよいというわけではありません。人間には受動的自由というものもあるのであって,受動的自由としての投票行動を規制するのは,現実的に存在する人間に対して必然的にnecessario与えられている条件や制約の下での行動を規制するのと同じことだからです。いい換えれば,この種の法的に保障されている自由,投票の自由に限らずすべての法的な自由は,現実的に存在する人間の能動的自由だけを保障しているわけではなく,受動的自由も擁護していると解するべきだからです。他面からいえば,受動的自由に従って行動する人間が現にいるということを前提として,自由は法的に保障されていると考えなければなりません。
 このことから僕たちはふたつのことを知ることができます。ひとつは僕たちが自身の能動であると信じて疑わないことの中にも,受動が含まれている可能性があるということです。もうひとつは,法的に自由が保障されているからといって,その法の下で現実的に存在する人間がその自由を能動的に行使するとは限らないということです。他面からいえば,法的に保障されているから法の下に暮らす人びとが自由であることが保障されるわけではないということです。
コメント
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