個人的には三強の争いで,伏兵がどこまで食い込めるかというレースではないかと考えていた第21回埼玉栄冠賞。
好発を決めたのはカキツバタロイヤル。これを内から制してケイアイライジンの逃げ。タカオセンチュリーが2番手につけ,カキツバタロイヤルは3番手に控えて1周目の正面。ここでケイアイライジンがリードを広げると,外からエースオブタッチが追い上げて2番手に上がりました。多少の出入りがあったわけですが,ペースはそれほど早くはならず。
前半は最後尾付近に構えていたボランタスは例のごとく2周目の向正面で発進。3コーナーでは早くも先頭に並ぼうかの勢い。カキツバタロイヤルは対応しましたが,タカオセンチュリーは対処できずにあえなく後退。ケイアイライジン,カキツバタロイヤル,ボランタスの3頭が雁行で直線。追ってきたキスミープリンスが4番手も,やや差があって前3頭の争いに。脱落したのがケイアイライジン。あとの2頭がゴールまで競り合いましたが,先に前に出ていたボランタスが優勝でカキツバタロイヤルが2着。ケイアイライジンは健闘といっていい3着。
優勝したボランタスは正月のオールスターカップ以来となる南関東重賞3勝目。ここは力量上位で三強の一角。安定して走れない面は相変わらずあるのですが,今日は力を十全に出し切れました。浦和コースはどうやら走りやすいようです。Voluntasは『エチカ』にも現れるラテン語で,岩波文庫版の訳語は意志。
騎乗した川崎の山崎誠士騎手はオールスターカップ以来の南関東重賞制覇。埼玉栄冠賞は初勝利。父である川崎の山崎尋美調教師は南関東重賞5勝目。埼玉栄冠賞は初勝利。
それでは第二部定理三九のスピノザによる証明の詳しい検証に移ることにします。ここでも,Aという人間が現実的に存在し,Bという物体がこのAという人間の身体を刺激するという場合を考えます。人間Aが物体Bによって刺激をされるということが現実的に考えられる現象であるということについてはもう説明は不要でしょう。
ここでは,AとBのうちにのみ特有に存在しているXというものを仮定してみます。スピノザは第二部定理三八でも第二部定理三九でも,このXに該当するものが,AとBの全体にも部分にも等しく含まれていることを仮定として示しています。これはおそらく第二部定義七とまずは関連していて,スピノザは複数の個物によって構成されている個物というのを想定しているので,このようにいう必要があったものと思います。とくに人間について示そうとするなら,岩波文庫版117ページの第二部自然学②要請一からも,絶対的に必要であったと考えられますし,とくに第二部定理三九の場合は,僕の考えではたぶんスピノザは人間がほかの人間と出会うことによって関係し合う場合というのを現実的な事柄として考慮に入れていたのではないかと思うので,なおこのことを強調する必要があったということはいえるのではないかと思います。ただし,現在の考察との関連では,このことにこだわる必要はありませんので,単にXがAとBとに特有のもの,いわば各々の本性から帰結するような特質として備わっているとのみ仮定します。
そこでこの場合にBのうちに存在するXによってAが刺激されるなら,第二部定理一六によって,Aの精神のうちにはXの観念が発生することになります。しかるにXというのは,AとBには特有であって,各々の本性から帰結するような特質と仮定されていますから,このXの観念は,Aの観念を有する限りで神のうちにあるでしょうし,Bの観念を有する限りで神のうちにあるでしょうが,ほかのものの観念を有する限りでは神のうちにはないでしょう。このとき,Aの観念を有する限りでの神とは,Aの精神です。いい換えれば,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにはXの観念があるということになりますので,Aの精神のうちにはXの十全な観念があるということになります。
好発を決めたのはカキツバタロイヤル。これを内から制してケイアイライジンの逃げ。タカオセンチュリーが2番手につけ,カキツバタロイヤルは3番手に控えて1周目の正面。ここでケイアイライジンがリードを広げると,外からエースオブタッチが追い上げて2番手に上がりました。多少の出入りがあったわけですが,ペースはそれほど早くはならず。
前半は最後尾付近に構えていたボランタスは例のごとく2周目の向正面で発進。3コーナーでは早くも先頭に並ぼうかの勢い。カキツバタロイヤルは対応しましたが,タカオセンチュリーは対処できずにあえなく後退。ケイアイライジン,カキツバタロイヤル,ボランタスの3頭が雁行で直線。追ってきたキスミープリンスが4番手も,やや差があって前3頭の争いに。脱落したのがケイアイライジン。あとの2頭がゴールまで競り合いましたが,先に前に出ていたボランタスが優勝でカキツバタロイヤルが2着。ケイアイライジンは健闘といっていい3着。
優勝したボランタスは正月のオールスターカップ以来となる南関東重賞3勝目。ここは力量上位で三強の一角。安定して走れない面は相変わらずあるのですが,今日は力を十全に出し切れました。浦和コースはどうやら走りやすいようです。Voluntasは『エチカ』にも現れるラテン語で,岩波文庫版の訳語は意志。
騎乗した川崎の山崎誠士騎手はオールスターカップ以来の南関東重賞制覇。埼玉栄冠賞は初勝利。父である川崎の山崎尋美調教師は南関東重賞5勝目。埼玉栄冠賞は初勝利。
それでは第二部定理三九のスピノザによる証明の詳しい検証に移ることにします。ここでも,Aという人間が現実的に存在し,Bという物体がこのAという人間の身体を刺激するという場合を考えます。人間Aが物体Bによって刺激をされるということが現実的に考えられる現象であるということについてはもう説明は不要でしょう。
ここでは,AとBのうちにのみ特有に存在しているXというものを仮定してみます。スピノザは第二部定理三八でも第二部定理三九でも,このXに該当するものが,AとBの全体にも部分にも等しく含まれていることを仮定として示しています。これはおそらく第二部定義七とまずは関連していて,スピノザは複数の個物によって構成されている個物というのを想定しているので,このようにいう必要があったものと思います。とくに人間について示そうとするなら,岩波文庫版117ページの第二部自然学②要請一からも,絶対的に必要であったと考えられますし,とくに第二部定理三九の場合は,僕の考えではたぶんスピノザは人間がほかの人間と出会うことによって関係し合う場合というのを現実的な事柄として考慮に入れていたのではないかと思うので,なおこのことを強調する必要があったということはいえるのではないかと思います。ただし,現在の考察との関連では,このことにこだわる必要はありませんので,単にXがAとBとに特有のもの,いわば各々の本性から帰結するような特質として備わっているとのみ仮定します。
そこでこの場合にBのうちに存在するXによってAが刺激されるなら,第二部定理一六によって,Aの精神のうちにはXの観念が発生することになります。しかるにXというのは,AとBには特有であって,各々の本性から帰結するような特質と仮定されていますから,このXの観念は,Aの観念を有する限りで神のうちにあるでしょうし,Bの観念を有する限りで神のうちにあるでしょうが,ほかのものの観念を有する限りでは神のうちにはないでしょう。このとき,Aの観念を有する限りでの神とは,Aの精神です。いい換えれば,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにはXの観念があるということになりますので,Aの精神のうちにはXの十全な観念があるということになります。