スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第四部定理三七備考一&区別の規準

2021-04-24 19:07:20 | 哲学
 virtusについて説明したとき,第四部定義八により,徳は力potentiamと同一視されて,かつ人間についていわれる徳というのが,人間の能動actioを意味するので,人間の受動passioは人間にとって,力とは正反対の意味で無能impotentiaということになり,スピノザはそのことを肯定しているという主旨のことをいいました。そのことをはっきりと示しているテクストとして,第四部定理三七備考一の一部を示しておきます。
                                   
 「真の徳とは理性の導きのみに従って生活することにほかならない。したがって無能力とは人間が自己の外部にある事物から受動的に導かれ,かつ外界の一般状態が要求する事柄―それ自身だけで見られた彼の本性そのものが要求する事柄ではなく―をなすように外部の事物から決定されることにのみ存する」。
 理性ratioによる認識cognitioは第二種の認識cognitio secundi generisであり,これは共通概念notiones communesを基礎とします。いい換えれば第二部定理三八および第二部定理三九により,十全な観念idea adaequataによる認識です。よって第三部定義二によりこれは能動です。これが真の徳であり力です。これに反して,ある人間がその人間の外部にあるものから働きを受けて生活する場合には,受動といわれ,このテクストではそれは無能力,力と反対の意味で無能力であると明言されています。要するに能動が力で受動は無能力であるというのがスピノザの哲学の基本です。これは能動と受動を,スピノザが,従来とは異なる新たな道徳律として設定したことと大きく関係しているといえるでしょう。
 ただし気をつけなければならないのは,第四部定理四系により,スピノザは現実的に存在する人間が必然的にnecessario受動に隷属するということも肯定しているという点です。つまり能動は力であり受動は無能なのですが,現実的に存在する人間が無能であるということ,あるいは無能であらざるを得ないということも同時に認めているのです。つまり受動が無能力であるということで,受動的であることを全面的に非難する意図はスピノザにはなかったと解するべきでしょう。いい換えるなら,スピノザが設定した道徳律は,現実的に存在する人間によって完全に遵守することはできない道徳律なのです。

 現実的に存在するAとBが共通の本性naturaを有している場合があるということをスピノザが認めているということは,第一部定理八備考二から判明しています。そしてこの共通の本性が,第二部定理八でいわれている形相的本性essentiae formalesである可能性は否定できません。そしてこのことが成立しているとすれば,個物の形相的本性が神の属性Dei attributisに含まれている限りでは,AとBは区別されていないことになります。AとBは何らかの相違によって区別されるのであり,共通のものによって区別されることはないからです。このことは一般的に,どんな事物であったとしてもそれらが区別されるのなら何らかの相違によって区別されるのであり,それらのものに共通のものによっては区別され得ないということから明白でしょう。
 前もっていっておいたように,この区別distinguereの問題が,柏葉の論文では中心的課題のひとつになっています。第二部定理八備考のスピノザの言及をさらに進めることによって,柏葉の課題が理解できます。
 円には,その中で相互に交わるすべての直線の線分からなる長方形が相互に等しいという本性があり,この円の本性により,円の中には無限に多くのinfinita相互に等しい長方形が含まれています。この長方形は,円が存在する限りにおいて存在するのであり,これと同様に,長方形の観念ideaも円の観念の中に包容されている限りにおいて存在するのです。
 次に,これら無限に多くの長方形のうち,ある二本の線分からなる長方形は現実的に存在すると仮定します。この場合は,この長方形の観念も,円の観念に包容される限りにおいて存在するといわれるばかりではなく,この長方形の存在existentiaを含む限りにおいて存在する,いい換えれば現実的に存在するといわれる限りにおいても存在するようになるのです。そして備考Scholiumの最後でスピノザがいっているのは.このことによってこの長方形の観念は,ほかの長方形の観念と区別されるということです。
 柏葉はこの最後の部分に注目する必要があると強調しています。つまりスピノザは,ある長方形の観念がほかの長方形の観念と区別される規準を,備考のこの部分で示しているのだといっているのです。僕もこの点に同意します。
コメント
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