スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サッポロビール盃マリーンカップ&証明の冒頭

2021-04-08 18:58:39 | 地方競馬
 昨晩の第25回マリーンカップ
 サルサディオーネがハナへ。2番手はフェアリーポルカ,マドラスチェック,レッドアネモスの3頭で,この4頭は一団。3馬身差でシーアフェアリー。6馬身差でテオレーマ。3馬身差でアブソルートクインと,残りの3頭はばらばら。前半の800mは48秒2のハイペース。
 サルサディオーネを積極的に捕まえにいったのがマドラスチェックで,3コーナーで並び掛け,ここから2頭が併走で直線に。フェアリーポルカとレッドアネモスは競り合う前の2頭から徐々に離されていきました。直線でも前の2頭は激しく競り合い,2頭の優勝争いかと思われましたが,離れた後方2番手にいたテオレーマが外から鋭い差し脚を発揮。競り合う2頭を差し切って優勝。サルサディオーネを競り落としたマドラスチェックが2馬身差で2着。サルサディオーネが半馬身差で3着。
 優勝したテオレーマは重賞初挑戦での優勝。ここは牝馬のダート重賞で実績を残している2頭に,前走で牡馬を相手に3勝クラスを勝ったこの馬と,芝で実績を残して初めてのダート戦となる2頭がどこまで食い込めるのかが焦点。実績上位の2頭が早くから競り合うレースになったため,控えていたテオレーマが恵まれた面はありましたし,斤量が1キロ軽かったのも有利になったでしょう。とはいえラストの600mで36秒台の末脚を発揮して優勝という内容は素晴らしく,この路線に新星が登場したと判断してよいと思います。父はジャスタウェイ。Teoremaはスペイン語で定理。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手と管理している石坂公一調教師はマリーンカップ初勝利。

 第一部定理二八が,個物res singularis一般が現実的に存在する場合だけでなく,個物が神Deusの属性attributumに包容されて存在しているといわれる限りでも成立しなければならない定理Propositioであるのに対して,第二部定理九は,個物の観念ideaが現実的に存在するといわれる場合にのみ適用される定理であるという僕の見解opinioの根拠は,各々の定理の文言にあります。とくに第二部定理九が,現実的に存在する個物の観念にのみ適用が可能であるということは,その文言から明らかだといえるでしょう。一方,第一部定理二八の方には,明確な文言がありませんので,僕の見解に対しては異議が出される可能性があるということは,僕も認めざるを得ません。とくに,個物が現実的に存在する場合のことというのは,『エチカ』では第二部定理八系から本格的な議論が始まるのですから,それ以前に置かれている第一部定理二八において,何事もいわれないのは当然と受け取ることができるからです。ただ,僕自身の見解はこの通りですので,僕の考察はこの見解を基にしたものとなります。
 第二部定理九をスピノザが論証するとき,冒頭でいっているのは,現実的に存在する個物の観念というのは,思惟Cogitatioの特定の様態modiであって,ほかの様態とは区別されるものであるということです。実は第一部定理二八の論証Demonstratioではこの種のことは何もいわれていません。したがって,現実的に存在する個物の観念が,ほかの様態と区別されるものであるという点は,第二部定理九を証明するにあたって重要な事柄であるとスピノザは考えていたと解するのが妥当だと僕は考えます。一方,スピノザはこの定理の証明の最後の方では,観念の秩序ordoと連結connexioが,原因causaの秩序と連結に同一であるということを主張していて,そのために第二部定理七に訴えています。このことは第二部定理七の証明の意味を確定させるための,重要な点のひとつを構成します。したがって,現実的に存在する個物の観念が,ほかの観念と区別されるような特定の思惟の様態cogitandi modiであるとするなら,その観念対象ideatumについても同じことがいわれなければならないと僕は考えます。つまり現実的に存在する個物とは,ほかの様態とは区別されるような特定の様態であることになるのです。
コメント
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