スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大阪杯&除去されない肯定

2021-04-04 19:29:31 | 中央競馬
 第65回大阪杯。大野騎手が頸椎の捻挫のためペルシアンナイトは幸騎手に変更。
 好発はサリオス。外から2頭が抜いていき,逃げたのはレイパパレ。リードは1馬身半。2番手にハッピーグリン。2馬身差で控えたサリオスとワグネリアン。2馬身半差でグランアレグリア。3馬身差でクレッシェンドラヴとアドマイヤビルゴ。1馬身差でアーデントリー。2馬身差でコントレイル。2馬身差でカデナとモズベッロ。2馬身差でブラヴァス。3馬身差の最後尾にペルシアンナイトと縦長の隊列。前半の1000mは59秒8のハイペース。
 ハッピーグリンは3コーナーで下がっていきました。内を回ってサリオスが2番手に。外からグランアレグリアが追い上げ,この外にコントレイルが併せてきて3頭が横一線に。少し離れた5番手に外からモズベッロが進出。直線に入ると逃げたレイパパレは直線の中ほどまで持ち出し,サリオスは内埒沿い。このコース取りで瞬間的に差が詰まりましたが,レイパパレが再び突き放し,そのまま逃げ切って優勝。これも馬場の中央近くで競り合うグランアレグリアとコントレイルの外からモズベッロが差して4馬身差の2着。競り合いを制したコントレイルが4分の3馬身差の3着でグランアレグリアがクビ差で4着。サリオスは1馬身4分の1差で5着。
 優勝したレイパパレはこれでデビューから6連勝。重賞は前走のチャレンジカップに続く2勝目で大レースは初制覇。この馬はまだ底を見せていませんでしたが,ここは実績が上位の馬が揃っていたため試金石。それをいきなり突破したのですから高く評価しなければならないでしょう。もちろん馬場の状態が結果に影響を与えた面があったとは思いますが,今後も大きな活躍を期待してよさそうです。父はディープインパクト。母の父はクロフネ。祖母の父は1993年に弥生賞,日本ダービー,京都新聞杯を勝ったウイニングチケットフロリースカップモンテホープの分枝。5つ上の半兄に2014年にホープフルステークス,2017年にCBC賞を勝ったシャイニングレイ。Lei Papaleはハワイ語で帽子の縁に飾るレイ。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手は先週の高松宮記念に続く大レース26勝目。大阪杯は初勝利。管理している高野友和調教師は2015年のジャパンカップ以来の大レース3勝目。大阪杯は初勝利。

 虚偽falsitasは真理veritasによっては排除されることも阻害されることもないということは,不可能なものに対する肯定affirmatioは,必然的なものに対する肯定によっては排除されることもないし阻害されることもないということを帰結させます。つまり,たとえばある人間が,死んだ人間は生き返ることはないということを肯定している,いい換えればそういう十全な観念idea adaequataを有しているからといって,現実的に存在するある人間,たとえばJという人間に対して,死んだJが甦ったことを肯定する意志作用volitioを有することは排除されないし,阻害されることもありません。同様にある人間が,馬を肯定する意志作用を有している,いい換えれば馬の十全な観念を有しているからといって,馬に対して翼を肯定する意志作用を有することはあるのであって,この意志作用は馬の十全な観念によって排除されることも阻害されることもありません。
 第四部定理一を一般的にいうなら,Xの誤った観念idea falsaすなわち混乱した観念idea inadaequataは,Xが真verumであるということの現在によっては除去されないということです。このことの意味を,虚偽と誤謬を分別するこのブログに照合させていうと,真理は誤謬errorを排除することはできても虚偽を排除することはできないということになります。よって,混乱した観念というのはそれ自体では誤謬ではありませんが虚偽ではありますので,Xの十全な観念とXの混乱した観念が,同じ人間の精神mens humanaのうちに同時に存在することができる,できるというよりそうしたことが現にあるということになります。そして意志作用というのは,個々の観念に対する肯定ないしは否定negatioであって,それは混乱した観念にも含まれているのですから,同じことが意志作用についてもいえます。つまり,Xについてその真理を肯定する意志作用と,Xについて虚偽を肯定する意志作用が,同じ人間の精神のうちに同時にあることができるのです。あるいは,Xについて必然的なことを肯定する意志作用と,Xについて不可能なことを肯定する意志作用が,同じ人間の精神のうちに同時にあることができるといってもいいでしょう。
 ですから,第一部定理一六を説明する場合には,このことも考慮する必要があります。
コメント
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