スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ベイサイドナイトドリーム&両立可能

2021-04-07 19:08:25 | 競輪
 四日市競輪場で開催された昨晩のベイサイドナイトドリームの決勝。並びは平原‐諸橋の関東,深谷-守沢の東日本,松浦-原田‐香川‐福島の中四国で浅井は単騎。
 平原がスタートを取って前受け。3番手に浅井,4番手に松浦,8番手に深谷の周回に。残り2周のホームの出口から深谷が上昇していき,打鐘で平原を叩いて先行。3番手に平原,5番手に浅井,6番手に松浦の一列棒状に。ホームから松浦が発進。バックでそれを牽制しつつ平原も発進し,松浦は不発に。平原は直線入口で逃げる深谷に並ぶところまでいきました。平原は直線で深谷と接触するくらい内にきれ込んでしまい,マークの諸橋が平原を差して優勝。平原が半車輪差の2着で関東のワンツー。バックで浅井の内に潜り込み,諸橋を追う形になった香川が4分の3車身差で3着。
 優勝した新潟の諸橋愛選手は昨年12月の京王閣のFⅠ以来の優勝。グレードレースは2019年7月の弥彦記念以来の優勝でGⅢ8勝目。このレースはラインが長くなった松浦が先行するのか,深谷が先行するのかというのがまず焦点。深谷が先行の場合は3番手をだれが追走するのかも注目点。結果的に深谷の先行になり,3番手に平原が労せずして入りましたので,平原にとって最も有利な展開となりました。平原は深谷マークの守沢を牽制する意味で直線で内に入っていったのかもしれませんが,あるいは余力が十分に残っていなかったための走行だったかもしれません。そこを諸橋が差し込んだというレースでした。

 神Deusの本性naturaの必然性necessitasに則したものは何であれ存在することになり,逆に神の本性の必然性に反するものは存在することが不可能であるということと,僕たちの精神mensは存在することが不可能なものについて,それを肯定する意志作用volitioを有することがあるということは,両立させることが可能であるということは,ここまでの説明から理解することができたのではないかと思います。すなわち,僕たちは混乱した観念idea inadaequataを有する場合にも,それを肯定する意志作用を有しているのですが,それは無を肯定しているということなのです。一方,神の本性の必然性に則しているがゆえに必然的にnecessario存在しなければならないと考えられるもののすべては,存在するのですからそれらは無ではなくて有esseです。ですからたとえ僕たちの精神が,存在することが不可能なものを肯定する意志作用をもつことがある,というよりそうした意志作用を現に有しているとしても,それが無であるという点に注意するなら,神の本性の必然性に則したものはどんなものであっても存在することになるということは揺るがないですし,神の本性の必然性に反するものは存在することが不可能であるということとも,矛盾することはありません。
                                   
 それでは,第二部定理八系でいわれている,神の属性attributumの中に包容されている限りにおいてのみ存在するといわれている個物res singularesのすべてが,現実的に存在するようになるのかどうかということを検討していきます。すでにいったように,柏葉はそのようなことはあり得ないと主張していて,標準的解釈,より正確にいえば,柏葉が解している標準的解釈は,そのことが成立するということを前提としていて,それを前提としていなければ標準的解釈は成立しないというのが柏葉の見解opinioです。
 個物がいかにして存在することになるのかを示しているのは,第一部定理二八です。ただし,僕の解釈では,この定理Propositioというのは,個物が現実的に存在する場合についてのみ妥当する定理ではなく,個物が神の属性に包容されている限りで存在するといわれる場合にも適用されなければなりません。これに対して第二部定理九は,個物の観念が現実的に存在する仕方だけを説明している定理です。
コメント
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