スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京スプリント&条件

2021-04-15 19:09:01 | 地方競馬
 昨晩の第32回東京スプリント
 キャンドルグラスが好発でしたがすぐに控えました。先手を奪いにいったのはベストマッチョ,サイクロトロン,ヒロシゲゴールドの3頭。枠なりにベストマッチョ,サイクロトロン,ヒロシゲゴールドという並びになりましたが,この3頭は集団。3馬身差でリュウノユキナ。5番手にグランドボヌール。6番手にブルミラコロとノボバカラ。8番手にサブノジュニアとキャンドルグラス。10番手にクロスケ。11番手にイモータルスモークでこの8頭は一団。3馬身差でトロヴァオ。13番手にドーヴァー。4馬身差でナイトオブナイツとナリタスターワン。前半の600mは33秒9の超ハイペース。
 前の3頭に対してリュウノユキナが早めに追い掛けていき,4頭が横に並ぶ形で直線に。サイクロトロン,ベストマッチョ,ヒロシゲゴールドの順で一杯になり,リュウノユキナが単独の先頭に。差し込んできたのは馬群を捌いてきたサブノジュニア,外を回ったノボバカラ,さらにその外から伸びたキャンドルグラスの3頭。サブノジュニアが最も詰め寄り,リュウノユキナに並ぶところまでいきましたが,ぎりぎりで残したリュウノユキナが優勝。サブノジュニアがアタマ差で2着。キャンドルグラスが4分の3馬身差で3着。ノボバカラがクビ差で4着。
 優勝したリュウノユキナはこれが重賞初挑戦での勝利。北海道でデビューし2歳のときにJRAに遠征してオープンを勝つなど,早くから活躍していました。JRAに転入してからは徐々に力をつけてきて,昨年9月にオープンで2着になると次のレースも2着。その後にオープンを連勝してここに出走していました。強い雨風の中でのレースでしたので,おそらく先行した馬にはペース以上に不利だったと思われ,その3頭を最も早く追い掛けていき,後続の追い上げを僅かとはいえ凌いだという内容は強かったです。2着馬よりは斤量が2キロ軽かったので,能力で上回っているとは断定できませんが,ダートの1200mのレースでは今後も大きく崩れることなく戦っていくことができるでしょう。父はヴァーミリアン。母の父はクロフネビューチフルドリーマーワールドハヤブサの分枝。母のふたつ上の半姉に2007年にTCK女王盃を勝ったサウンドザビーチ
 騎乗した柴田善臣騎手は東京スプリント初勝利。管理してる小野次郎調教師は第27回以来5年ぶりの東京スプリント2勝目。

 柏葉がいっていることは,それ特有の弱点を抱えていますが,それ自体で不条理なことをいっているわけではありません。とはいえ,神Deusの無限な観念ideaが存在する限りにおいて必然的にnecessario存在する個物res singularisの観念が,現実的に存在することが不可能であるということは,論理的に可能であるだけであり,確かにそのような個物の観念が存在することを確定させるわけではありません。すでにいったように,僕はこのことについては人間の精神mens humanaにとっては不明であると結論するほかないと考えているので,確定させることについて何か結論を出すわけではありませんが,これを解決するためのヒントや条件がどのようなものであるかということについて,いくらかの見解opinioを示しておくことにします。
                                   
 柏葉の論文の中心は,第五部定理二二をどのように解釈するべきなのかという点にあるのですが,僕の考えでは,この第五部定理二二そのものが,この問題に対してある条件をつきつけています。この定理Propositioは,現実的に存在する人間の身体humanum corpusの本性essentiaを永遠の相species aeternitatisの下に表現するexprimere観念が神のうちにあるといっています。現実的に存在する人間の身体の本性とは,個々の人間の現実的本性actualis essentiaにほかなりません。つまり,人間の現実的本性,第二部定理八でいわれている,形相的本性essentia formalisとは異なったものとして解されなければならない現実的本性を,永遠の相の下に表現する観念は,神のうちにあるのです。
 次に,スピノザはこの定理の証明Demonstratioの冒頭で,第一部定理二五に訴えています。第一部定理二五は,神は人間の形相的本性の原因causaであるということだけを意味しているのではなく,神は人間の現実的本性の原因であるという意味も含んでいるといわなければなりません。そして第一部定理二五は,一般に神は個物の本性の原因であるということをいっていると解されなければなりません。よって単に人間の身体の現実的本性の原因が神であるわけではなく,すべての個物の現実的本性の原因が神であることになります。よってこのことに訴求して論証される第五部定理二二についても,単に現実的に存在する人間の身体の本性だけでなく,現実的に存在するすべての個物の本性に妥当しなければなりません。
コメント
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