スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

桜花賞&現実的存在の原因

2021-04-11 19:01:35 | 中央競馬
 第81回桜花賞
 好発はソダシでしたがすぐにストゥーティがハナを奪い,控えたソダシが2番手。3番手にはジネストラ。4番手にファインルージュ,アカイトリノムスメ,ヨカヨカの3頭。7番手にエンスージアズム,アールドヴィーヴル,エリザベスタワー,シゲルピンクルビーの4頭。後方に控えていたメイケイエールは外から上昇していき,3コーナーでは先頭に。12番手にブルーバード,ミニーアイル,ソングラインの3頭。15番手にストライプ,サトノレイナス,ホウオウイクセルの3頭。17頭は一団で,4馬身差の最後尾にククナ。前半の800mは45秒2のミドルペース。
 メイケイエールが先頭に立ったため2番手になったストゥーティですが,直線に入るとメイケイエールは一杯になったため自然と先頭に。少し離れたところからソダシが追ってくるとすぐにストゥーティを差して先頭に。内目を捌いて追ってきたのがファインルージュで,その外からアカイトリノムスメ。さらに大外からは後方に控えていたサトノレイナスの追い込み。しかしこれらの追撃をすべて凌いだソダシがレコードタイムで優勝。大外のサトノレイナスがクビ差の2着。ファインルージュが半馬身差の3着でアカイトリノムスメはクビ差で4着。
 優勝したソダシ阪神ジュベナイルフィリーズ以来のレース。デビューからの連勝を5に伸ばし,重賞4連勝で大レース連勝。このレースは前走で接戦を演じたソダシとサトノレイナスが上位で,その争いに加わってくる馬がいるかどうかが焦点。上位4頭が5着以下を引き離しましたが,3着馬と4着馬は阪神ジュベナイルフィリーズには出走せず,今年に入って重賞を勝った2頭。ですから現状はこの4頭の実力が上位で,オークスでも有力。伏兵候補は桜花賞には出走していない組の中にいるとみた方がよいように思います。父はクロフネ。母の父はキングカメハメハ。3代母がウェイブウインドで母の7つ上の半姉に2010年のNARグランプリで最優秀牝馬に選出されたユキチャン。馬名はサンスクリット語で純粋。
                                        
 騎乗した吉田隼人騎手は阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース4勝目。桜花賞は初勝利。管理している須貝尚介調教師は阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース14勝目。桜花賞は初勝利。

 第一部公理四により,結果effectusの認識cognitioは原因causaの認識を含んでいなければならず,原因の認識に依存します。したがって,個物res singularisAの観念ideaが現実的に存在するか否かということの認識は,個物Aの観念の起成原因causa efficiensの認識を含んでいなければなりませんし,その起成原因の認識に依存することになります。そして個物Aの観念の起成原因は,それ以外の個物たとえば個物Bの観念でした。よって,個物Aの観念が現実的に存在するか否かということは,この場合は個物Bの観念を含んでいるのでなければなりませんし,個物Bの観念に依存することになります。他面からいえば,個物Aの観念が現実的に存在する起成原因として,個物Bの観念が与えられるか否かということと,個物Aの観念が現実的に存在するか否かということは,同じことを問うている意味になります。そして第一部公理三により,起成原因さえ与えられるなら,結果は必然的にnecessario生起するのですから,もしも個物Bの観念が与えられるなら個物Aの観念は必然的に現実的に存在することになります。逆に個物Bの観念という起成原因が与えられないのなら,個物Aの観念が現実的に存在することは不可能です。この点でも必然と不可能は確かにスピノザの哲学において反対概念を構成しているといえるのです。
 個物Aの観念について,それが現実的に存在するようになる起成原因としての個物Bの観念が与えられるか否かということについては,人間の精神mens humanaによって認識されることがあり得るとしておきます。しかし,神Deusの無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる個物の観念のすべてが現実的に存在するようになるとすれば,それらの個物の観念の起成原因が個々に必要とされるのですから,それらすべての起成原因が与えられるか否かということを認識するcognoscereことができるのでなければ,そうした個物の観念のすべてが現実的に存在するか否かを結論することはできません。しかしそれを人間の精神に要求することは無謀です。そもそも第二部定理九は,個物の観念の起成原因の連鎖は無限に進むといっているので,有限finitumである人間の精神がそのすべてを認識することができるということ自体が不条理といわなければならないでしょう。
コメント
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