スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

オールフォーロンドン&理性の有と観念

2017-11-25 19:27:28 | 血統
 先月の菊花賞を勝ったキセキは3代母が1982年にアメリカで産まれたオールフォーロンドンという馬で,輸入基礎繁殖牝馬になります。ファミリーナンバー22-b
                                     
 アメリカで1頭だけ牝馬を産んだ後に輸入。最初の活躍馬は1997年にファンタジーステークスを勝ったロンドンブリッジ。翌年の桜花賞でも逃げて2着に粘りました。
 ロンドンブリッジは繁殖牝馬となり,最初の産駒は競走馬として登録できませんでしたが,翌年の産駒,事実上の初産駒といってもいいかと思いますが,その馬が2004年にクイーンカップとオークスと京阪杯,2005年にマーメイドステークスを勝ったダイワエルシエーロです。さらに翌年に半弟として産まれたのが2005年にアーリントンカップ,2006年に京都金杯を勝ったビッグプラネットと,こちらでも成功しています。
 2008年のロンドンブリッジの産駒はレースには出走できませんでした。牝馬であったので繁殖入りは果たし,その馬がキセキの母となっています。
 ロンドンブリッジの3歳下の半弟はナリタオンザターフ。2001年に名古屋優駿を勝ちました。
 もう少し辿るとオールフォーロンドンの3代母から分枝が広がっています。2007年に福島記念,2008年に新潟記念を勝ったアルコセニョーラ,2005年に日経賞を勝ったユキノサンロイヤル,2015年に兵庫チャンピオンシップとレパードステークスを勝ったクロスクリーガーなどはいずれもその馬の子孫です。

 スピノザの哲学において十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの相違,あるいは真の観念idea veraと誤った観念idea falsaの相違は,ふたつの意味を有しています。ひとつは,十全な観念と真の観念は真理veritasであるのに対して,混乱した観念や誤った観念は虚偽falsitasであるということです。そしてもうひとつが,十全な観念や真の観念が有esseであるのに対しては,混乱した観念と誤った観念は無ということです。
 ただし,ここではひとつだけ注意が必要です。第二部定理七系の意味が示すのは,Deusのうちにある観念はすべて十全adaequatumであるということです。そして第二部定義四から,十全な観念は真の観念が有する本来的特徴denominatio intrinsecaをすべて兼ね備えた観念ですから,第二部定理三二にあるように,どんな観念omnes ideaeであれ神に関連付けられるad Deum referunturなら真veraeの観念です。こうしたことは,十全な観念とか混乱した観念といわれる場合には,観念されたものとの関係を離れた観点からみられた場合であり,真の観念とか誤った観念といわれるならそれは観念対象ideatumとの関係すなわち外来的特徴denominatio extrinsecaという観点からいわれるのだということからも明らかでしょう。
 そして第一部定理一五から,あるものはすべて神のうちにあるQuicquid est, in Deo estのですから,観念もまたそれがどんな観念あるいは何の観念であれ,神のうちにあるのでなければなりません。ですから本当の意味であるのは十全な観念あるいは真の観念なのであって,混乱した観念や誤った観念がそれ自体であるということはありません。他面からいえば観念は必然的にnecessario真理として,そして有としてあるということになります。
 ただし,第二部定理一一系の新しい意味から分かるように,もしある観念が単に現実的に存在する人間の精神mens humanaとだけ関連付けられる場合は,他面からいえば神とは適切に関連付けられないならば,その人間の精神の一部が混乱した観念あるいは誤った観念によって構成されるということがあるのです。そしてこの限りにおいて,こうした観念が虚偽でありまた無であるといわれるのです。
 理性の有entia rationisというのは,この関係でいえば,単に人間の精神とだけ関連付けられる思惟の様態cogitandi modiです。そしてそれは,真理であると同時に無であるのです。これが理性の有と観念の相違です。
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