スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フェアペギー&同様の虚構

2017-11-30 19:25:53 | 血統
 JBCスプリントを勝ったニシケンモノノフの母系はとても古くから日本で続いています。ニシケンモノノフの11代母に当たるフェアペギーが基礎繁殖輸入牝馬。ファミリーナンバー6。1902年にイギリスで産まれた馬で,1909年には小岩井農場に輸入されて日本で繁殖生活を送っています。1909年というのは明治42年です。
                                     
 これだけ長く続いている血統ですから,代表馬もいれば大レースの勝ち馬もいるのですが,これらはいずれも僕の競馬キャリアの始まる前。それどころか産まれる前のことです。僕は来月で47歳になりますし,競馬キャリアも30年以上になりますから,活力という点でいえばもう落ちてしまっている系統だといっていいでしょう。
 僕の競馬キャリアの中,すなわちここ30年でも,重賞を勝った馬というのはニシケンモノノフ以外には2頭しかいません。1頭が1998年にTCK女王盃を勝った笠松のトミケンクイン。もう1頭は2004年に京成杯を勝ったフォーカルポイントです。ニシケンモノノフの3代母の半弟にあたるステートジャガーが大阪杯を勝ったのは1985年。僕は産まれていますが,まだ競馬キャリアは始まっていません。これ以降,トミケンクインまで13年の歳月があり,さらにフォーカルポイントまで6年の歳月がありました。ニシケンモノノフは2013年に兵庫ジュニアグランプリを勝っていますから,フォーカルポイントからは9年の歳月があったことになります。
 この系統から出た大レースの勝ち馬というのは,戦後間もない1947年に秋の天皇賞を勝ったトヨウメを最後に途絶えていました。つまり70年間も大レースの勝ち馬が皆無だったのです。これだけ長い空白期間を経て大レースの勝ち馬が同一牝系から出るというのは,かなり異例のことになるのではないかと思います。

 第五部定理二九備考では,ものが二様の仕方で現実的なものとして概念されるといわれています。その条件となるのは,僕たちが第三種の認識cognitio tertii generisで第五部定理二三でいわれているあるものaliquidを認識することです。したがってこの限りでは,僕たちは物体corpusとしての円が延長の属性Extensionis attributumに包容される限りで存在しているということを認識するのであっても,その円を現実的なものとして認識していることになるでしょう。もちろん,スピノザが示すような仕方で僕たちの精神mensが円を十全に認識するとき,その認識は第三種の認識ではなくて第二種の認識cognitio secundi generisであるといわなければなりません。いい換えれば第二部定理四四系二でいわれている理性の本性natura Rationisに属する認識が,円という具体的な個物res singularisに適用される場合の認識であるといえます。しかしもしそれが第三種の認識と結び付くのであれば,それは同時に現実的な認識でもあることになるのです。
 ゲーテJohann Wolfgang von Goetheによる原型の認識というのは,第三種の認識と明らかに関連性がありました。なのでこの観点からは,原型というのは単なる形而上学的な観点でなくて,現実的な観点であった可能性もあります。少なくとも大槻がいっていることから類推するなら,ゲーテ自身はそのように解していたという可能性がかなり高いように僕は思います。ただこれはあくまでも『ゲーテとスピノザ主義』からの類推であり,僕には断定できませんので,この観点を僕は強調することはしません。
 スピノザは円の定義Definitioを直線の運動motusという虚構によって規定しました。しかしこのような虚構が許されるのであれば,同様の虚構もまた許されなければなりません。たとえばこの運動は,一回転するから円という図形の発生を示し得ますが,もし半回転だけするなら,つまり180°だけ運動するなら,円の発生ではなく半円の発生を示すでしょう。そしてこれが半円の発生を含む以上,これは半円のよい定義であるといわなければなりません。同様にこの半円が直線部分を軸にして一回転という運動をするなら,球という図形が形成されることになります。これもまた球という図形の発生を含むのですから,球のよい定義であり,これはスピノザ自身も認めていることです。
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