第38回浦和記念。
タマモホルンがハナへ。これは僕の予想通りでした。2番手はバルダッサーレとヒガシウィルウィンで併走。4番手にマイネルバサラ。5番手がナムラアラシ。6番手はグランディオーソ。7番手にオールブラッシュ。この後ろがクリノスターオー,エンパイアペガサス,ストゥディウムの3頭。ここまでは一団でポイントプラスだけが取り残される隊列。前半の1000mは62秒7のハイペース。
2周目の向正面に入るまで隊列にあまり変化がない単調なレース。ここからマイネルバサラが一気にスパート。ヒガシウィルウィンだけは対応しましたが,反応が鈍く,3コーナーを回るとマイネルバサラが先頭に立って後続とのリードを広げました。ナムラアラシとオールブラッシュの2頭が併走で,一旦はヒガシウィルウィンを交わして2番手に。コーナーで決定的な差をつけていたマイネルバサラがそのままリードを保って優勝。コーナーでは4番手に下がったもののコースロスなく内を回って巻き返したヒガシウィルウィンが6馬身差で2着。ナムラアラシとの競り合いを制したオールブラッシュが6馬身差の3着でナムラアラシが1馬身半差の4着。
優勝したマイネルバサラは今年の3月に準オープンを勝った後,オープンは1戦しただけで降級。降級後の2戦は掲示板も確保できませんでしたが3戦目の前走を勝って再びオープンに昇級してここに出走。このレースは一線級の出走がなかったため,勢いのあるこの馬が勝つというケースもあり得ると考えていました。かなり大きな差をつけていますので,もう少し上の舞台でも戦える可能性はありますが,本当にそれだけの力量があるかどうかはもう少し見守っていきたいところです。
騎乗した柴田大知騎手は浦和記念初勝利。管理している松山将樹調教師は開業から9年8ヶ月で重賞初勝利。
実在的には無であるとしかいいようがない事柄を概念notioとして呈示し,それを考察に用いることが無意味でないことは,『エチカ』のテクストそのものが是認していると僕は解します。たとえば第一部定理二は,複数の実体Substantiaeが存在してそれらに共通点がないのでなければ実在的realiterには無です。そしてスピノザは複数の実体の実在を認めないのですから,実際に無について何事かを論証しているのです。ところがこれが定理Propositioとして加えられているのは,このような論証Demonstratioを経ることによって,存在する実体は神Deusだけであるという第一部定理一四を明らかにすることができるからです。つまり第一部定理二は,その意味では有意味です。少なくともスピノザにとっては有意味であるといわなければならないでしょう。同様に第一部定理四とか第一部定理五,第一部定理八なども,複数の実体が存在するのでなければ実在的には無意味な定理ですが,論証のためには有益であるのです。
こうしたことが可能になっているのは,スピノザがある種の定義Definitioは唯名論的であって構わないと考えていることと関連していると僕はみています。そうして定義されたものが知性intellectusによって正しく概念できるのであれば,唯名論的に定義されたものについては,実在的にいわれるかいわれないかと無関係に,知性はそれを真に認識していることになるからです。しかしここでは定義論については触れません。一点だけ,スピノザの哲学では,真理veritasが真理であるということを保証するのは十全な観念idea adaequataであって真の観念idea veraではないということ,他面からいえば観念の本来的特徴denominatio intrinsecaであり,外来的特徴denominatio extrinsecaではないということだけいっておきます。ゲーテの例と関連させていえば,ゲーテが何らかの仕方で植物実体,あるいは象徴的植物とか植物の原型といったものを定義し得るのであれば,知性はその定義によってそうしたものを十全に認識でき,かつそれが真verumであることも知ることができるのです。そのためにはそうしたものが実在する必要はないのです。
ただし,事物の定義や観念と関連させる場合には,有と無の関係はもう少し考えておく必要があります。それは客観的有esse objectivumと形相的有esse formaleの関係についてです。
タマモホルンがハナへ。これは僕の予想通りでした。2番手はバルダッサーレとヒガシウィルウィンで併走。4番手にマイネルバサラ。5番手がナムラアラシ。6番手はグランディオーソ。7番手にオールブラッシュ。この後ろがクリノスターオー,エンパイアペガサス,ストゥディウムの3頭。ここまでは一団でポイントプラスだけが取り残される隊列。前半の1000mは62秒7のハイペース。
2周目の向正面に入るまで隊列にあまり変化がない単調なレース。ここからマイネルバサラが一気にスパート。ヒガシウィルウィンだけは対応しましたが,反応が鈍く,3コーナーを回るとマイネルバサラが先頭に立って後続とのリードを広げました。ナムラアラシとオールブラッシュの2頭が併走で,一旦はヒガシウィルウィンを交わして2番手に。コーナーで決定的な差をつけていたマイネルバサラがそのままリードを保って優勝。コーナーでは4番手に下がったもののコースロスなく内を回って巻き返したヒガシウィルウィンが6馬身差で2着。ナムラアラシとの競り合いを制したオールブラッシュが6馬身差の3着でナムラアラシが1馬身半差の4着。
優勝したマイネルバサラは今年の3月に準オープンを勝った後,オープンは1戦しただけで降級。降級後の2戦は掲示板も確保できませんでしたが3戦目の前走を勝って再びオープンに昇級してここに出走。このレースは一線級の出走がなかったため,勢いのあるこの馬が勝つというケースもあり得ると考えていました。かなり大きな差をつけていますので,もう少し上の舞台でも戦える可能性はありますが,本当にそれだけの力量があるかどうかはもう少し見守っていきたいところです。
騎乗した柴田大知騎手は浦和記念初勝利。管理している松山将樹調教師は開業から9年8ヶ月で重賞初勝利。
実在的には無であるとしかいいようがない事柄を概念notioとして呈示し,それを考察に用いることが無意味でないことは,『エチカ』のテクストそのものが是認していると僕は解します。たとえば第一部定理二は,複数の実体Substantiaeが存在してそれらに共通点がないのでなければ実在的realiterには無です。そしてスピノザは複数の実体の実在を認めないのですから,実際に無について何事かを論証しているのです。ところがこれが定理Propositioとして加えられているのは,このような論証Demonstratioを経ることによって,存在する実体は神Deusだけであるという第一部定理一四を明らかにすることができるからです。つまり第一部定理二は,その意味では有意味です。少なくともスピノザにとっては有意味であるといわなければならないでしょう。同様に第一部定理四とか第一部定理五,第一部定理八なども,複数の実体が存在するのでなければ実在的には無意味な定理ですが,論証のためには有益であるのです。
こうしたことが可能になっているのは,スピノザがある種の定義Definitioは唯名論的であって構わないと考えていることと関連していると僕はみています。そうして定義されたものが知性intellectusによって正しく概念できるのであれば,唯名論的に定義されたものについては,実在的にいわれるかいわれないかと無関係に,知性はそれを真に認識していることになるからです。しかしここでは定義論については触れません。一点だけ,スピノザの哲学では,真理veritasが真理であるということを保証するのは十全な観念idea adaequataであって真の観念idea veraではないということ,他面からいえば観念の本来的特徴denominatio intrinsecaであり,外来的特徴denominatio extrinsecaではないということだけいっておきます。ゲーテの例と関連させていえば,ゲーテが何らかの仕方で植物実体,あるいは象徴的植物とか植物の原型といったものを定義し得るのであれば,知性はその定義によってそうしたものを十全に認識でき,かつそれが真verumであることも知ることができるのです。そのためにはそうしたものが実在する必要はないのです。
ただし,事物の定義や観念と関連させる場合には,有と無の関係はもう少し考えておく必要があります。それは客観的有esse objectivumと形相的有esse formaleの関係についてです。