スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイルグランプリ&別の関連性

2017-11-16 19:28:23 | 地方競馬
 昨晩の第24回マイルグランプリ
 発走後の正面で先行する意欲を見せたのはレガルスイ,ミヤジマッキー,テムジン,ケイアイレオーネの4頭。最内のレガルスイが抜け出して向正面の入口あたりでリードは2馬身。2番手はミヤジマッキーとケイアイレオーネで併走になりました。1馬身差でトーセンハルカゼとトロヴァオ,1馬身差で控えたテムジンとセイスコーピオン,また1馬身差でサクラレグナムまでが続き,2馬身ほど開いてオリオンザジャパン,1馬身差でシャドウパーティーとインフォーマー。2馬身差でソッサスブレイが単独で追走。また2馬身差でドレッドノートとコンドルダンス,1馬身差でキープインタッチとなり,デュアルスウォードは離されました。前半の800mは50秒1のミドルペース。
 レガルスイのリードは徐々に詰まっていき,3コーナーを回るとトーセンハルカゼがレガルスイの内から並び,レガルスイ,ミヤジマッキー,ケイアイレオーネ,トロヴァオの5頭がほぼ並ぶ形に。レガルスイとミヤジマッキーはここから脱落。距離ロスなく回ったトーセンハルカゼが直線で単独の先頭に立つと,これら5頭の後ろで機を窺っていたセイスコーピオンが,伸びあぐねるケイアイレオーネとトロヴァオの間から進出。そのままトーセンハルカゼも差し切って優勝。トーセンハルカゼが1馬身半差で2着。ケイアイレオーネが4分の3馬身差の3着でトロヴァオは1馬身4分の1差で4着。
 優勝したセイスコーピオンは昨年の勝島王冠以来の勝利で南関東重賞3勝目。第23回に続いてマイルグランプリ連覇。昨秋はそのまま南関東のトップクラスまでいくのではないかと思える内容でしたが,暮れのオープンで2着に負けてしまい休養。今年の5月に復帰後は,それまでより楽なメンバーと思われたレースでも勝ちきれていませんでした。ここにきてようやくかつての調子を取り戻せていたということなのでしょう。休養後のレース内容からは,もう少し距離を伸ばした方がいいのではないかとみていたので,ここでの復活は驚きだったのですが,どうやら見誤っていたようです。今年は間隔が短いので前年に勝った勝島王冠を使ってくるかは分かりませんが,状態を維持することができるならまたこの路線で活躍することが可能だと思います。父はデュランダル。母は2004年にローレル賞を勝ったスコーピオンリジイ。祖母の半弟に2001年にラジオたんぱ賞を勝ったトラストファイヤー
 騎乗した高知の赤岡修次騎手優駿スプリント以来の南関東重賞2勝目。管理している川崎の八木正喜調教師は南関東重賞7勝目。マイルグランプリは連覇で2勝目。

 前に紹介したシラーとの会話で原型とメタモルフォーゼが言及される部分では,原型が象徴的植物で,それは第三種の認識cognitio tertii generisによって認識された植物の本性essentiaであるという観点から,スピノザの哲学との関連性を指摘しました。当該部分でも原型は直観的に認識されると記述されていて,第三種の認識が直観知といわれることに鑑みれば,この観点も失われているわけではありません。しかしこの部分では,直観的に認識されるものとしての原型を,もっと別の形で解することができるようになっていて,この解し方もまた,スピノザの哲学との関連性を指摘できるものになっていると僕には思えます。
                                     
 大槻によれば,ゲーテは原型とメタモルフォーゼという内的法則によって自然は無限に多くのinfinitaものを産出すると主張しています。『エチカ』において無限に多くのものの産出を説いているのは第一部定理一六です。この定理Propositioでは,神の本性の必然性からex necessitate divinae naturae無限に多くのものが生じるといわれています。したがってゲーテJohann Wolfgang von Goetheのいっている原型とメタモルフォーゼの内的法則というのを,神の本性の必然性と解するなら,ゲーテのいっていることとスピノザのいっていることはまったく同じであることになります。そしてこの場合にゲーテがスピノザの哲学から何らかの影響を受けたのであるとしたら,ゲーテは神の本性の必然性を,原型とメタモルフォーゼの内的法則というように,具体的に理解したということになります。もちろんそういう可能性もありますし,これはこれでなかなか興味深い観点であると僕は思いますが,ここではこの点については詳しく言及しません。内的法則が神の本性の必然性と類似しているということよりも,原型とメタモルフォーゼという考え方が,スピノザの形而上学から影響を受けていると思われる面があり,僕はそちらの方になお深い関心を抱くからです。
 第一部公理一の意味から明らかなように,自然のうちには実体substantiaと実体の変状substantiae affectio以外には何も存在し得ません。そして第一部定理一四により神以外の実体は存在しないのですから,自然のうちには神と神の変状以外には何も存在しません。さらに神の変状とは,様態的変状modificatioに様態化した神のことです。
コメント
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