スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

菊花賞&省察と忍従

2017-10-22 20:05:16 | 中央競馬
 第78回菊花賞
 ゲートの中で立ち上がっていたプラチナヴォイスは出遅れました。まず先頭に立ったのはウインガナドル。1周目の向正面では外から5番手くらいまで追い上げていたマイスタイルが,そのまま外を上昇,正面に入ってから単独の先頭に立ち,2周目の向正面にかけて3馬身ほどのリードを取っての逃げに。控えたウインガナドルが2番手で3番手にアダムバローズ。この後ろにはトリコロールブルー,スティッフェリオ,ベストアプローチの3頭。7番手にポポカテペトルとダンビュライト。9番手にサトノクロニクルとアルアイン。11番手集団にはクリノヤマトノオー,ミッキースワロー,クリンチャー。キセキが14番手。サトノアーサーとマイネルヴンシュが続き,ブレスジャーニーが後方2番手で最後尾にプラチナヴォイス。最初の1000mは64秒1でハイペース。
 馬場状態の影響もあったと思いますがわりと早めに動く馬の多いレースに。3コーナーではマイスタイルは一杯でウインガナドルが先頭に。さらにその外にいたアダムバローズがコーナーの途中では先頭。ベストアプローチ,ダンビュライト,クリンチャーの3頭が外から進出して直線の入口ではダンビュライトが先頭に。外からクリンチャー,ミッキースワロー,キセキの3頭,内からはポポカテペトルが追ってきて激しい叩き合い。この中からキセキが抜け出して優勝。2馬身差の2着は2頭によるきわどい競り合いになりましたが外のクリンチャー。内のポポカテペトルはハナ差で3着。
 優勝したキセキは重賞初勝利で大レース制覇。春に毎日杯で3着になった後,休養。7月に復帰して500万と1000万を連勝。神戸新聞杯でダービー馬の2着に入ってここに出走。今年は馬場の極端な悪化が明白だったので,スタミナに優るタイプに有利に働くかもしれないと思っていました。この馬ははっきりとした裏付けがあったわけではないですが,優勝候補として考えていたうちの1頭。実際にサバイバルレースの様相になり,そこで抜け出したのは確かな底力のゆえだったのではないかと思います。今後も楽しみな馬なのは間違いありませんが,3000mで3分18秒9,最後の200mが13秒9も掛かるようなレースだったので疲労は心配です。父は2011年に日経新春杯と金鯱賞,2012年にアメリカジョッキークラブカップとクイーンエリザベスⅡ世カップを勝ったルーラーシップでその父はキングカメハメハ。祖母が1997年にファンタジーステークスを勝ったロンドンブリッジ
                             
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手はスプリンターズステークスに続いての大レース制覇。菊花賞は初勝利。管理している角居勝彦調教師は一昨年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース制覇。第65回,74回に続く4年ぶりの菊花賞3勝目。

 さらにいうと,大槻がゲーテJohann Wolfgang von Goetheの根本的な問題となったとされる二元論について記述している部分も,今度は第三種の認識cognitio tertii generisと別の観点からスピノザの哲学との関連性を窺わせる内容になっていると僕には思えます。この1818年の書物は『省察と忍従』です。これを書くにあたってゲーテがスピノザの哲学から実際に影響を受けていたかどうかは不明ですが,そこに書かれ,『ゲーテとスピノザ主義』に抜粋されている部分というのは,明らかにスピノザの哲学と親和性があるように僕には思えるのです。
 ゲーテがいうには,理念と経験を結び付けることの困難さは自然科学の研究の上で大きな妨げになります。ではなぜその双方を結びつけることが困難であるのかという理由として,ゲーテは理念は時間と空間とに依存しないのだけれども,自然研究は時間と空間の中に限定されているからだといっています。このために,理念においては同時的なものと継時的なものが緊密に結び付いているのだけれども,経験の立場においてはそれらが分離してしまうことになるといっています。
 ゲーテのこのいい方から,第二部定理八系およびその意味を想起せずにいるのは,スピノザの哲学を知っている人にとっては難しいのではないかと僕には思えます。すなわちここでゲーテが理念といっているものは,時間tempusと空間に依存しないという意味で,個物res singularisが神Deusの属性attributumの中に包容されている限りで存在している場合のことです。第一部定義八説明から永遠aeterunusは時間によっては説明することができない概念であるからです。なおかつすでにみたように,この理念は第三種の認識と関連しているのですが,第三種の認識というのは個物を永遠の相species aeternitatisの下で認識するあり方なのです。
 これに対して自然学の研究が時間と空間に依存するといっているのは,たとえば現実的に存在するある人間が,現実的に存在するある個物について研究するのが自然学であるからでしょう。研究の対象となる自然が現実的に存在するようになると,その観念ideaもまた現実的に存在するといわれる存在を含みます。つまり現実的に存在する個物の観念もまた,時間と空間に限定された観念であるということになるのです。
コメント
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