スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

勝島王冠&円の観念対象

2017-11-29 20:49:08 | 地方競馬
 第9回勝島王冠
 鞭を入れてクラトリガーがハナへ。イッシンドウタイが2番手で隊列が決まりかけた向正面で外からグレナディアーズが外を上昇,前まで並んで3頭で先行する形に。4番手にサブノクロヒョウ,5番手にオウマタイム,タイムズアロー,ディアドムスの3頭。8番手にハイテルカイトとシャドウパーティーとオリオンザジャパンの3頭。ここから差が開いて11番手はユーロビートとキープインタッチでその後ろにタマモネイヴィー。また差が開いてドレッドノート,ウマノジョー,デュアルスウォードという隊列に。最初の800mは50秒5のミドルペース。
 グレナディアーズに前は譲らなかったクラトリガーが先頭で3コーナーへ。ここから外をディアドムスが上昇し2番手に上がると,直線に入ってすぐに先頭。そのまま追ってくる馬たちとの差を広げていき4馬身差で快勝。クラトリガーはかなり粘り,勝ち馬を追ってきたサブノクロヒョウとの間に進路を取ったのがハイテルカイト。ハイテルカイトが一旦は2番手に上がりましたがサブノクロヒョウの外から追い込んだタイムズアローがハイテルカイトを捕えて2着。ハイテルカイトがクビ差の3着でタイムズアローのさらに外から末脚を伸ばしたタマモネイヴィーがクビ差で4着。
 優勝したディアドムスは2014年の全日本2歳優駿の勝ち馬。2歳時に重賞を2勝しましたが3歳なってからオープンでは頭打ち。4歳の夏に1600万に降級し,今年の1月に1600万を勝って以来の勝利。その後はオープンでは結果を出せなかったので今秋から南関東に転入してここが3戦目。今年の1月に準オープンを勝っていたのですから能力的には南関東重賞なら通用。初戦はおそらく距離が長く6着でしたが,前走は2着と力が発揮できることが証明されていました。能力ではもっと高い馬もいましたが,距離適性と斤量を考慮すれば優勝の最有力候補と考えられ,ここは順当な勝利といえるでしょう。重賞で通用するのは難しいのではないかと思いますが,南関東重賞はまだ勝てるのではないでしょうか。中距離の適性が最も高いのだろうと思います。父はジャングルポケット。母の父はアグネスデジタル。祖母がノーザンドライバーで4代母がロードマップ。Domusはラテン語で故郷。
 騎乗した愛知の岡部誠騎手は2014年の戸塚記念以来となる南関東重賞2勝目。管理している森下淳平調教師は南関東重賞はこれが12勝目。第4回,6回に続き3年ぶりの勝島王冠3勝目。

 精神の能動actio Mentisによる知的操作によって,その人間の精神mens humanaのうちに円の観念ideaが生じるなら,これは客観的有esse objectivumです。観念は有であって理性の有entia rationisは無ですから,観念といわれる以上はそれは有なのです。ただ,客観的有にはその対象ideatumとなる形相的有esse formaleがあるのでなければなりません。スピノザが示すような仕方で円の観念がある人間の精神のうちに生じる場合に,その対象となっている円の形相的有がどのようにあるといえるのかが,この問題では最大の課題として生じてくることになります。
                                 
 円は物体corpusです。いい換えれば第二部定義一により延長extensaの有限様態すなわち個物res singularisです。個物の存在existentiaは第二部定理八系でいわれているような,ふたつの仕方で説明することが可能でした。このとき,この種の円の観念の対象が,時間的に持続するdurare限りで存在するといわれる場合の物体としての円であることはできないと僕は考えます。スピノザはこの円の定義Definitioが虚構であるというとき,それは現実的に存在する円がこの仕方で生起するのではないということをひとつの条件として示しています。これはこうして形成される円の観念は,現実的に存在する円の観念,十全な観念idea adaequataではないという意味だとしか解せません。なので現実的に存在し,持続するといわれるような円がその観念の対象であるということはできないのです。ということは,この仕方で形成される円の観念の対象は,円が延長の属性Extensionis attributumの中に包容されている限りで存在する円であろうと僕は考えます。
 これは消去法のような説明ですが,もう少し積極的に説明することもできます。僕たちはスピノザが示す仕方によって精神の能動によって円を客観的に形成するなら,それが真理veritasであるということは知ることができます。しかるに真理は永遠aeterunusから永遠にわたっての真理でなければなりません。一端が固定しもう一端が運動する直線によって描かれる図形が,昨日も円であったし今日も円であったから真理であるというわけではなく,それは常に真理でなければならないからです。ところが現実的に存在する事物は,昨日も存在しまた今日も存在しているから現実的に存在するといわれるのであり、永遠に存在するというわけではないのです。
コメント
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