スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

JT将棋日本シリーズ&第一部定理一六の意味

2017-11-20 19:21:59 | 将棋
 幕張メッセで指された昨日の第38回将棋日本シリーズの決勝。対戦成績は豊島将之JT杯覇者が8勝,山崎隆之八段が5勝。
 振駒で山崎八段が先手になり相掛かり。序盤に先手が3筋の歩を突いたので後手の豊島JT杯が横歩取りの要領でその歩をさらうという乱戦。後手は角道を開けない石田流のような構えから美濃囲いに組み,5筋に飛車を戻したので,途中からは後手の中飛車で始まったかのような将棋になりました。中盤で後手が1筋で香車を捨てて歩を入手し,その歩で銀を取ってからは後手がよかったと思うのですが,なかなか決めるというところまでいくことができませんでした。
                                     
 先手が4八にいた飛車で銀を取った局面。これは後手玉を攻めるために銀を入手したという手ですが,詰めろになっているわけではありません。なので詰めろの連続で攻めれば後手が勝ちます。飛車が8段目から動いたので☖6八銀が生じていて,そう打たれれば負けではないかと先手は思っていたようです。またもっと格好よくいくなら☖8六銀と打つのもあったのではないでしょうか。ところが後手は☖同桂と取ってしまいました。先手は☗9三桂成。
                                     
 この手でいきなり逆転しました。第2図は後手玉が簡単な詰めろで先手玉は詰まず,先手の勝ちになっています。後手は☗9三桂成をうっかりしていたとのことですが,豊島JT杯クラスであればいかに30秒将棋でも,大ポカの部類に入るのではないかと思います。
 山崎八段が優勝。2015年度の叡王戦以来となる7度目の棋戦優勝。日本シリーズは初優勝です。

 第一部定理一六は,神の本性divinae naturaeから無限に多くのinfinitas仕方で無限に多くのものが生起するといっています。これを僕は,延長の属性Extensionis attributumからは無限に多くの物体corpusが生起するし,思惟の属性Cogitationis attributumからは無限に多くの観念ideaが生起すると理解します。なお,スピノザの哲学では属性が無限に多くありますから,このことは延長の属性と思惟の属性に限られることではありません。ある単一の属性からは,その属性の個物res singularisが無限に多く生起すると解するということです。
 無限に多くの物体が生起し得て,無限に多くの観念も生起し得るのに,神の本性から無限に多くのものが生起するというのは不自然ではないかと思われる方がいるかもしれません。神の本性から生起する無限に多くのものは,各々の属性から生起する無限に多くのものの総体であり,これだと無限に多くのものが無限に多くのものの総体によって構成されることになってしまうと思われるからです。ですが,僕はこれは矛盾していると考えません。というのは各々の属性というのは実在的に区別されるのであって,第一部公理五により,そうしたものの間では一方を認識することによって他方を認識することができないからです。したがって,無限に多くの物体を認識するということと無限に多くの観念を認識するということは別個になされねばならず,一方の無限によって他方の無限を理解することは不可能です。したがって,延長の属性から無限に多くの物体が生起するということは,真の意味で神の本性から無限に多くのものが生起するということと同じ意味でなければなりませんし,同様に思惟の属性から無限に多くの観念が生起するということも,神の本性から無限に多くのものが生起するということに同じ意味でなければならないのです。
 またこのことは,第一部定義四により,属性attributumが実体substantiaの本性essentiamであることからも明らかでしょう。つまり延長の属性も思惟の属性も,同じように神の本性として僕たちは認識します。したがって神の本性から無限に多くのものが生起するのであれば,延長の属性からは無限に多くの物体が生起しなければなりませんし,思惟の属性からは,無限に多くの観念が生起しなければならないのです。
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