スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

西武園記念&第一部定理三二まとめ①

2007-05-11 20:47:34 | 競輪
 ゴールデンウイークの記念競輪第一弾として4月29日に決勝(動画)が争われた西武園記念を回顧します。
 石丸選手がSを取ってそのまま前受け。3番手に志智選手,5番手に新田選手,7番手に手島選手で,園田選手が最後方で周回。残り3周から園田選手が上昇し誘導の後ろへ。残り2周から今度は新田選手が上昇し,園田選手を抑えて先行態勢に入りました。一旦は引いた石丸選手がインから3番手を取りにいきましたが手島選手が確保。そのまま新田選手の先行をバックから捲るとあっさり出きりました。手島選手の番手の内田選手は石丸選手に絡まれる格好になりながらも何とか手島選手を追走し,手島選手を追いましたが手島選手が振り切って優勝。後方から立て直して伸びてきた志智選手が2着に入り,内田選手は3着でした。
 優勝した群馬の手島慶介選手は1月の大宮記念に続く今年2度目の記念競輪優勝。これで今年は埼玉2場の記念競輪をともに優勝ということになりました。先行以外は何でもできる選手ですが,この日のように好位を確保して自力で捲るというのが最も力を発揮できるという印象。新田選手の先行とみての道中の位置取りではなかったかと想像しますが,その点も巧みだったといえそうです。

 エチカにおいて,あるいはスピノザの哲学において責任論というのを考える場合には,前提としなければならないことがふたつあります。ひとつはここでのテーマとして設定した第一部定理三二により,人間には自由な意志がないということであり,もうひとつは,第三部定理二により,人間は意志によって自らの身体をある運動には決定できないということ,すなわち,人間がある行為,あるいはある行動をする場合,そのことの原因となっているのはその人間の意志ではない,もっといえば,その人間の何らかの精神作用ではないということです。
 一方,責任という概念が一般的にはどのように考えられているのかを検討してみると,それは明らかに上のふたつの事柄を前提としているように僕には思えます。したがってスピノザの哲学の立場からみれば,責任という概念の一般論には明らかにある誤謬が含まれているということになります。
 しかし逆にいえば,まさにこの部分において,スピノザの哲学における責任論の問題というのが発生してくるのです。一体,人間に自由な意志がない場合に,さらに人間が自らの精神作用によって自らをある行動に決定できない場合,それでも責任という概念はあり得るのでしょうか。また,あり得るとすればそれはどのような根拠によってあり得るのでしょうか。これが今回の考察の主たるテーマであったといえます。
コメント
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