スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

麋城賞&存在の排除

2007-05-05 22:14:51 | 競輪
 大垣記念の2日目優秀として争われた麋城賞(動画)。並びは昨日の予想通りで,横田選手は北日本の3番手を選択しました。
 前受けは村上選手。以下,3番手に新田選手,5番手に伏見選手,8番手に吉田選手で周回。残り2周のバックから吉田選手が上昇,伏見選手がこれを追走。打鐘で吉田選手が村上選手を抑えると,村上選手は下げずに3番手のインで伏見選手と競る形。ホームから伏見選手が吉田選手を叩きに出ましたが,タイミングが悪くコーナーで外を回る形になり失速,吉田選手の先行となりました。バックの入口から後方に置かれた新田選手が捲り発進。これが見事に決まって捲りきりました。新田選手の後ろは離れていたのですが,山田選手は切り替えずに吉田選手が新田選手を追う形に。最後の直線から山田選手も踏み出しましたが,すでにこの時点では新田選手が独走の状態で楽に1着。山田選手が2着で,山田選手を追走のレースになった村上選手が吉田選手と山田選手の間を割って,きわどく迫っての3着という結果でした。
 新田選手は道中で落ち着いてレースができ,仕掛けのタイミングもよく,会田選手が離れるほどのスピードも抜群。ここのところは好調のようです。
 山田選手は吉田選手を庇ってのレース。決勝であれば切り替えていた筈で,それなら結果もまた違っていたかもしれませんし,少なくともこんなに離されてしまうことはなかっただろうと思います。

 明日はNHKマイルカップです。混戦ですがここはダイレクトキャッチ◎に期待します。相手にはイクスキューズ○,オースミダイドウ▲,ローレルゲレイロ△あたりを。

 事物の本性からの帰結として,同一の本性を有する複数のものの間では,一方が他方の,また他方が一方の存在を何らかの意味で否定するということは,それらの事物の共通の本性を原因としては生じないということになるのですが,これは別に,共通の本性を有するものの間で,一方が他方の存在を排除し,あるいは阻害するということが生じ得ないという意味ではありません。現に人間同士で考えてみた場合にも,ある人間が別の人間の存在を排除したり阻害したりすること,また,他人ではなく自分自身の存在を排除したり阻害したりするということが生じるということは,僕たち自身がよく知っているところではないかと思います。僕がここでいっているのは,ただそうしたことが生じる場合には,人間に共通の本性が原因となっているわけではないということです。
 第一部公理三により,こうしたことが起こる場合にも,それが起こるだけの必然的な原因があります。そしてその原因は人間自身の内部,すなわち人間に共通の本性のうちにあるか,人間自身の外部にあるかでしょう。しかしその原因を人間の本性のうちに求めることは不条理ですので,この原因は人間に共通の本性の外部にしかあり得ません。したがって,人間がほかの人間の,あるいは自分自身の,存在を排除したり阻害したりすることは,その人間がその人間の本性だけで説明されるような原因として,すなわちその人間が十全な原因として生じるのではなく,その人間が部分的原因として説明され得る場合にのみ生じるということになります。
コメント
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