スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

クイーンエリザベスⅡ世カップ&善の比較

2007-05-08 21:16:35 | 海外競馬
 4月28日に香港で行われたクイーンエリザベスⅡ世カップを,日本から参戦したアドマイヤムーンを中心に回顧します。
 結果的にこのレースは,アドマイヤムーンにとって大外という枠が災いしてしまいました。後方に控えるのはこの馬のレースパターンでさほど問題はなかったと思いますが,レースがスローペースだったためにあまり馬群がばらけなかったので終始外を回らざるを得ず,3コーナー過ぎからここも外を追い上げたのですが,ほかの馬にもまだ余裕があったようですし,何より距離のロスで思ったほど前まで追いつけず,直線も外から伸びてはきましたが3着が精一杯でした。
 勝ったのは地元のViva Patacaという馬で,2着が強敵と目されたVengeance of Rain。それぞれ昨年の暮れの香港カップでは4着と3着だった馬で,そのときは2着のアドマイヤムーンが先着を果たしていましたが,どうも展開次第では着順が入れ替わる程度の実力差であったようです。
 負けは負けですので残念ではありますが,展開が向かなかったことと通ったコースの差を考えればある程度の力は発揮できたものと考えられ,仕方のない結果でしょう。ドバイから香港という長期の遠征で,レース当日は少し体重を減らしていたようですが,万全とはいえなかったとしても,体調面には大きな問題はなかったのではないかと思います。

 明日は棋聖戦の挑戦者決定戦があります。渡辺明竜王と久保利明八段の間で争われます。久保八段の振飛車が予想されます。

 大井では羽田盃です。ここはフリオーソ◎の首位が濃厚。以下もトップサバトン○,レッドドラゴン△,アンパサンド△の争いではないでしょうか。

 悪をそれ自体では認識しない場合でも,次のように考えることは可能であると僕も思います。善悪は認識の問題なので,悪を認識せずに善だけを,すなわち悲しみを認識せずに喜びだけを認識するとしても,喜びには大きな喜びもあれば小さな喜びもありますから,大きな喜びの認識もあれば小さな喜びの認識もあるわけです。そこで善悪の認識は比較の認識なのですから,これらふたつの喜びの認識を比較した場合には,大きな喜びの認識は善と判断され,小さな喜びの認識は悪と判断されるでしょう。したがって,仮に悲しみを認識しない場合でも,こうした喜びの認識を比較することによって,善と悪は生じ得るということになります。
 しかし僕の考えでは,こうしたことがあるとしても,責任という概念を考察する上ではこれはさしたる問題にはならないと思われます。なぜなら,たとえそれが小さな喜びであったとしても,それはほかと比較せずにそれ自体でみればやはり喜びなのであって,ある人間が別の人間にこれをもたらしたとすれば,それはある有益なことを与えたのであって,害悪を与えたわけではありません。しかるにこうした行為について,すなわち,より大なる利益を与え得たにも関わらずより小さな利益しか与えなかったということをもって,この人間が責任を負わなければならないというのは僕には不条理に思えます。よって,悲しみを認識しない場合には,やはり責任という概念は発生しないと結論するのが妥当なのではないかと思います。
コメント
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