スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋聖戦&不条理の理由

2007-05-09 22:58:23 | 将棋
 棋聖戦挑戦者決定戦
 振駒で先手となったのは渡辺明竜王。後手の久保利明八段のごきげん中飛車に対して7手目に▲5八金右。竜王戦七番勝負の第四局と同じ戦型。本局は後手がそれを受けて立ったので序盤から激しい斬り合いの将棋になりました。
 3時20分頃にアクセスしたときは36手目に△4五桂と打った局面。この手数にしてこの戦いにまず驚きました。この手は6三への角の利きを自ら遮断するので,やや危険かもしれないと思いましたが,この時点では形勢判断はできませんでした。
 1時間ほど経って再度アクセスできたときは41手目の▲1三龍の局面で,ここは先手が勝ちそうだと思いました。事実この後,44手目の△7九馬が詰めろ龍取りではっとする手ですが,渡辺竜王は読みきりだったようで,▲6二銀から後手玉を詰ませました。実は途中,39手目の▲6三桂成はなぜ▲6三香成ではなかったのかと思っていたのですが,この詰み手順のためには桂馬が成っておかないといけなかったようです。
 ただ,57手目の▲3三香で投了となっていたのには驚きました。以下,△2二玉に▲3二香成と捨て,△同玉▲3三金△4一玉▲3二銀△5一玉▲4二金△6一玉▲5二金△同飛▲6三龍以下で詰みのようですが,この手順をなかなか発見できなかったのでちょっと不可解でした。もっともプロには簡単な筈で,これは僕のレベルの問題ですが,そのレベルのファンの希望としてはもう少し分かりやすいところまで指してほしいです。
 この将棋は変化の余地があるとすれば,30手目に△2七角と打ったあたりではないかと思うのですが,ひょっとするとこの一直線の攻め合いは先手が勝ちというのがひとつの結論となる将棋だったかもしれません。なお,近いうちに渡辺竜王がある程度の自戦解説をされるものと思います。(これによると▲1三龍の局面は先手の勝ちではなく,受けていれば難しかったようです。△7九馬のような手は相手がやすやすと許す筈もなく,また持ち時間も残っていましたので,久保八段が自玉の詰みを見落としたのは不思議な気がします)(これとは別に,渡辺竜王の師匠である所司七段も詳しく解説されています)。
 これで棋聖戦の挑戦者は渡辺竜王に決定。佐藤康光棋聖とは竜王戦と立場を入れ替えての再戦となります。その竜王戦は熱戦に次ぐ熱戦であっただけにこれは楽しみ。第一局は6月9日に指されます。

 明日は大井で東京プリンセス賞があります。かなり難解ですがシーホアン◎を中心に推します。相手にはムーンハウリング○とピュアーフレーム▲を上位にみて,アゲヒバリ△とマルノマンハッタン△。

 より大きな善とより小さな善とを比較した場合には,小さな善の方は悪であると認識できるのだけれども,そのことによって人間が責任を問われなければならないということを,なぜ僕が不条理であると考えるのか,もう少しだけ補足します。
 まず前提となるのは,ちょうどこの例とは逆に,もしも小さな悪と大きな悪とを比較した場合には,小さな悪の方は善であるとみなされるであろうということです。いまは人間が能動的である場合には悲しみを認識しないという仮定で考察していますが,これは責任という概念一般を考察するためにいっていることですから,悪の場合を持ち出しても問題はないと考えます。
 さて,もしもより小さな善が,より大きな善と比較した場合には悪と認識されるのだから,そのことによって人間は責任を負わなければならないとしたら,ちょうどこれと同じ論法によって,より小さな悪はより大きな悪と比較される場合には善であるから,人間はこのことによっては責任を負わなくてもよいということになるでしょう。しかし実にこれは,殺すこともできたが怪我をさせただけであったとか,1000万円を盗むこともできたが100万円を盗むにとどめたというような場合について,責任を負わなくてもよいというに等しいのです。これが不条理であるのは明白でしょう。したがってこれが不条理である以上,これとは逆のこと,すなわち,より小さな善しかなさなかった人間に対して責任を負わせるということも不条理であるということになると思います。
コメント
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