スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

宇都宮記念2日目優秀&問題の所在

2007-05-18 22:22:44 | 競輪
 宇都宮記念2日目優秀(動画)。並びはやはり静岡両車が北日本追走,九州両車は自在戦でした。
 武田選手の前受け。この4番手に大塚選手が続き,6番手から高谷選手で周回。残り2周から高谷選手が上昇し,バックでは武田選手の外へ。打鐘過ぎにようやく高谷選手が誘導を抜いて残り1周から先行。大塚選手がこちらのラインの5番手に切り替えたので武田選手は7番手。ホームは一本棒での通過となりました。バックで大塚選手は内にいき,海野選手をどかしました。武田選手は外を捲り上げましたが渡辺選手のあたりで一杯。直線は踏み合いとなりましたが高谷選手の3番手から渡辺選手が中を鋭く伸びて1着,武田選手の番手から渡辺選手の外を伸びた神山選手が2着,高谷選手の番手の山田選手は3着でした。
 直線の長い500バンクということもありますが,渡辺選手はさすがの伸び脚。これくらいの位置を回ってこられれば確実に勝負圏内になるようです。山田選手はもう少し車間を開けるなど,何らかの工夫が必要だったかも。実質2分戦でしたので,武田選手もいまひとつ無策であったように感じます。

 これで第二部定理一七備考の一文のどこに問題があるかは分かるのではないかと思います。すなわち,表象というのは混乱した観念であるということに間違いはないのですが,混乱した観念というのは有と無という基準で判断するなら僕は無であろうと考えています。したがってこの一文の中でスピノザは,人間精神のうちに無である混乱した観念が生じることについて,もちろん無条件ではなく,それが現実には存在しないということを知っているということ,これは僕が理解する限りでは,人間の精神のうちにある混乱した観念が生じたときに,同時に,その生じた観念について,それが混乱した観念であるということを認識しているということだと思うのですが,そうした条件さえ整えば,無である混乱した観念を有するということ自体が,人間の精神にとって,欠点ではなく長所である,しかもそれはひとつの力という長所ということができるといっていることになるのです。
 しかし,もしも事物の実在が不可能であるとしたら,それ以上にその事物の無力あるいは無能,すなわちここで力といわれているのと反対の意味での無力を示すような事柄があるでしょうか。今回のテーマの最大の主題は,このように本来は無力であるとしか考えられないものについて,なぜスピノザはそれがひとつの力であるとみなすのかということになります。
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