三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の縄張り図と本丸跡6.

2020-05-23 10:22:40 | 城郭縄張図

2020年5月23日(土)武蔵の国周辺の城郭を並べます。

花園城本丸 埼玉県寄居市、藤田氏の居城、山内上杉氏に属したが小田原北条氏の勢力が強まり北条氏邦を娘婿に迎える・・・・後に天神山城へ移る。

花園城堀切 尾根筋に堀切で分割、遺構ははっきりしている、荒川を挟み鉢形城は目の前。

杉山城 埼玉県嵐山町、比企城館跡群のひとつ(菅谷館(嵐山町)松山城(吉見町)小倉城(小川町))、山内上杉時代か北条時代か不明点が多いが?、ち密な縄張りの山城どして有名。

杉山城本丸 

杉山城 本丸を仰ぎ見る、山城の縄張りの教科書と言われる本丸を囲む各郭。

小倉城 埼玉県小川町、城主は後北条の遠山光影か?松山城上田氏か?、山全体が岩山で石垣(石積)が見られる。

小倉城本丸

菅谷館 鎌倉幕府御家人の畠山重忠の館、長亨2年(1488)山内上杉と扇谷上杉が激戦を繰り広げた(須賀谷原の戦)、その後山内顕定の命で太田資康が扇谷上杉の拠点河越城の抑えとして改修、以後山内上杉の城となる。

菅谷館本丸土塁 川と湿地帯が防御。

小山城 栃木県小山市、小山氏の居城、久安4年(1148)小山政先築城、思川脇の台地を堀で分割、天正4年(1576)小山秀綱が北条氏に降伏開城、北条氏の北関東攻略の拠点。

小川城本丸と二の丸の堀。

西方城 栃木県西方町、西方氏の居城、永正12年(1515)宇都宮忠綱が皆川宗成に敗れ、西方城も皆川氏の手の落ちる、天正13年(1585)宇都宮国綱の時皆川広照を破り取り戻す。

西方城本丸 西方城を見ると確りした縄張り(本丸を中心とし尾根を利用した東西南北の曲輪)で堅固な防御にと見ましたが・・・守る碑威力がどのくらい配置できたのかな??。

皆川城 栃木県栃木市、皆川氏の居城、皆川氏は戦国期に入ると北の鹿沼を攻略した宇都宮氏から圧力を受け、従属と離反を繰り返す、天正18年(1590)小田原征伐では皆川広照は北条氏に与し小田原城籠城、広照は小田原城を脱出し徳川家康の陣に駆け込み、豊臣秀吉に所領安堵を食える。

皆川城本丸 その後栃木城城を築城移る。

皆川城の西の丸 下の竪堀。

太田金山城 群馬県太田市、金山235mの山頂から尾根筋にかけた、石垣が多数使用された珍しい城、新田一族の岩松家純が文明元年(1469)築城、享保元年(1528)由良氏が改修、天正12年(1584)には北条氏の城となる。

太田金山城本丸

太田金山城大手門筋の石垣。

桐生城 群馬県桐生市、桐生氏の居城、戦国期北条・上杉氏らに従いつつ太田金山城の由良氏と抗争、永禄3年(1560)桐生助綱は上杉謙信に従い小田原討伐に参戦、元亀元年(1573)家中の乱れに乗じられて大田金山城の由良成繁に攻められ、城主桐生親綱は佐野へ逃亡、天正2年(1574)には由良成重のものとなる。

桐生城本丸 城郭縄張り図は取り合えず終わりです、此れから現存天守12城をまとめます。
















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