2024年2月28日(水)に兵庫県淡路島の洲本城(山城部分・・・三熊山(高熊山))に行って来ました、大永6年(1526)淡路水軍を率いた安宅氏により築城、その後豊臣秀吉の四国攻めにより、水軍の将脇坂安治が洲本城主となり本格的な修築を加え、現在の城郭となった。 脇坂安治は九州攻め・小田原攻め・朝鮮等の攻めに参加、関ケ原の戦いでは東軍へ寝返り伊予大洲53万石の大名となった人ですね、その後洲本城は池田氏・大阪の陣後は蜂須賀氏の物となりましたが、山下に居を構えて山上の城は使用されずになったそうですが遺構がそのまま残っています。
山下から見上げた洲本城・・・・模擬天守。
洲本城は山頂部が広く、今回は本丸周辺の一部と本丸部分の見学となりました、右側下側を左側へ進み中央の本丸周辺を見ます・・・右側の上方面へは行きませんでした。
縄張り図 駐車場の現在地スタート 階段を上り左側横南の丸突き当たりまで進み右上へ進み本丸方面の石垣横を・・・・。
バスの駐車場から階段を上がると石垣が・・・馬屋曲輪の石段(上の写真の下側の出っ張り部分)・・・右側方面へ。
大手門方面へ・・・右側の石垣上は東の丸(東の丸方面へは行かなかったです)。
右側はまだ東の丸方面の石垣が続きますね。
少しずれますがまだ右側の石垣が続きます、左側は馬屋曲輪が終わり崖になります。
漸く突き当り・・・正面石垣は南の丸、右側が虎口。
虎口へ近づきました、正面、南の丸・・・右側へ。
?門・・・右側は東の丸方面・・・・多分二の丸?、向こう側まで行けば八王子木戸がわへ、奥左側が本丸の高石垣下側(二の丸?)。
この虎口の左側、左正面は南の丸石垣、すぐ左の石垣は門櫓?、右側の石垣は回り込んで本丸への通路。
回り込みます、二の丸・・・東の丸方面、左側に回り込めば本丸方面へ。
回り込みました、左側が南の丸、右側が本丸の石垣。
回り込んだ右側、東の丸の石垣・・・・右側の奥の下あたりが駐車場方面。
回り込んで端から、右下脇の石垣下横を来たのです。
東の丸方面を見ますた・・・・池もあります。
手前が二の丸の石垣?、奥が本丸の高石垣・・・・右側が東の丸、左側が本丸の虎口方面へ。
左側、本丸方面へ、右側は二の丸方面。
二の丸?・・・・左側は本丸石垣。
本丸方面へ・・・・左側は南の丸方面。
本丸脇の帯曲輪上に・・・・此方が本丸大手口でしょうかネ・・・昔の階段。
先程の虎口上に出てきました・・・・右側は南の丸の石垣、左側下を来たのです。
同じ場所から少し拡大・・・・大変な防御地帯ですね。
此処が本丸の大手口の石段、途中踊り場があり右側へ・・・。
まず、本丸脇を見て回りますね・・・。
左側が南の丸、右側が本丸側。
本丸脇・・・・正面の曲輪の名前が?。
名無し曲輪の上から、本丸天守を見ました、模擬天守。
搦め手虎口側から見た洲本城天守。
天守台に比べ大分小さな模擬天守ですね、以前は上れたみたいですが、今は老朽化が進み登れないとの事、・・・・一番最初の写真は向こう側から見た写真ですね・・・この後、本丸です。