三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

長篠城に行って来ました。

2024-05-24 06:14:41 | 城郭愛知

2024年5月17日(金)愛知県新城市の長篠城に行って来ました、あの武田軍が大敗した設楽原の戦いを引き起こした籠城戦の場ですね。

長篠城と設楽原の位置関係 武田勝頼軍(1・5万人)が長篠城の籠城を解いて織田信長・徳川家康軍(3・8万人)へ戦いを挑んだのですネ。

長篠城は豊川と宇連川の合流点を背後に利用した城ですね、永正5年(1508)菅沼元成築城、改修奥平信昌・徳川家康。

JR飯田線の長篠城駅・・・線路が長篠城本丸脇を分断して走っていますね、弁天島ー豊橋駅から来ました。

駅前から歩きます、まず搦め手門跡の標識が・・・次に瓢曲輪・巴城曲輪・・・。

帯郭・・・・二の丸・・・この先が大手口方面。

帯曲輪から馬出・・・主郭方面・・・右側奥が弾正曲輪方面。

弾正曲輪跡・・・・民家ですかネ。

長篠城帯曲輪・馬出跡に建つ資料館。

長篠城主郭前の帯曲輪・・・主郭の空堀と土塁。

主郭の空堀と右側が土塁部分。

主郭の土橋。

土橋前から見た長篠城の主郭への虎口。

長篠城主郭虎口。

長篠城主郭・・・櫓台。

主郭を右側から左側へ。

主郭左側・・・向こう側の山々には武田軍が陣城とした所、武田軍1・5万で包囲。

主郭左側の土塁へ。

土塁上。

土塁上を奥に・・・。

奥にJR飯田線が・・・・主郭部分と向こう側の野牛曲輪を分断。

野牛曲輪側・・・・後程、川の向こう側へ行ってみますね。

主郭の右手がわ(土塁の反対側)・・・向こう側(磔)から呼びかけた・・・豊川で分断・・・後程向こう側へ。

JR飯田線の駅方面へ戻り川を渡り、対岸から長篠城方面を見ます。

この橋上からが長篠城のビューポイントとの事。

宇連川と豊川の合流点・・・野牛曲輪・・奥が主郭・・・豊川(左)に飯田線が・・・。

橋を渡り飯田線を渡り鳥居強右衛門の磔場所にある墓所跡へ、主郭が見えますね・・・武田軍織田・徳川軍とも長篠城よりもお互いの機を待っていたのでしょうね、天正3年(1575)の事、よく天正4年(1576)廃城。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


三河田原城に行って来ました。

2024-05-23 05:04:13 | 城郭愛知

2024年5月16日(木)三河田原城に行って来ました。

愛知県田原市・・・渥美半島の入り口・・・豊橋鉄道渥美線の終点駅駅。

田原駅から歩いて20分弱・・・・昔は海に近いお城との事・・・・今は海はどこ?。

色々説明版があるのですが・・・・地元の人?に聞いたら解らなかった?・・・。

この時計台を目安に・・・・此処で聞いたのですが?、この道を上がりますね。

上の坂道を上がると、図の右上の”C”の場所に上がってきます。

坂路を上がります、右手にそれらしきものが・・・・。

田原城の水堀・・・袖池とい石垣。

近づきます、右側石垣奥が三の丸。

大手門・・桜門前。

田原城の縄張り図 文明12年(1480)頃戸田宗光海に面した小さな丘に築城、天正18年(1590)池田輝政が東三河に吉田城を築く・・・その頃の曲輪・石垣が残っているみたいですね、寛文4年(1664)三宅氏が1・2万石で治める。

田原城模擬大手門 桜門。

左側が枡池。

枡池から見た桜門。

枡池左側・・・二の丸方面?、左側方面には渡辺崋山を祀る、崋山神社。

崋山神社。

桜門・・・・大手門。

大手門を入ると二の丸・・・復元の模擬櫓(博物館)。

二の丸櫓。

二の丸櫓。

大手道右側が三の丸・・・現護国神社。

大手道本丸前の土橋・・・・左側が二の丸側、右側が本丸、堀底へまず降りますね。

堀底から見た本丸への土橋。

本丸横の曲輪・・・現田原博物館。

本丸へ戻ります、土橋方面より本丸を見る、現巴江(はこう)神社。

巴江神社。

脇に熊野社・稲荷社。

大分離れた位置に田原城惣門・・・右上です。

惣門の石垣がありますが、脇にある田原市報民倉(災害対策備蓄倉庫)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


西尾城に行って来ました。

2024-05-22 05:56:54 | 城郭愛知

2024年5月16日(木)愛知県の西尾市の西尾城に行って来ました、浜松の弁天島から豊橋・新安城・西尾まで今日は朝の内雨でしたが上がってきましたね。

小京都西尾・・・道はわかりやすく、雨もやみ良かった。

新門の当時の絵が・・・。

此れが西尾城新門。

尚古荘 西尾城の東の丸の遺構を利用した枯山水の庭園。

庭園内・・・雨上がりで奇麗な緑が・・・・・。

庭園を見て回りました、この先が西尾城。

西尾城 左側が本丸、堀があり右側が二の丸。

上の図は左側から見た所 実際の天守は二の丸の端にある珍しい配置の城 城下から見やすい位置なのですね。

鍮石門(ちゅうじゃく) 二の丸の大手門。

二の丸城内へ左側に本丸丑寅櫓が見えます。

左側には水堀が・・・・。

二の丸の堀脇から見た本丸丑寅櫓(北東)再現・・・本丸には四隅に櫓が会ったのです。

二の丸奥・・・旧近衛邸。

二の丸から本丸への虎口。

西尾城本丸 現在西尾神社。

西尾神社。

西尾城 本丸丑寅櫓。

丑寅櫓から見た二の丸・・・今来た方向です、右手前が鍮石門、その先が二の丸丑寅櫓(再現)。

本丸を出て中の丸から見た本丸丑寅櫓。

此れは二の丸方面から見た西尾城、再び二の丸へ。

江戸期には本丸でなく二の丸が政庁の中心に明和元年(1764)大給(おぎゅう)松平6万石 西尾藩。

二の丸の手前は現駐車場。

屛風折れ土塀。

二の丸丑寅櫓 漆喰塗壁・下見板張り。

二の丸天守石垣上から見た二の丸全景。

二の丸から見た、西尾城本丸丑寅櫓。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


名古屋城に行って来ました。

2022-04-18 14:26:18 | 城郭愛知
2022年4月13日(水)今回の名古屋地区のお城巡り最終日のラストに拠りました、小牧山城の帰りです、11日の巡った城(松坂城・津城・桑名城)はまだ整理中です、今日も暑いですね、雨が降らず良かったですがチョット異常ですね。

名古屋城の縄張り図です、よく見たら2か所見ていない場所がありましたね、多分5回目なのに見逃しました、1は下の二の丸大手二の門、2は御深井丸の西北隅櫓(清州門)次回木造での復元時には併せて見たいものです。

地下鉄の市役所前を上がった所の外側の堀、右側奥が東門・・・手前左は二の丸大手側。

東門。

東門から見た東側の堀、左側が二の丸。

東門の石垣。

東門を入ると二の丸です。

二の丸から見た本丸の東南隅櫓と天守。

アップでの名古屋城天守・・・現在は建物の中に入れません。

東南隅櫓と本丸正面虎口。

本丸東側の内堀・・・奥は旧二の丸東二の門。

東南隅櫓お東側の内堀奥は旧二の丸東二の門・・・これから時計回りに内堀を見て本丸城内から東二の門へ。

此処は正面御門前の二の丸の石垣・・・・この奥左に見ていない二の丸大手二の門があるのですね?。

本丸表門、内枡形ですね。

表門から今来た東南隅櫓を見る。

西南隅櫓と大天守・・・小天守は木々で見えず。

名古屋城大天守をアップ。

名古屋城正門・・・一度外へ出ました。

名古屋城の巨木です・・・カヤの木樹齢600年幹回り8m・・・幹が見ずらく?。

西南隅櫓から東南隅櫓を見る。

名古屋城大天守と渡櫓・・・右側に小天守あり。

横から見た大小天守・・・真ん中を繋ぐ剱塀(塀の軒に鋭い槍先がある)。

小天守。

西北から見た名古屋城大天守、此処の御深井丸の隅櫓が清州櫓・・・まだ見た事ない。

本丸北側の大天守横にある不明門・・・この先行き止まりで不明門から本丸へ入ります。

名古屋城小天守剱塀・・・・大天守は小天守経由でしか入れないのです。

本丸から見た名古屋城大小天守・・・・手前の建物は本御殿の建物。

清正石・・・名古屋城最大の大石。

搦め手側の旧二の丸東二の門・・・・奥の正面に清正石あります・・・・これで名古屋駅へ戻ります、疲れました。


小牧山城に行って来ました。

2022-04-15 12:46:17 | 城郭愛知
2022年4月13日(水)に愛知県小牧市の小牧山城に行って来ました。

小牧山城はあの織田信長が美濃斉藤氏攻略の為、永禄6年(1563)に清州城より拠点を移し築城したお城、4年後の永禄10年(1567)には稲葉山城が落城し岐阜城へ廃城となります、天正12年(1584)羽柴秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いの家康の陣城でもあります、土塁・空堀は当時のものとか・・・・。

江戸時代は尾張藩の御留山の為遺構残っていますね。

小牧駅からバスで小牧市役所へ・・・何せ熱いので疲れています、今日が名古屋散策の最終日85mの小牧山を此れから歩きます。

市民の方の散歩コースですね、皆さん散歩されています、右側は平ですが、結構急な場所もあります。

右端の方です、正面が小牧山。

これが当時の・・・大手門筋から真っ直ぐに伸びた道両サイドには削平した曲輪が途中から屈折し山頂へ・・・・安土城の縄張りにどこか似ていますね。

少し上った所から正面下を見る、結構土塁が見て取れますね。

削平された場所が・・・・曲輪でしょうかネ。

大手道です、真っ直ぐに登ります。

下側の大手道。

大手筋が右側に曲がります。

漸く山頂近くに。

山頂下の切岸ですね、一部石垣が見えます、回り込みます。

切岸を回り込むと山頂が見えます。

大きな石が散乱しています、転落石・・・・石垣が崩れ落ちたものです、山頂には小牧山城(模擬天守)があります。

石垣の裏石です、発掘調査の結果山頂付近には石垣があり、使用期間は4年間ですが、しっかりと築城されていたみたいですね。

現存の腰巻石垣です。

復元した石垣と模擬天守です。

模擬天守の小牧山城です・・・・?。

織田信長も見た景色?・・・・イエイエ徳川家康は見たでしょう、右側奥が長久手とか、羽柴秀吉と徳川家康は半年間睨み合い状態で大きな戦も無く撤退したのです。

小牧山城を見ながら今度は裏側方面を回り込みながら下山。

小牧山城・・・本丸を見ながら、織田信長は此処から美濃侵攻の策略を・・・。


清州城に行って来ました。

2022-04-14 14:31:50 | 城郭愛知
2022年4月10日(日)愛知県清須市の清州城に行って来ました、13日(水)まで名古屋周辺の城郭を巡りますネ。

JR東海道線で名古屋駅の関西よりの清州駅から線路わきを戻りますね。

五条川脇応永12年(1405)尾張・遠江・越前守護管領斯波義重築城とか、お城は鉄道により分断と川の改修工事で変わっているそうです、川の向こう側に模擬天守が作られています。

清洲古城跡公園です、右側はJR東海道線で向こう側が清州公園(城の一部)。

信長公を祀る社と古城跡です。

古城跡の上に立ちました、文明10年(1478)からは尾張守護代織田家の本城です、弘治元年(1555)信長が那古野城(名古屋)から移り大改修10年間居城・・・桶狭間の戦いは此処から出撃。

五条川から見た清州城。

少し川上からの清州城。

もう少し川上へ・・・・この辺りは桜並木ですが、もう散り始めていました。

清洲公園側です、左が濃姫、信長は桶狭間を向いているとか・・・・出陣前。

この石垣は五条川の改修工事に見つかった石垣とか・・・。

此れから橋を渡りお城を時計回りに見て城内へ入ります、信長は桶狭間の戦いで今川義元を破り美濃の斉藤氏との戦に備え、永禄6年(1563)小牧山城へ移りますね、天正10年(1582)本能寺の変後次男の織田信雄、文禄4年(1595)には福島正則の居城、慶長12年(1607)徳川家康の9男義直が入城、慶長18年(1613)に名古屋城に移り廃城・・・名古屋城西北隅櫓は此処から移築(清州櫓)。



裏側へ・・・・模擬天守ですが!。

城内へ

コロナ禍の影響で・・・・

再び正面横のシダレ桜と清州城・・・・・天気予報では12日・13日は天気が悪くなるとか?・・・外れましたね、次回は関連があるので墨俣城・小牧山城をと記載しますね、凄く暑くて疲れましたね。


名古屋城に行って来ました。

2017-10-13 10:39:40 | 城郭愛知

2017年10月9日(月)に犬山城を見学したのちに名古屋城に行って来ました、地下鉄市役所前から城内へ此処名古屋城は日本三大平城で大阪の豊臣家を意識徳川家康が西国大名に築かせた天下普請の城です、旧国宝ですが戦災で焼失戦後再建されましたが、今話題の木造で再建が進行中です・・・・ぜひ新しい名古屋城も見たいものです。

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市役所がわ東御門から二の丸へと入りました。

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名古屋城外堀です、正面が東御門入り口です、三の丸は左手後ろの堀の外です、大きな城郭なのです。

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東御門入り口です。

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東御門を入ると、右側が広大な二の丸があり此処は庭園です。

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二の丸をなおも進むと堀に囲まれた本丸があります、辰巳(東南)隅櫓と南一の門(表一の門)です。

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南一の門です、内部が枡形構造です、高麗門中が櫓門です。

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南一の門の先にある未申(西南)隅櫓です、それぞれ小さなお城の天守なみですね。

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未申隅櫓と名古屋城天守(北西)です、左側・後がわは西の丸で奥左側が御深井丸でその外側は水堀で囲まれています、名古屋城は徳川御三家筆頭で徳川家康の九男義直尾張徳川家62万石のお城です。

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正門の櫓門です西の丸内側から。

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西の丸から見た大天守。

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未申隅櫓方面から見た表一の門と辰巳隅櫓。

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西側の堀外から見た手前小天守(よくわからず)と大天守。

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本丸から見た小天守(2層2階)と大天守入り口・・・小天守は大天守の関門の役割。

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小天守から大天守への入り口です、出入り口は此処のみです。

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ここ名古屋城は連結式層塔型です、最上階から見た未申隅櫓方面、西の丸正門も見えます、手前は建設中の本丸御殿です。

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本丸から見た大天守・・・・これが木造で生まれ変わるのが楽しみですね。

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連結式層塔型小天守と大天守です、手前の建物は再建中の本丸御殿の一部です。

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此れが本丸御殿の玄関車寄せです、すべて木造による建物です、迷子になりそうな内部です。

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此れが御殿内部、二条城と並ぶ武家風書院造りの双璧です、見事な襖絵ですね。








国宝犬山城に行って来ました。

2017-10-12 08:10:39 | 城郭愛知

2017年10月9日(月)に国宝既存天守(5個のみ)の犬山城(2回目)に行って来ました、大垣から名古屋に途中で清州城?が見えました、今回の計画で気が付きませんでした残念です。

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名古屋より名鉄犬山線で犬山遊園(図の右上)駅へ木曽川沿いに既存12天守で国宝5重要文化財7・・・国宝犬山城へ向かいます、尾州藩附家老成瀬家のお城ですね(今でも個人の城ですかネ?)。

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此れは江戸時代の城郭です、今は天守・本丸門・鉄砲櫓ですかね。

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木曽川上流側から見た犬山城天守です横面側ですね、当時は丁度下側の川沿いにも櫓が在りましたね。

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やはりアップでの犬山城です望楼型です入母屋の屋根上に切り込んだように乗っています、廻縁がみえます、下横は石落としですね。

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イザ、お城に大手道を上がります、右側が杉の丸、左側崖下が樅の丸、左奥の石垣の上が鉄砲櫓、正面石垣横が枡形構造で本丸門です。

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此れが本丸を守る鉄砲櫓の石垣です。

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大手門で枡形構造ですね。

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大手門脇から見た鉄砲櫓ですね。

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大手門をくぐり本丸から見た天守です。

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正面から見た所です、右側に付櫓(入り口を守る)、屋根の上に乗っていますね、唐破風がおしゃれですね、天守脇の窓が華頭窓です、三重四階地下二階です。

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入口左脇から見上げました右側突き出しが付櫓です。

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天守建物の内部です、急な梯子で登ります。

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廻縁から見た木曽川です、あの橋右側が駅です。

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これも廻縁から本丸と犬山の城下です、正面が本丸門・鉄砲櫓です。

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大手道を下ります、右側は樅の丸の堀ですね。

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下流の橋側からみた天守です、やや天気が悪くなりましたネ、石落としが川側に在りますね、秀吉はこの川側から攻め上りましたね。

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これもアップで如何でしょう?、流石既存天守12個の写真も漸くそろいましたね、以前は仕事の合間に来たので周りから見ていなかったかな?、此れから名古屋城です。