三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

大阪の池田城に行って来ました。

2023-04-05 07:38:28 | 城郭大阪
2023年3月29日(水)に大阪の池田市の池田城に行って来ました、池田市は大阪府の西側の端で南側に明日行く兵庫県伊丹市・その南側は尼崎市と地図上では一直線の位置関係ですね。

背後の山の手前の高台に築いた小規模なお城ですね、摂津守護細川氏の家臣の池田氏のお城でしたが、池田氏の内紛に乗じて、荒木村重(当時は茨木城主)が池田城を支配したが、その後伊丹城(有岡城)を居城に城は廃城となりましたね。

池田駅正面からの道を直進し右手に見えたお城を頼りに狭い路地から上がりました、池田城西門・・・現在東西南北の門と虎口門の五つの門があります。

城内です、綺麗な公園です。

城内から見た池田城、右側が今上がって来た、西門。

綺麗な枝垂れ桜が今満開でしたね、桜を入れながら池田城を撮ります、お城の周りを見ながら写真を撮りますね。

桜と城。

北門を見たあと、此処は東門と木橋・・・・下は空堀。

木橋の上から見た空堀・・・結構な深さが見えますね・・・。

東門を入り奇麗な城内を・・・。

東門脇の塀ですね・・・・・当然すべて復元ですが・・・・雰囲気は伝わりますね。

池田城。

池田城が続きますが・・・。

折角ですから。

東南にある虎口門・・・外側から見た所・・・この冠木門の方が雰囲気が出ますね。

少し角度をかえて。

南門を外から・・・桜で池田城が見えず。

南門を入り見上げた池田城。

お城の廻縁から見た北西方面、下は西門。

北側。

南側ヤヤ東。

南側ヤヤ西、池田の駅方面。

もう一度。

枝垂れ桜が美しかったので・・・・今回はお城の建物が無かったので建物のある池田城を選びました、明日は荒木村重の有岡城。


大阪の烏帽子形山城に行って来ました。

2023-04-04 09:59:48 | 城郭大阪
2023年3月29日(水)に大阪府河内長野市の烏帽子形城に行って来ました、本当は千早城に行く予定でしたが、駅前の観光案内でバスを確認近所の山城を紹介され急遽そちらに鞍替え。

高野街道沿いの旧家・・・・河内長野は京・堺・高野山を繋ぐ交通の要衝。

駅から意外と近くの高野街道脇の烏帽子形山182mの山頂に烏帽子形山城があります、北と西は断崖北に石川、東は河岸段丘天見川に囲まれた山城、伝・・・楠木正成が築城した上赤坂城の支城、豊臣秀吉が紀州攻めの時には家臣の岸和田城主中村一氏が使用したとか・・・城郭は小規模ですが、遺構は良く残っています。

上の図の右側から城内へ進みますね、尾根筋を八幡神社の分岐・・・直進。

いよいよ、城内へ。

左側直進が主郭へ、正面が空堀、右側が土塁・・・土塁の上を進みますね。

空堀・土塁が続きますね。

右側下方面を見ます、沢状を左右から挟み込むような拵えですね。

空堀・土塁は向こうの端まで続いていますネ。

土塁上から見上げます、段々に削平された陣地が見て取れますね。

元に戻り、上に上がります、横矢掛かりに・・・。

上がると削平された曲輪となおも上への道が。

右側下は2段目の空堀で構成されていますね。

左側は空堀と大きな壁が上が二の郭。

階段を上がりますね、上が二の郭、その奥が一の郭(主郭部分)ですね。

二の郭まで上がりました、二の郭は一の郭の南側ですね。

振り返ります、二の郭、右上が一の郭。

一の郭へ上がります。

虎口の左側、一の郭。

今主郭の中央、右側下から登って来ました。

主郭の左側・・・建物跡が在った場所。

主郭南脇から見た空堀底道・・・結構な高さがありますね。

主郭の西端・・・河内長野が眼下に・・・。

振り返りますね、主郭(一の郭)の全景です、手前にも建物跡が・・・。

二の郭を見ました・・・・。

北側の空堀側です・・・空堀に降り、一の郭・二の郭の半分の堀底道を廻ります。

堀底道、左側が二の郭側。

絵で見れば、廻り込んでる感じが解りますね・・・土橋方面へ進みますね。

正面が土橋。

土橋上方面から見た南側の空堀群・・・・遺構が良好に残った素晴らしいお城ですね。

この後烏帽子形八幡神社へ・・・・如何でしたか。


大阪の飯盛城に行って来ました。

2023-04-03 06:42:57 | 城郭大阪
2023年3月28日(火)に大阪の四条畷にある飯盛城に行って来ました、三好長慶が高槻の芥川山城から38歳の時此処に移り42歳で亡くなりましたが畿内に号令(天下人)した山城です。

左下の四条畷駅から四条畷神社へ背後の飯森山314mの山頂一帯を城郭とした山城。

四条畷神社へ向かう参道途中から見た飯森山。

四条畷神社 祭神は楠木正行(正成の子)ら25柱。

楠木正成・正行の像・・・・山頂には正行の像もあります、四条畷の戦いで正平2年(1348)高師直に敗れたのです。

神社右側の脇から飯森山(飯盛城)への登山道があります、新道・旧道(がけ崩れの恐れがあるので禁止)がありますが、新道を上りますね、私はストック持参ですよ(山登り)。

道は階段状で一部急坂があります・・・・桜が咲いていたので助かりますが、結構大変です。

少し行くと分岐が・・・・右側へ此処から急坂が続きますね。

この辺は新道ですから城の一部ではありませんが、急坂が続きます・・・桜が見頃です。

大分上がってきましたね・・・・・。

そろそろ、飯森山の城郭を左側の上から来ます・・・縄張り図・・・飯森山山頂の尾根筋に各曲輪を設けた山城、享禄年間(1528-1532)河内守護代 木沢長政が築城、天文20年(1551)安見宗房、永禄3年(1560)三好長慶が芥川山城が移り居城 南側の千畳敷曲輪住んだそうです、畿内に号令(将軍を制し天下人として)4年後に死亡42歳・・・二の丸御体塚郭は死亡を隠すために埋葬した場所とか。

階段の山道を上り漸く、削平された曲輪?へ・・・街並みが見える所まで上がってきました。

切岸上の横矢掛かりらしき階段へ。

上がると・・・・二の丸史蹟碑郭。

二の丸史蹟碑郭・・・・桜も今が盛り、町が・・・。

先に進みます、横矢掛かりにした細い尾根・・その先は。

堀切です、今右側手前を来ましたが、やはり横矢でしたね。

次の曲輪へ上りますね・・・・堀切が美しく見えますね、感動ものですよ。

登途中に見えますか石垣が見えますね、石垣のある山城が登場・・・松永弾正・織田信長へと・・。

折角ですから、石垣を・・・此処は飯盛城二の丸御体塚郭東側の石垣です。

飯盛城二の丸御体塚郭、碑は関係ありませんね、三好長慶の死体を秘匿した場所ですね。

本丸との境目、左側は本丸の脇道、右側が本丸へ・・・。

本丸への虎口。

本丸三本松郭・・・本丸も現在4つの郭に分割(北側手前から(三本松・蔵屋敷・展望台・高櫓))。

北条神社方面の虎口?、幾つかの曲輪があるを登って来ますね・・・・蔵屋敷に直接上がってきますね(禁止)・・・旧道??。

この上が本当の?、本丸ですね・・飯森山山頂、左側には石垣が見えますね・・・。

少し左側へ・・・・石垣が続きますよ・・・・、左側も崖です。

戻って本丸上がりました、飯盛城本丸展望台郭。

本丸展望台櫓・・・奥の高台が本丸高櫓郭です。

大阪の町が一望のもとに見えるのです、左から奥が あべのハルカス・大阪の文字下が なんば駅・望の文字下が 大阪城、淡路島・大阪駅・神戸・六甲山・・・。

今日も良く見えます・・・・如何ですか?。

三好長慶のお城飯盛城本丸・・・奥が高櫓郭・・・像が見えますね・・・楠木正行。

飯盛城本丸高櫓郭です、楠木正行公の像・・・桜と逆光で顔がハッキリしませんが?。

本丸を過ぎて・・・・途中の土橋・・・。

千畳敷郭への虎口。

千畳敷郭の一部に・・・・・、此れで芥川山城・飯盛城と三好長慶の二城を巡りました・・・・鉄砲が出る前の山城の魅力が充分に見られましたね・・・・満足な疲れでいっぱいですが・・・疲れました。

大阪の芥川山城に行って来ました。

2023-04-02 11:45:54 | 城郭大阪
2023年3月28日(火)に大阪府の三好長慶の所縁のある山城を二つ見て回りました、見た順番は前後しますが年代に合せます、まず高槻市の芥川山城次に晩年の飯盛城です。

京都大阪間の高槻市の高槻駅からバスで塚脇へ・・・・地図の現在地・・①から②へ②から③の塚脇ルート途中へ戻り④の大手筋ルートから主郭を見て帰りは塚脇ルートから戻りました。

芥川山城の縄張り図・・・三好山183mの山に築かれた山城、北・西・南の山麓を芥川が巡る天然の要害ですね、永正13年(1516)摂津・丹波の守護・細川高国が築城、その後細川晴元、天文22年(1553)晴元を追放し三好長慶が入城・・当時の天下畿内に号令、永禄3年(1560)長子義興に家督を譲り飯盛城へ・・・・永禄11年(1568)織田信長は三好一族を破り上洛。

バス停の少し先から見た三好山・・・・山頂の平らな所が芥川山城の主郭部分・・・右側の妙力寺方面から上る。

③の分岐場所・・・途中まで此処(塚脇ルート)を登・・・引き返して大手筋ルート(左側へ)。

塚脇ルートから見下ろした景色・・・・今整備中なのかなと思える景色ですね??、正面が三好山で右側の山も城郭の一部?。

なおも続きますね、近代的な城郭に見えますね・・・。

上の方に来ましたが、私は大手筋に戻りました。

大手筋へ戻りました・・・多分復元石垣?(通行止め)・・・・私は左側の道を進みます。

綺麗な石垣が出来上がっていますね・・・。

町中?・・・を進むと段々狭く舗装道路が無くなります、目がずに進みますね・・・大手筋ルートに間違いありませんが・・不安。

道が荒れています・・・竹林の手入れが為されていない為でしょうか・・・。

道筋正面には切岸?ぽい・・・なおも直進・・・。

出てきましたね、大手門石垣。

大手門石垣虎口がハッキリしませんが(取れ会えず右脇の山道を)。

石垣脇を進めばすぐに丁字路・・・塚脇ルートとの合流点。

左側へ進みますね。

回り込むように進むと視界が開けますね・・・順番から行けば、三の郭。

三の郭から見た・・・高槻市内。

振り返ります、右側端から来ました、左側へ進みますね・・・此処が三の郭?。

山頂はもうすぐ。

上りました、二の郭脇の腰曲輪?、・・・登坂脇ですから横矢掛かりですね。

腰曲輪から見た、三の郭・高槻市の町。

腰曲輪から見た主郭方面。

桜広場・・・多分、二の郭。

桜広場入り口から見た、主郭方面と主郭部分を取り巻く腰曲輪・・・腰曲輪の右側下を回り込むように登って来たのです、左側が主郭方面。

主郭(一の郭)の虎口・・・・それぞれの虎口の防御性は?。

大手道を上がり、回り込み、順番に上がってきました・・・。

三好長慶が此処から畿内に号令したのです・・・・足利将軍の権力はすでになかったのです・・・。

一の郭から見た二の郭と高槻市の街並み。

振り返りますね、一の郭。

掲示物が多く奥が見えないので・・・・一の郭壇上?。

一の郭の向こう側下にも削平された曲輪がありますね。

一の郭奥から見た所・・・結構広いですネ、土塁はありませんね。

主郭部を降りて塚脇ルート方面へ・・・・虎口ですね。

堀切で狭めての土橋の防御。

主郭部とは別に広がる西の郭方面の一部に墓石が、・・・この辺り一帯も各曲輪が見受けられますね、左脇は塚脇ルート・・・これで芥川山城は終わりです、この日は朝のうちに飯盛城を・・・2・5万歩となりました。

岸和田城跡に行って来ました。

2019-04-19 10:25:30 | 城郭大阪

2019年4月15日(月)に岸和田城跡に行って来ました、今日は岸和田城跡ー住吉大社ー尼崎城跡ー淀城跡ー伏見城跡と見て回ります、明日は兼ねてから見たかった高取城跡で最終日は奈良見学です。



奈良から岸和田へ関西の電車に馴れず・・・苦労しました、岸和田と聞いたのですが東岸和田を教えられて?、乗り換え直したり、漸くつきましたね、内堀と石垣が有るので風情がありますね、二の丸の堀も一部ありましたが乗せません。



搦め手側の石垣に虎口があり堀に出れる珍しいですね、羽柴秀吉の紀州征伐の拠点の折に再築城沢山の水堀に囲まれたお城です。



時計回りに見て回ります。



今日は天気も良くお城も生えますね。



隅櫓から表門へ、この左側に二の丸広場と堀もあります。



これは昔(江戸時代)の岸和田城ですね三重四重の堀に囲まれた名城なのです。



表門です。



城内本丸から天守です。



一回りしました。



本丸を裏から全体です、天気も良く桜の花もまだ咲いていますし良かったです。