三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

日光の高山中禅寺湖湖畔に行って来ました。

2018-04-29 11:49:58 | 山関係
2018年4月28日(土)連休はじめながら天気が良いとの事で混むのを覚悟で日光の高山周辺を散策しました、意外と混んでいませんでした、JR日光駅から始発のバスで竜頭の滝まで行きました。
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まず竜頭の滝を少し見学、水量はこんなものですかネ?昔はもう少し多かったかな?、中禅寺湖湖畔へ行きます。
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中禅寺湖畔へ、湖畔といえども細い崖状の道のアップダウンを歩きます・・・趣の有る路ですが。
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湖畔の道に張り出すように咲くヤシオツツジの花シロヤシオツツジはまだまだ跡ですね。
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中禅寺湖とヤシオツツジです向こうの山は社山?あたりかな?。
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赤岩?あたりからのヤシオツツジです。
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湖畔の道ですどうです、岩壁の横を歩きます落石が起これば危ないですが。
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次から次へと花が見られ湖も美しく見れますね。
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また湖畔の岩場を・・・・。
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岩場が終わり湖畔の砂場が見えました、花も終わりですが。
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湖畔に降り立ち岩場方面の岸辺を・・・花が咲きに咲いていました。
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逆側は弧を描くような砂浜です、その先は千手が浜方面ですね、私たちは熊窪を高山方面へ上ります。
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湖畔の生える木と湖を借景。
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もうひとつ。
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登りつめた山の尾根から見え始めた太郎山を・・・。
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まだ一部残雪を残すの白根方面山です、赤沼バス停でも無事バスに乗れました、イロハ坂までは新緑・中禅寺湖畔は桜が満開で癒されますが、戦場ヶ原の新緑はまだでした。
















鹿児島に行って来ました(仙巌園・蒲生の大クス)。

2018-04-26 10:40:58 | 巨木巡礼九州・沖縄

2018年4月24日(火)には指宿近辺(薩摩半島南端部)を見て回り、鹿児島の仙巌園・姶良の蒲生の大クスを見て回りました、昼前から大雨となりましたね。
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番所鼻から見た開聞岳・・・日本100名山です以前回り込みながら登りました、今回は天気が悪く山頂付近には雲が。
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池田湖近くの大野岳へ上りやはり開聞岳は見えずでしたね、この後大雨で池田湖畔は散策しないで大ウナギを見てました。
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19代の島津光久が築いた島津藩別邸仙巌園の獅子乗せ大石燈籠です、仙巌園は別名磯庭園です、目前の桜島を築山に錦江湾を池に見立てた壮大な庭園なのです。
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島津家の御殿で明治の一時期は本邸としても使用していたそうです、藩主の部屋はあの屋久杉の節なしで作られているのです。
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此処は世界文化遺産の明治日本の産業革命遺産で28代島津斉彬が築いた反射炉の跡地です。
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今回の旅で最も楽しみにしていましたが生憎の雨の中水滴を気にしながら撮影となり残念ですが、流石日本一蒲生の大クスです。
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蒲生の八幡様の庭にあります、樹齢1500年幹回り24・22mの日本一の巨木です。
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この木も中は空洞化して約8畳ほどの空洞広さとか左側脇に入り口?が見えました、しかし巨木ではクスノキがベスト10中9つを占めます・・・二位は熱海の来宮神社幹回り23・9mで三位に一つだけイチョウ(北金ヶ沢・・五能線脇)となります、それにしても凄い迫力の神が宿る木ですね、マア雨に濡れて生き生きとしていましたね。









鹿児島に行って来ました(曾木の滝・薩摩金山蔵)。

2018-04-25 22:27:42 | 旅行
2018年4月23日(月)に霧島温泉から薩摩半島の指宿温泉へと行きました、指宿温泉で砂むし風呂に初めて入りました。
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東洋のナイアガラと呼ばれる曾木の滝を見学しました、結構迫力ある滝でした、横幅が広く広がっているからなずけたでしょうね。
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アップにすれば如何ですかネ?。
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展望台の上目線から見た滝全体です、群馬の吹き割の滝見たいで平らな岩場が削られてい水が落ちていますネ、少し岩の弱い所がバラバラでまとまりがありませんが。
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薩摩金山蔵です、平成の初めまで金山として掘られていたそうです、今は焼酎荒城の焼酎貯蔵庫ですが、坑道をトロッコ電車が走り見学出来るのです。
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坑内には昔の作業場が見えますが、沢山の坑道が分かれて逸れると迷いますね。
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坑内の神社です、左右の石は良質の金を含んだものです。
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焼酎の貯蔵です、沖縄では鍾乳洞内での貯蔵を見た覚えがありましたね。
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金の観音様を在りましたね、奄美大島でもそうでしたが、鹿児島も焼酎工場が多く行く先々で試飲ができました。
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此れがなんだかわかりますか?、NHKの大河ドラマ西郷どんのスタジオを再現したものです、西郷・大久保家の再現風景です、見覚えがあるでしょうか?。






鹿児島に行って来ました(関之尾滝・霧島神宮)。

2018-04-25 12:00:49 | 旅行
2018年4月22日(日)~24日(火)まで鹿児島の薩摩半島側を見てきました、1日目は霧島方面ですが、宮崎の関之尾滝・霧島神宮を見霧島の温泉です、火山の影響はありませんでしたね?。
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本日は天気が良いのですが予報では悪くなりそうとのことですが、羽田からの飛行機で富士山上空を・・・富士が良く見えましたが、窓際でないので通路からです。
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鹿児島空港を降りるとやはり暑かったですね、すぐにバスで宮崎県都城方面へ、関之尾滝へ日本の100滝に選ばれている滝だそうです、展望台からです。
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次に吊り橋に降りて間近?からの滝。
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吊り橋奥側から見た滝、滝の上に行けますが、上に行けば当然滝は見えませんヨ。
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霧島神宮に参拝しました。
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霧島神宮の御神木です、樹齢800年幹回り7・2mの霧島杉です、この御神木には神が宿っているとの事ですヨ。
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神社の横側から見たご神木です、わかりますか、下左側の幹上に神が。
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わかるようにアップします、如何ですか・・・・・・・・。
今日は早めに霧島温泉へ。









越前大野城・丸岡城に行って来ました。

2018-04-16 08:02:14 | 城郭福井
2018年4月11日(水)に越前大野城跡・丸岡城跡に行って来ました、昨年に続き2度目の登城となります。
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小高い亀山の山頂に聳えます越前大野城です、今天空の城で売り出し中です、奇麗な城です。
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下の駐車場方面から見上げました生憎天候が時々雨が降ったりしていますが、まだ花も咲いていました。
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此れも下からです、天守と小天守です、望楼型です、初代は金森長近で織田信長の家臣で江戸期は高山藩主となった人です。
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小天守です、石落としがあります、石垣は当時のままですね。
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前回は冬季の為開設していなかったので今回は登城しました、此れは小天守側です。
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こちら側は本丸広場と大野の街並みで遠くの山々はいまだ冠雪した美しさです、大野は城下町の風情を多く残しています。
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これは入り口がわです。
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本丸広場がわから見た越前大野城です。
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次は既存天守12城の一つ丸岡城です、柴田勝家の甥の柴田勝豊が築いた城です、現在は町中の小高い丘の上に聳えています、堀等は見られません。
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廻が狭く、木々があり写真が撮りずらいのです、横の下から見上げました、まだ木々の葉が無いのが救いですね、此れも望楼型ですが既存天守でも最古の天守で趣がありますね。
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此れも入り口石段下から見上げました。
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天守から見た丸岡の街、すぐ下まで家並みが・・・廻縁で、瓦は寒冷地なので石瓦です。
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丸岡城は結局この角度からの写真が一番です、この広場しかありませんし建物全体が見えますからね。
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今回は少し見方を変えて下の離れた場所からお城を見ました。
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此れも下から見た丸尾城です、木々の葉が無いので何とか見えますね、丘の高さもそれ程でないのがわかりますかネ・・・・今回沢山のお城を見てきましたが、まだまだ見たい城が沢山ありますね。




福井城跡に行って来ました。

2018-04-15 07:49:05 | 城郭福井
2018年4月11日(水)に福井城跡(現県庁)に行って来ました、その後越前大野城跡・丸岡城跡・安宅関を見て帰りました、今日の城跡は昨年見たので落ち着いて見られましたね。
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福井城は柴田勝家の北ノ庄近くで本丸が現県庁ですが三重の水堀に囲まれた広大なお城で加賀100万石の抑えとして家康の次男である結城秀康68万石の居城です。
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本丸の内堀と石垣、正面に見えるのが山里口御門に架かる御廊下橋です、左側が天守です。
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御廊下橋と山里口御門です、最近の復元で昨年は渡れませんでしたが、本日は渡れました。
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山里口御門です、本丸へ登城します。
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本丸の天守台跡です、上に天守・小天守台があります、寛文9年(1669年)の大火で焼失し以後再建されずとの事です。
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天守側から見た小天守の石垣です、福井地震により一部が崩れていますネ。
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本丸御門がわの石垣上から見た水堀です、この石垣の先が辰巳櫓(ありませんが)方面です。
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石垣の裏側です、戦時の折には急階段を上り、石垣上に構えるのです。







七尾城に行って来ました。

2018-04-14 11:14:33 | 城郭石川
2018年4月10日(火)にお城巡りで待望の七尾城跡に行って来ました、室町幕府の守護能登畠山氏の居城の山上城郭です、天正5年9月15日に上杉謙信軍2万の前に落城しました。
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七尾城は能登半島の付け根七尾湾を眼下にそびえる石動山300mの端に位置します、山裾の尾根を利用した堅固な城ですね・・・小谷城・観音寺城を思い出しました。
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車で本丸下の駐車場まで上がれます、昔は無いルートで?長屋敷への一部かな?、いきなり本丸方面へ。
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左側が本丸の切岸で少し行くと調度丸の郭に出ます。
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調度丸脇から見た本丸の切岸とその上にある石垣です。
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調度丸です・・・・・左側が桜馬場側です石垣(石塁)が見られます。
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奇麗な野面積の石垣が三段に積み上げてありますね、防御用?崩れ防止用?、高い石垣構築技術がまだ無かったのですかネ、しかし良く崩れずに残りましたね・・・低い野面積なればこそ400年も残るのでしょうね。
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調度丸の端に虎口の石垣があります、寺屋敷への出入り口です。

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桜馬場・遊佐屋敷へ階段を上り上から石垣を見ろしました。
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遊佐屋敷脇から本丸方面を見ました、本丸への北の虎口の石垣です。
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本丸への上り口です石垣に囲まれた細い登りです。
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登りつめるといきなり本丸です。
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北側は眺望が七尾湾が眼下に見えます、南側は山々が繋がり石動山も見えます、石動山大宮坊に上杉謙信は本営を設けここ能登畠山氏と戦をしたのです、当時天正5年9月15日に落城しますが、漢詩で有名な9月13日はこの時の情景を詠じたものです、二万の軍勢で包囲し城側は籠城したのです。
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七尾城址の碑が山頂にありますが、畠山氏の末裔の(荏原製作所創業者)建立とか、当時は畠山氏は内紛状態で当主不在状態で有力家臣が三グループで対立、遊佐氏・・・上杉系、長氏・・・織田系、温井氏・・・金沢御堂系織田の勢力が大きくなり金沢御堂(本願寺)が上杉支持になり、最後は遊佐氏が上杉軍を引き入れたそうです。
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本丸から北側の虎口を見る・・・眼下に登る敵が見えますね。
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本丸のもう一つの虎口(西側)です、土塁石垣が崩れていますが。
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虎口は枡形状の広場で両サイドはガケ状です。
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虎口出口は横矢掛かり状態の急さかです、遊佐屋敷横桜馬場へなります、本丸の抑えは北・西とも遊佐氏が抑えていたわけです。
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桜馬場を行くと左側が西の丸・正面が温井屋敷・二の丸となります。
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温井屋敷から見た二の丸の石垣。
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温井屋敷西側の虎口にある九尺石です、降りる先は?、二の丸を迂回して三の丸へ出るのでは?、私は今回二の丸までで引き返したのでこの山城全体が把握できずですが、やはり各屋敷を山上に構えたのは観音寺城に似ているのでしょうね。
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調度丸からの帰りです、右側が本丸土塁(切岸)です、東側も掘割(堀切?)で削られています、やや時間が少なく未消化でしたが、来て見て実感しました、明日は昨年行った、福井・丸岡・越前大野城跡です。

この城は上杉軍の前に開城し、支援依頼を受けた織田軍柴田・前田4万はまにあわず敗退するが翌年上杉謙信は春日山城にて死亡、結局前田利家が治めその後廃城となりましたね。







高岡古城・富山城跡に行って来ました

2018-04-13 08:05:03 | 城郭富山
2018年4月10日(火)に前田利長ゆかりの地高岡古城・金沢城跡に行って来ました、金沢城跡は大昔金沢国体の時に行ったのですが初めてに近いですね。
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高岡城跡です、富山県高岡市の高岡台地にある前田利長の隠居城です、同じ隠居城の富山城が大火で失い幕府の許可を得てこの地に築いた城です、その後一国一城令で廃城に高岡古城として今に残りました。
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廃城後も縄張りは壊さず当時の縄張りがほぼ残っているそうです、水堀で囲まれ本丸を囲む5個の郭各郭が狭い土橋で連結した防御の珍しいお城です、なお本丸の後は当時広大な湿地帯だそうです。
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各郭間にある水堀は400年間枯れたことが無く今に水をたたえています、大きな水堀です。
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明丸郭側から見た本丸土橋の石垣です、右側が本丸です。
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二の丸側から見た本丸土橋、本丸への土橋は此れだけです。
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土橋の石垣です。
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本丸内にある射水神社。
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本丸です土塁も見て取れますね。
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本丸脇にある前田利長像です、前田利家の子供です加賀百万石の当主です。
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本丸裏手?側を下ります。
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朝陽橋です、三の丸・小竹藪郭方面の連絡橋です、築城者は高山右近が縄張りとの事ですが最近は前田利長自らが行った説が有力とか、有機的な繋がりを持った城ですね。
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富山城です、神通川を背景に本丸を囲むように二の丸・三の丸を水堀で囲んだ大きなお城なのです、ここは前田利長の隠居城として近世城郭として整備、大火で焼失一国一城令で一旦廃城、後前田藩分藩で富山前田藩が入城とのこと。
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現在も残る水堀に浮かぶ富山城です、昔ならば二の丸端から。
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本丸内部からの富山城。
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いか少しずつ角度を変えて回り込みながらの富山城を。
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三の丸堀端からです、これから私が楽しみにしている七尾城跡に向かいます、それにしても天気が良いので助かりました。
















金沢城に行って来ました。

2018-04-12 17:48:06 | 城郭福井
2018年4月10日(火)から11日(水)にかけて北陸の城巡りをしてきました、まずは金沢城です、以前行った時に比べてお城が増え奇麗になっていました、北陸新幹線開通に合わせて復元されたのです、驚きでした。
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兼六園との隙間のお城通り(百間堀)から入りました、金沢城の三御門の石川門(搦め手門)です、三御門はすべて枡形構造の堅固の仕組みですね。
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石川門の左側の石垣と漆喰ナマコ壁です。
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その左側の壁が終われば本丸脇の石垣です、丑寅隅櫓でその先が辰巳隅櫓です、この百間堀方面が岡続きで防御の弱い面なのです。

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石川門の枡形内より見た石川門二重櫓と高麗門です、左側に渡櫓門です(見えませんが)。
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金沢城の縄張り図です。真ん中の白い道ヤヤ上からの入城です。
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石川門を入ると三の丸です、右側正面が河北門二の門で大手門の渡櫓門です、時間の都合で大手門先に出れませんでした、残念でした(新丸方面)。
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三の丸の先に広がる橋爪門です、二の丸への入り口です。
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橋爪門・五十間長屋・菱櫓です、新しいものです、北陸新幹線開通に合わせて復元されたのです。
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橋爪門と橋爪続櫓です。
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五十間長屋の隅が菱櫓です、その前には内堀があります。
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橋爪門を少し角度を変えてみました。
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三の丸から鶴の丸方面を見ます、正面が本丸の石垣で丑寅隅櫓です、右側が鶴の丸倉庫(武器庫)で江戸期の建物です、ちなみに石川門・三十間長屋が江戸期の建物です、最近のものは2015年復元ですかね。
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二の丸から本丸への入り口です、空堀の石垣で極楽橋で繋がります、奥が三十間長屋です。
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二の丸を本丸側に回り込むと珍しい二の丸側の石垣があります、色紙短冊積石垣です、石垣の下には庭園が広がります。
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玉泉院丸庭園の内庭で此れも最近復元された者らしいです、左側が本丸の石垣がわです。

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極楽橋を渡りいよいよ本丸です、昔一向宗の金沢御堂があった所が本丸で極楽橋はその時の橋名とか、前側が二の丸です。
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本丸戌亥隅櫓から見た橋爪門・橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓です。
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同じ橋爪門と向こう側が三の丸右奥が石川門です。
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本丸脇の戌亥隅櫓です。
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本丸の緑地を抜けて辰巳隅櫓です、左側が兼六園側です。
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辰巳隅櫓から見たいもり堀です。
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丑寅隅櫓です。
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丑寅隅櫓から見た三の丸です。
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丑寅隅櫓を下り途中の酒寄三田三の丸、橋爪門・橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓の建物です、今回は三度目?ですが新しい建物に会え興奮しましたね、流石加賀百万石でしたね、次は高岡古城・富山城跡です。






















千葉緑区土気の大椎城跡に行って来ました。

2018-04-01 08:13:04 | 城郭千葉
2018年3月30日(金)に千葉緑区にある土気駅から大椎城跡に行って来ました、土気城跡もあり大分無駄な動きをして歩き回りましたね、地元の方もご存じない方が多く苦労しました。
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いい加減なうろ覚えで方角違いに進み土気城跡の一部善勝寺に出てしまいました、山門です、此処は土気城善勝寺曲輪なのです、土気城主酒井一族の墓もありました、此れから行く大椎城は酒井氏の支城で千葉氏が亥鼻城を築城し移転したのちも使用した城なのです。
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大椎城跡の全景です、西側から見た景色です、左側(北側)は断崖で湿地隊、その北側は丘陵地帯で現在はバブル期の高級住宅街です、右側に村田川があり根古屋です,橋は当然なく切り込んだ断崖?ですからね。
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城がわから見た高級住宅街です、あすみが丘側です、このあすみが丘はアップダウンの激しい所でした東のハズレの方まで歩き此処まで漸くたどり着きましたね。
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海抜80mですが山中を登ります、回り込むように道筋を歩き漸く登りになりました、途中人工的な竪堀らしき跡が在りましたが竹が乱雑で?。
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漸く堀切らしき横矢状に上り詰めましたネ。
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堀切により尾根を東西に分割してありますね、結構大きいですね、左側が三の郭で右側が二の郭です、今回は三の郭方面には行きませんでした、二の郭にも上がりませんでした。
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南面側を工事中でした、右側が二の郭です、奇麗な登り口はありませんでした。
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南側の根古屋側の居住地区です、詰めの城として城郭形成です、川・断崖に囲まれた舌状台地を堀切で分割利用した中世連郭式城郭の姿ですね。
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根古屋からの登り口で左右に腰郭、右上が二の郭、奥が一の郭で堀切で分かれています。
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一の郭と二の郭の間の堀切です、堀切の先から二の郭を少し回り込み出先がありますね、多分最初に来た途中の竪堀らしき下に出るのでしょう?。
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一の郭への虎口です、碑がありました,郭の最西端側でわずかな土塁跡が在りましたね、郭は平坦でそこそこの広さがあります。
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郭を回り込むように腰郭がありますが竹ヤブが凄く地形が読みずらかったですね。
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先程の登り口上部に出ました。
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最初はこの下の遊歩道?を進みました、この地形は登り口を狭めた虎口ですかね、逆側を削られていますから。
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此れが腰郭から降りてきた逆側の山肌です、左右とも人工的ですが当時からかは私にはわかりませんが、最近舌状台地による中世連郭式城郭を見てきましたね、鉄砲や多数の軍勢による戦でなければ兵糧・裏切り等でなければの防御の仕組みが構築されてものです・・・・当然命がかかっているのですからね。