三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

暑い中の散歩道・・・コロナ自粛中も(見沼代用水掛樋)。

2020-08-28 06:55:24 | 日記
2020年8月26日(水)今日も散歩をしました、遊びに出かけなくとも毎日散歩をしています、散歩をしやすい環境?ですので。

側を流れる原市沼川を渡れば、調整池周辺が散歩道です、原市沼川には調整池がこの右側の上流に2個と左側に2個あります・・・・・なぜか?、多分昔は原市沼があり、水を貯められたのでしょうが・・・新幹線で埋没し機能が弱まったのでは・・・?。

下の池1は1・2kmと結構大きいのです、ここを1周半(1・9k)まず歩きますね。

右側は斎場(火葬場)です・・・・昔は反対も・・・。

半分(0・7k)で再び原市沼川へ川の上流へ向かいますが、再び此処まで来て2回目は下流方面へ、もう一度此処まで戻り橋を渡りますね。

川の上流がスタート地点です、はるか左側奥に新幹線の高架線が見えます。

川の向こう側が下の池2の調整池です、水かさが上がれば川から池に水が落ち込む仕組みの水瓶です・・・・昔は台風等で水害被害が在ったみたいですが、今は低地を覗けばほとんど大丈夫?・・・でも荒川が氾濫すれば2m位の被害が予想されていますが!!!、右側には綾瀬川が流れこの少し下で合流していますから、全体的に低い土地なのです。

下の池1の氾濫の水の取り入れ口です、土手より低くし溢れる前に池に水を取り入れるのです何度か一杯になりましたね。

上流へ向かいます、左側奥の建物がスタート地点で又半周、新幹線の高架線が見えますね。

再び先程の分岐へ戻り、原市沼川を下流へ、左側が綾瀬川との合流点で川は綾瀬川となります、右側は斎場です、此処から公園までの往復で約1km?位かな。

斎場を抜ければ・・・右側も斎場の一部でしょうが、此処にも調整池の小さいのがありますがその向こう側は中学校です。

斎場が終わります、左側は綾瀬川です、釣り人がいますが今は暑いのであまり見られませんね、奥に見えるのが立会橋でこの脇が見沼代用水の掛樋の遺跡がある所です、今は川の下を流れていますが。

中学校の脇を歩きますが、少し先まで行ってみますね。

見沼代用水です、綾瀬川の下をくぐり此処にあらわれますね、此処で東西二手に分かれ浦和で合流し川口へ流れますね、上流は利根川から水を引いているのです、高低差がほとんどない所をうまく流しているのです。

先程の綾瀬川立会橋。桜の時期はこの橋を渡り見沼代用水脇の桜並木沿いを散歩しますが今は暑いのでそちらには余り行きません。

此処は小さいですが公園です、見沼代用水の掛樋がありました・・・川の上を川が流れていたのです川が交差するのです、見沼代用水は2か所交差していますね。

川の対岸に突き出たレンガが掛樋の遺産です、深谷のレンガが使われたのです。

元に戻り中学校裏を学生が放課後走る場所です。

突き当たり公園側にこの公園は斎場と一緒に出来ましたね。

夕日が暑い一日も漸く終わりかけてきましたね、1周400m弱のコースです。

会館も出来ましたが、コロナでどうなのでしょうか、しかし、この公園は自粛中凄い人でしたね(学校が休みで沢山の人が)・・・・一時期は此処に来ませんでしたね。

再び戻りますね、

川沿いを戻ります。

三度分岐点へ。

下の池1から見た新幹線高架線が良く見えますね、夕日が。

橋を渡ります・・・今までは上尾市です、此れから伊奈町です。

下の池2の周りを歩きます。

こちら側の池は芝生が半分張られ中で遊ぶことができます、突き当り左へ曲がりますが、真っ直ぐ田んぼ横を向こうまで行くこともありますね。

これで散歩道も終わりですが、あまり人に会わないのでマスクもしないで歩けるので助かりますね。

振り返ると奇麗な雲が・・・・・。


盛岡城に行って来ました。

2020-08-12 12:06:36 | 城郭岩手
2020年8月5日(水)に盛岡城跡に行って来ました、今回で3度目ですかネ?。

盛岡城の縄張り図(岩手公園)です。

江戸時代の盛岡城の縄張り図、現在と合わせたのでさかさまに回転しました。

今回は下曲輪方面から・・・・県庁方面、鐘撞堂がありますが城内ですね、鶴ヶ池・向こう側が亀が池で内堀です・・・昔の図では勘定所があり烏帽子岩の脇の瓦門から三の丸へ入ったのです。

鶴ヶ池の堀です、右側が勘定所です。

外堀としての中津川です、右側が盛岡城です。

鶴ヶ池の続きの堀で堀の向こう側右が三の丸・正面が台所曲輪(現多目的広場)・奥が二の丸石垣・後ろ側が中津川ですね。

中津川を渡り鶴ヶ池の内濠に架かる橋、左側奥が淡路丸。本丸・右側が台所曲輪・二の丸です。

台所曲輪・・・正面が三の丸の石垣(現桜山神社)、右側に御台所門。

台所曲輪から見た、左奥が本丸、正面上が二の丸の石垣。

もう一度台所から見た三の丸石垣アップ。

台所曲輪を上り左側淡路丸の石垣、奥が本丸石垣、空堀、右側がわ二の丸。

二の丸の石垣・・・・この辺は奇麗な石垣で荒々しさはありませんね、これは石垣修理のハバキ石垣で石垣のハラミを抑えたのです・・・軍事的にはおかしな話ですね。

本丸への虎口、御末門・・・・昔はすべて階段ですね、本丸へは裏側に現在階段がありますが当時は無かったのですね、正面の廊下橋(二の丸との連結)と逆側の百足橋(現在ありません)の虎口でした。

ここにもハバキ石垣が・・・・この左側は北上古川の流れの堀が石垣の上は本丸の腰曲輪ですね。

坂下門・・・正面が榊山曲輪の三角曲輪が張り出していますね、坂下門の防御性を強めているのですね。

坂下門を入ると現在は反るように石垣があり途中でより高い石垣がありますね、三角の出丸の攻撃的な仕組みですね。

ここも緩やかな登りですが当時は急な階段で高石垣での防御、前は川の堀でした。

階段を上れば吹上門です、上がれば本丸下の腰曲輪です、左上が本丸の石垣で二階櫓がですね。

現在ある本丸のこの階段は当時はありませんね・・・・盛岡城本丸です。

本丸から見た二の丸方面・・・廊下橋だそうです。

二の丸。

廊下橋から見た本丸と二の丸の空堀、正面下が台所曲輪です。


盛岡市に行って来ました(岩手銀行・青春館・住吉神社等)。

2020-08-11 14:00:51 | 旅行
2020年8月5日(水)志波城跡を見学、途中で下車し市内を散策しました。

岩手銀行赤レンガ館明治44年(1911)の建造物です、東京駅の設計者辰野金吾
です、どこか雰囲気が似ていますね。

意外と近くにありますが、もりおか啄木・賢治青春館・・・・明治43年(1910)の建造物で旧第九十銀行だそうです、古い建物が戦災にやられず大切に使われていますね。

此処からは少し繁華街から外れ神社巡りをしました、まず巨木が有る所を拠点と・・・住吉神社ケヤキの巨木を見ました、樹齢270年・幹回り6・3mで元気な木でした、神社参道脇で裏側に細いケヤキが重なっています。

樹勢は良いように見られますね。

折角ですからよりアップで如何でしょう。

住吉神社です。

折角ですからお参りを・・・・。

八幡宮の大きな鳥居です・・・・神社が直接なく脇の方です・・・・此処は流鏑馬の馬場の広場なのです、鳥居左側に岩手県護国神社があり、その隣に八幡宮がありました。

岩手県護国神社です。

八幡宮の恵比寿・大黒天の像が祭られていました・・・これは本殿ではありませんよ・

これが盛岡八幡宮本殿です。
少し離れて立派な社ですね、此処から盛岡城を見学・・・・三度目でしょうかネ、今回は中津川からお城へ・・・・盛岡は北上川へ中津川・雫石川が合流サケも遡上しますからね、今日は暑いので川で高校生らしい人たちが遊んでいましたね。


岩手県盛岡市の志波城跡に行って来ました。

2020-08-10 12:31:20 | 城郭岩手
2020年8月5日(水)に岩手県盛岡市の古代城柵の志波城に行って来ました。

復元した、志波城外郭南門・・・ほぼ威嚇の城郭で二重の壁で囲んでいますね、外側の櫓門と周囲を築地塀(ついじべい)で外に堀の古代城柵です、大化の改新645年以降大和朝廷の積極的な領土拡大政策で神亀元年(724)宮城県多賀城、天平5年(733)秋田県秋田城(現在一部復元)、その後北東北一帯に801年頃横手盆地に払田柵・802年北上盆地に胆沢城・ここ志波に803年城柵を築きました、北側の雫石川の氾濫があり約10年で廃城となった、お城ですね。

志波城跡ですが北側は川の氾濫で焼失ですね・・・。

秋田城もそうですが、古代城柵は復元されないと縄張りが見えずわかりませんね、山城はいくらか当時の縄張り図が素人でも推測できますがね。

60m間隔に櫓が築地塀の上に構築されていたのです、もともと陸奥の蝦夷(えみし)を収めるため坂上田村麻呂が征夷大将軍としとして胆沢城・志波城を築いたのですから・・・・それ以前は延暦年間(789)エゾ征討で強い抵抗にあい敗れたのです。

表側正面からの外郭南門(櫓門)・・・・奥が南大路でその奥に南門・・・・その奥が政庁・・・。

外郭南門を入ると南大路ですね、東西南北に各門があり、真ん中に政庁がある縄張りですね。

南大路の突き当りに南門・・・その先に政庁があったのです。広い城柵なのです。

外郭南門の内側から見た築地塀と兵の住居跡(竪穴式住居?とか)。

内部から見た櫓門・・・・登りの階段が見えませんが、一部囲いが無い場所から梯子で登り降りしたのでしょうね。

官衙建門・・・・竪穴式住居とのギャップ??。

内側の横から、櫓への登り口はありますね。

塀上の櫓が見事ですね。

城壁の手前には堀があったのです・・・・。

外れの方の櫓・・・・塀ありませんでしたが?。
バスの時刻が2時間位の間隔なのでゆっくりできず駆け足での見学となりましたね。

岩手山焼走り溶岩流に行って来ました(コマクサ)。

2020-08-09 08:10:49 | 山関係
2020年8月4日(火)今日は岩手山山麓にある焼走り溶岩流散策の予定でしたが、地元のタクシー運転手さんの話に乗って岩手山コマクサ群生地への登山となりました‥‥どうなる事やら。

JR花巻線の安比高原駅です、8時?分かの電車の後は4時間後と極端に本数がありませんね、動きが取りずらいです、無人駅です。

JR花巻線・・・・明日もこの電車で盛岡へでます・・・・この辺は単線です・・・・途中から銀河鉄道ですね、以前八戸駅から乗った覚えがあります。

ここは大更駅(おおぶけ)です、タクシー(予約済み)で岩手山焼走り溶岩流入口へ・・・・運転手さんがコマクサの方が良いとの情報でいきなりのりました。

駐車場のガイドさんも今が見頃、2時間も歩けば・・・(此れがあやまり情報・・・・後で地図を見れば群生地上まで3時間30分コース)、取り合えず12時まで登決心でスタート(現在9時30分です)、タクシーは3時30分に迎えに来るで決定。

コースは一本道、溶岩流は最後に見れば・・・・スタート。

最初は気持ちが良い山道です、左側上が溶岩流で緑も奇麗道もそこそこ。

途中で道横の溶岩流台地へ上がりました、岩手山の噴火で流れだしたものです厚さ10mで何キロと続いていますね。

段々登りが急になりますね、岩手富士と呼ばれる山ですから森林限界まで林の中を上り続けますネ。

奇麗な緑の中を上ります、2時間位で第二噴火口跡まで登りました、まだまだ、出てきません、やはり虫・蚊はいるし蒸し暑い本格的登山となり大変。

途中花は殆どありませんね、クルマユリが少しありましたが、第一噴火口跡を過ぎてもコマクサ群生地は出てきません。

ヤマハハコでしょうかネ。

第一噴火口跡の上にある地図、この先で上から降りて来た人にコマクサの群生地を尋ねたら、まだ30-40分位はかかるとの事、まだ12時前でしたが予定オーバーになるので引き返すことにしました・・・・・結構登りの連続で疲れたので止めることに、右端の現在位置の少し先みたいですが。

少し戻りここが第一噴火口跡?でしょう、ここにも幾つかコマクサが見れました。

コマクサですよ、苦労して登って来ました、群生地までは行けませんでしたが、一応見ることが、下りは無理せず下りますね。

これは第二噴火口跡です、この辺りから溶岩流が麓に流れ出たのでしょうね、景色が見えず残念ですが、此処で漸く少し休みました。

ここで珍しく(久しぶりに)蛇の脱皮を見ました、長さが1m以上ありました、まだ新しいもので顔もハッキリ見て取れましたね、今はサイフにハブの皮を持っているので持ち帰りませんでしたが・・・お金が貯まるとか?。

2時ごろに下り終え、焼走り溶岩流の散策へ。

ここもただただ広い溶岩の広場です、道がありますが、疲れた足で歩きずらく変化も無く・・・・確かに何時間も散策する場所ではありませんネ。

溶岩流は10mの厚さがありますが、草木が所々でてきていますね、富士山の樹海みたいにそのうち木々が生えるのでしょうね?。

焼走り溶岩流と岩手山(どの辺まで登ったのかな?)です、駐車場で休んでいたらタクシーが来ました・・・どうでした?・・駄目でした、残念ですねまた来てください・・・・!!!、百名山ですが以前も近くの松川温泉まで行ったのですが登れずでしたね。

安比高原ブナ林散策に行って来ました(黒滝)。

2020-08-08 10:57:51 | 山関係
2020年8月2日(日)から6日(木)にかけて岩手県安比高原に行って来ました、GOTOトラベルですね、ホテル内でもすべての人がマスク姿です、たまにマスクを忘れ慌てて取りに戻りました、八幡平に行きたかったのですが、此処からは不便で行けませんでしたね。

1日目は(8月3日)は安比高原ブナ林の散策にしました、安比高原スキー場は前森山・・前森山の隣の西森山ですね、ここはぶなの駅・・・此処から散策します。

ぶなの駅横から林の中へ・・・サンショウウオが入るみたいですね、湿度が高く蒸し暑く、虫・蚊が沢山まといつき結構大変な山歩きでしたね、虫よけも殆ど利きません。

焼野の牧場です、牧草地なのでしょう、右奥からがブナ林のコースです。

ブナ林の中を散策スタートです、この辺は気持ちが良いですね、空気は奇麗でコロナウイルスも此処までは・・・。

ブナの巨木はあまりありませんね、硬い木でなくおよそ300年ぐらいで枯れてしまいますからね、倒木の隙間で日光の日差しで次の新木が育つサイクルで森が維持されるのですからね・・・・結局誰にも会いませんでしたね。

このブナの木が大きい方でしたかネ。

ブナ林の切れ目に咲いた花・・・夏の花もそろそろ終りかな。

ヤナギランの花に赤とんぼが花も終わりに近い、一番最初の写真の上に写ったのも赤とんぼですよ。

少し奥の方のブナ林です。

ブナの木が曲がり椅子のように腰掛けられますね、一休み・・・・この先辺りから奥のまきば方面へ入ります、虫・蚊がいよいよ凄いですね。

珍しいので?・・・ギんリョウソウの終わり種みたいですね??、岩畑山938mはもう少し。

岩畑山を下れば幾つかの池塘が見られます、穏やかな水面によく空が・・・、向こうの奥の山が多分八幡平ですね。

もう一枚池塘を。

池塘の脇に咲く夏の花ミズギク・ギボウシでしょうか?。

ヤナギランも咲いていましたね・・・もう少し群生していれば良いのですが・・・・・まあ、この辺りは虫・蚊がいないので爽やかに楽しめますね。

折角ですからね、夏の風物シシウド?・・・違うかも。

お花摘み(山用語でトイレの意)・・・・・イエイエ花の写真に夢中なのです。

もう一つ・・・・ご存知ですか、至仏山で見つけられ名前がついたオゼソウですね、地味で気が付かないかも。

これから黒滝を見に沢側に入ります、ミズナラの巨木・・・右側には水芭蕉の大きな葉が見られましたね。

黒滝です、此処までで沢下には入れません、少しずれながら写真を撮りました、この横棒が邪魔ですね。

この横棒・・・・何とかして。

でもアップで。

仕方がないので棒を躱してもう一枚どうでしょうかネ。

瀧からもどる途中での花が見えたので・・・池塘がうずまり、花が出ているのですね、ホテルに帰り汗を流し虫に刺された所に手当をでも気持ちが良い散策でしたね、明日は岩手山ですよ・・・・・。

我が家の花、年年歳歳花相似たり(サギソウ)。

2020-08-07 09:46:11 | 日記・エッセイ・コラム
2020年8月7日(金)昨日までGOTO・・・で出かけていました、花が心配でしたが咲いていました。

夕顔(ユウガオ)一部は枯れてしまいましたが・・・・夜に開くのです(朝顔とちがいます)。

もう旬は過ぎましたが、紫陽花が・・・。

サギソウです、花言葉・・・無垢・清純・夢でもあなたを思う。

毎年2月に植え替えします、1株でヤギの糞みたいな球根が2個・・・・一時期1株になりましたが、それ以後毎年増やして12株へまだ満開ではありませんが無事開花。

何となく涼しげなので癒されますね、サギソウの話ご存知ですかネ、世田谷城城主吉良頼康に嫁いだ常盤姫の悲劇のお話がありますね。

サギソウは田んぼの畦道に咲く水が好きな花なのですが、今年は雨が多く心配しましたが、無事に根腐れせず咲きました、来年も又咲いてほしいので植え替えを忘れずに。