三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

江戸城36見附跡に行って来ました(最終章・坂下門(32番)・内桜田門(33番)・大手三の門(34番)・大手中の門(35番)・大手中雀門(36番)。

2018-09-29 08:23:47 | 江戸城36見附1
2018年9月29日(土)に記載、江戸城36見附跡に行って来ました(最終章・坂下門(32番)・内桜田門(33番)・大手三の門(34番)・大手中の門(35番)・大手中雀門(36番)、最後に天守をおまけに再現。
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わかりずらいですが、まず今回の後府内の見附門全体図です、外濠(神田川)を反時計まわりに。
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皇居外苑全図・・・この辺りはわかりやすいですね?・・・坂下門・内桜田門(桔梗門)・再び大手門をくぐり江戸城内へ大手から本丸天守を目指します。
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坂下門(32番)です、一度この御門をくぐりました。
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もう少し近くから、この門は西の丸方面への虎口です、今の皇居の出入り口は二重橋・坂下門・乾門・半蔵門です。
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奥が本丸脇の富士見櫓・右側が桔梗門(内桜田門)(33番)・桜田巽櫓(辰巳=東南)(桜田二重櫓)三の丸の隅櫓ですね、濠は桔梗濠です。
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桔梗門(内桜田門)です、西の丸下郭の老中・若年寄りはこの門から本丸へ登城したのです。
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細かく見ずらいのですが、三の丸・二の丸・本丸(皇居東御苑)の全体図です、左側大手門をはいりました、桔梗門は上の濠横です、坂下門は上の濠外です乾通りが斜めの右側です。
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大手門を入ると三の丸です、正面に大手門三の門(下乗門)(34番)があります、当時は二の丸間に濠があり乗り物はこの手前まででしたネ。
二の丸側から見た大手三の門の枡形です。
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大手三の門内側から見た三の丸大手門方面です、濠橋が有れば大分景色が違いますね。
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二の丸の広場です、正面が大手三の門です、正面奥左側も二の丸で本丸を平川門まで囲みますね、右側は百人番所で警備員の詰め番所ですね、左石垣が大手中之門(35番)です、立派な石垣です。
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正面から見た大手中之門です、右側は大番所ですね(将軍を守る旗本)、正面石垣の奥が本丸です。
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上の写真(昔)はその上の写真(今)との同じところです、如何ですかネ。
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大手中之門をはいると右奥へと繋がりますが昔の写真ではここにも防御の仕組みがありましたね。
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此処が大手中雀門(36番)です、枡形構造ですから右え回りますが。
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本丸側から見た大手中雀門です。
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本丸の奥に天守があります。
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復元天守の模型です、是非ともこの天守台に乗せて見たいもんですね、如何でしょうか?、それにしても流石に天下一の名城ですね、壮大な防御です、外濠から当時の大砲では届かない距離を描いたとか・・・大阪城は大砲の玉が届く範囲で自滅しましたからね。

















江戸城36見附跡に行って来ました(大手門(27番)・平川門(28番)・北桔橋門(29番)・西の丸大手門(30番)・西の丸玄関門(31番))。

2018-09-28 09:51:31 | 江戸城36見附1
2018年9月28日(金)記載、江戸城36見附跡に行って来ました(大手門(27番)・平川門(28番)・北桔橋門(29番)・西の丸大手門(30番)・西の丸玄関門(31番))。
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いよいよ大手門(27番)まできました。
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大手門を濠の外から見た所ですね。
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高麗門を入り枡形広場から大手門渡櫓を見ました、此処をくぐれば江戸城三の丸ですよ。
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まだ大手門を入らず濠を回ります、平川門(28番)の見附門です、この辺りは特殊な地点で隣接した一ツ橋門・雉子橋門とわずかな距離の間に三重の濠(平川濠・内濠・外濠)で囲まれています、しかも平川門枡形内(高麗門と渡櫓の間に帯曲輪門があり竹橋門へ繋がる細長い廊下上の土手(帯曲輪)が存在していますネ(今回の図ではわかりずらいですが前回の竹橋の図)。
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平川門は三の丸の正門ですが、お局御門・不浄門の異名もあります。
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平川門です外側にも広場があります・・・・・直接、橋ー高麗門でなく狭間が見えませんね。
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平川門渡櫓ですが、右側にもう一つ御門がありますね・・・・帯曲輪門です(不浄門はこれか全体化は?)。
いずれにせよ、此処が生活空間の出入り口の重要な門で御三卿もこの門を使用していたわけですからね。
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平川門・竹橋を過ぎると江戸城の石垣も一段と立派ですね、城内の高台があるのです、本丸天守はこの北桔橋(きたはねばし)門のすぐ向こう側です。
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イザの時は門外の橋を落とすのです(昔は普段橋を架けてなかった見たいです)、高い石垣で門内に入る路を閉ざしますね、此処は枡形ではありません高麗門のみ。
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少し先に乾門がありますが、江戸期には無かったので見附には入りません。
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皇居内濠にもどり二重橋の西の丸大手門(30番)です、此方は石橋です。
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まだこの橋を渡っていません。
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西の丸玄関門(31番)です、石門の向こう側に鉄橋があり、多門櫓と石垣の間です、ちなみに二重の橋で二重橋と呼ばれているのです、石橋は眼鏡橋ですね。
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此れが奥の鉄橋で右側の奥が西の丸玄関門があるのです?。
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二重橋と伏見櫓と多門櫓が美しいですね。















江戸城36見附跡に行って来ました(日比谷門(24番)・馬場先門(25番)・和田倉門(26番))。

2018-09-09 19:50:31 | 江戸城36見附1
2018年9月7日(金)に江戸城見附跡に行って来ましたまず、浅草橋門(1番)・筋違い門(2番)・小石川門(3番)、その後日比谷の東京ミッドタウンビルに行きました、そのついでに日比谷門(24番)・馬場先門(25番)・和田倉門(26番)の各見付を回り東京駅を見て回りました。
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これは日比谷公園の見附跡の心字池から見た東京ミッドタウン日比谷です、以前日比谷三井ビルがあり私が入社会社の本社ビルがあった所で再開発された高層ビルです。
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日比谷門跡です日比谷公園の交差点脇です日比谷公園側に向けて門があったのですね?、丸の内側の御門となるわけです。
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此れが公園内から見た見附跡です心字が池は昔の穂に後なのです、堀が右側に延び日比谷公園の入り口手前から今の御幸通り・・・帝国ホテル脇日生ビル辺りが堀だそうです、帝国ホテル裏辺りが山下門だそうです。
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日比谷門から堀端を東京駅方面へ馬場先門の堀の橋(今は橋ではありませんが)から見た日比谷方面のミッドタウンです。
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馬場先門から見た江戸城伏見櫓です、二重橋から見える櫓です。
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皇居外苑の石垣ですがここが馬場先門跡です。
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馬場先門跡の標識です。
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なおも東京駅方面へ和田倉門の側です。
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東京駅正面の和田倉門交差点に架かる路ですが、江戸期にはこの道はなく明治に皇居としての大通りが出来たものですね。
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道案内を見ればわかりますが今の皇居広場(皇居外苑)も数少ない出入り靴で囲まれた敷地なのです、その奥に江戸城が内堀にかこまれ、本丸は又奥の堀に囲まれていたのです、皇居外苑=>西の丸下郭江戸城の巽(辰巳・・・東南)を防護する軍事拠点として設計された曲輪です、東側は馬場先門と和田倉門・南側は外桜田門の三か所で江戸城本丸には桔梗門から出入りしたそうです、幕府の要職老中・若年寄らが住まいしていたそうです。
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和田倉交差点をなをも神田川へ進むと見えるのが和田倉門橋です。
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和田倉橋から見た和田倉門見附ですね、建物はありませんが橋の脇の石垣・・・高麗門の石垣ですね。
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中に入ると枡形構造の防御のシクミが良く見れますね、中側の石垣渡櫓の石垣ですね。
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和田倉門跡の碑がありました、此処は江戸城の中ですね。
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巽二重櫓・富士見櫓が内堀の向こう側に見えました。
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東京駅正面です。
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北口ですか。
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郵便局本社の展望台からの東京駅全景です、涼しいと思ってきたのですが結構暑く距離も歩いたので疲れました、結局6か所の江戸城見附跡を散策しました、江戸城周辺はすべて見ていますが外堀周辺はまだまだですね。