三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

大嘗宮に行って来ました(江戸城本丸跡大嘗祭の中心建物)。

2019-11-27 06:06:21 | 日記・エッセイ・コラム

2019年11月25日(月)に大嘗祭に使われた大嘗宮に行って来ました・・・・江戸城本丸の広場に造営されたものです、大嘗祭は11月14日の夕方から翌日の早朝に行われた、天皇陛下ご即位の後、初めて新穀を皇祖・天神地祇に供えられ、自らもお召し上がりになり、国家・国民のためその安寧と五穀豊穣などを感謝される大嘗祭の中心的な儀式の場所です。

東京駅丸の内側です、今日は朝の内は天気もそれ程でないので、人が少ないのではないかと思い出かけました。

東京駅からの行幸通りのイチョウは結構黄葉し奇麗でしたね。

東京駅から二重橋方面まで歩きます、入場口は坂下門ですが、今日はジグザグでなく一列なのでそれ程待たずに行列が進みますね混むとブロック毎ですからね・・・正月の皇居参賀では大変でしたからね。

手荷物検査も無事通過、いよいよ坂下門から皇居内へ・・・この門をくぐるのは2度目です。

本丸の内堀の蓮池豪ですね、左側が乾通り・・・11月30日から公開されますね・・・これと重なるとより混雑するので早めにしました、本丸の折れた雁行の石垣見事なもんですね、石垣上の建物は富士見多門・・・濠の正面は西桔橋門かな?・・・江戸城の堀は濠ですね。

富士見櫓ですね、此方側からは普段見えませんからね。

お城ですからね、この櫓下を回り込み二の丸方面へ・・・・此処も普段は通れませんね。

本丸大手門の中の門です、普段は正面右側の大手門から三の丸門方面から来るのです、此方かわ西の丸下曲輪からくる老中・年寄りの幕府執権者たちが来る道ですね。

中の門を入り坂を上れば本丸の最後の門、中雀門となりますね、36番目の見附ですね。

中雀門からは本丸です、本丸広場奥に造営された大嘗宮です。

建物全体と案内説明です、大嘗宮は悠紀(ゆき)殿(東)と主基(すき)殿(西)の東西左右対称に作られた建物で構成されていますね、中央奥に廻立(かいりゅう)殿(天皇皇后両陛下の準備する建物)があり、中央の廊下、他に斉庫(新穀を保管した建物)が1建物・・・・ほとんどは左右2建物ですね。

見学通路に従い此れから見て回ります、中央から右側へ回り込み左側へ。

右側です、男子皇族が参列された建物とか・・・小忌(おみ)幄舎(あくしゃ)。

南神門・・・・。

左側から見た所。

回り込んで左側横から見た所、大きな建物が主基殿です・・・此処で供せんの儀が行われましたね。

もう少し回り込みヤヤ後ろから見た、主基殿と左側が廻立殿、奥が悠紀殿ですね。

これは後ろ側から見た廻立殿です。

これは御存じ江戸城本丸の天守台石垣です・・・今日は登れませんね・・・・此処に天守は立つのでしょうかネ?、此れから平川門方面へ行き戻り大手門から出ます。

梅林坂を下り平川門方面へ。

平川門の中の中門?、左側が天神濠・右側が平川豪です。

平川豪ですね、奥の石垣が上の写真の中門?、この右側が平川門です右奥のの向こう側は清水豪があり防御性が高いですよね・・・でも生活での虎口でもあったわけですからね。

平川門の渡櫓門ですね、その先が枡形構造で高麗門となりますね。

またもとに戻り二の丸方面へ、此処は本丸の石垣で内堀の白鳥濠と坂は汐見坂・・・昔は海が見えたのですね、本丸の虎口の梅林坂・汐見坂・・・此処の門はナニ門なのですかネ?。

大手門です、大手櫓門・・此れから丸の内から有楽町へ向かいます。

丸の内仲通りで見た羽生さんと栃ノ心さんです。

ほぼ同じ場所の仲通り・・・都心の真ん中高層ビルの谷間です、癒しの空間です。

これは三菱一号館美術館の裏側の広場?・・・。

馬場先門通りと大名小路の脇にある三菱一号館美術館ですね、古い建物で東京駅と風情が似ていますね。

日比谷のビル9階から見た皇居です、本当はもっと高い場所から見たかったのですが、尋ねた会社の後輩が居らず上がれなかったので、伏見櫓・富士見櫓は見えますが大嘗宮は?。

滝山城跡に行って来ました・・いよいよ本丸へ。

2019-11-17 06:26:55 | 城郭東京1
2019年11月15日(金)いよいよ滝山城本丸へ・・・しかし、私は八王子うまれですが、八王子周辺は城郭が多数存在していますね・・・武蔵の国には群雄割拠で沢山の豪族が・・・。

前回と同様の図・・・今回は左下の大手筋三の丸・小宮曲輪から千畳敷曲輪へ、再び二の丸空堀・土橋から二の丸へ・・・中の丸・本丸へ左側上に行きますね。

大手筋で道路になり当時の面影が無い場所かも?、右側が三の丸、左側奥が千畳敷曲輪。

此処は少し解りずらい写真ですね、千畳敷曲輪の奥の馬出部分の虎口ですね広場向こうが大手筋の道路でこの浅い空堀から見えない様出陣し敵に襲い掛かる出口です。

此処は大手筋の二の丸脇から再び外れ二の丸脇の空堀脇を南側方面へ。

二の丸三土橋のある虎口で奥が枡形構造の防御門です・・・大分土塁が崩れて低くなっていますが。

二の丸の虎口の上の土塁から見た空堀と土橋です、高低差がありますね、武田信玄が永禄12年1569年10月にこの滝山城を攻撃しましたが、この二の丸は抜けなかったそうですね・・・本命は小田原の為2日か程での戦いとか城下は焼き払われたとか・・・。

大手筋から二の丸脇を通り、中の丸方面へ右側の空堀向こうが中の丸で左側奥が一回下がり又上がれば本丸となりますね。

中の丸です、右側横は空堀で二の丸、正面は多摩川です、左側が本丸です。

中の丸から見た拝島側の多摩川です、この下側は腰曲輪があり、多摩川と併せて防御ですね、武田信玄は川向うで采配したとか。

本丸への木橋です、イザの時は引き込む橋とか?。

本丸虎口です、枡形構造です、現在は土塁が低いですが、三方向からの攻撃で撃退するシクミですね。

本丸です、構造的に二段ですね、右側の霞神社側が高く、左側にもう一つの虎口・井戸もありますね。

本丸南側の虎口です、枡形構造で木橋無ければ此方からおなります。

本丸の一番奥にある金毘羅神社です。

神社裏側から見た土塁下です、腰曲輪が有り、多摩川の抑えの出丸と連携されているとか・・・今回はこちら側までは行きませんでした。

一度中の丸から下り本丸下へ、本丸に架かる木橋です、ここの空堀はもう少し深く、多摩川へ下れます、当時は?、如何ですまだまだ色々な滝山城が有りますが、まだ草木があり写真が撮りずらかったですね春早くが見頃ですね、以前山の神曲輪も藪の中で落ち着きませんでしたが・・・今度は川沿いも歩きたいですね。




滝山城跡に行って来ました。

2019-11-16 13:42:20 | 城郭東京1
2019年11月1日(金)に八王子の滝山城跡に行って来ました・・・お墓参りのついで?・・・・お墓の裏の加住丘陵なので比較的簡単に行けるのです・・・もう十何回と行っていますが、結構保存状態が良く新たな思い出見える御城ですね、続100名城でもありますからね。

お城の全体図です、上が秋川と多摩川の合流点で川が削った70m程の崖です、今回は丹木1丁目のバス停からの登城(下側の黒い道を上りました・・・城の南方から進み上に上がり左側に下り又登とヤヤ勝手に歩き回りました。

バス停から幼稚園の駐車場脇へ山道へ・・・谷戸と呼ばれる沢沿いの谷へ・・・此処は幾つかの谷戸があり天然の空堀・ないしは水堀となっています・
なおも奥に二つの大池・・・写真右側と右奥の土手奥、左側上は曲輪です・・・結構大きい曲輪でした。

上の大池です・・・現在は水がたまらない様土手の一部が削られていますが。

大池の尾根筋上にある小さな曲輪です、この上には尾根筋を立ち割った堀切があり、引橋の木橋で弱点を防御していたのです。

再び大池に下り大馬出脇から二の丸前に・・・此処は二の丸の空堀です・・・このお城は石垣はありませんが大きな空堀と高い土塁の防護の高いお城です、元は八王子を本拠におく、大石氏が築いたお城ですね、・・・北条氏の力が強くなり北条氏照を養子に迎えたのですが、そのころ武田信玄が小田原城へ攻める前にこの城にも攻めかかったのです・・当時三の丸まで攻略とか・・・その後氏照は八王子城を築城し移ったのですがね。

説明版が要所要所にあり、わかりやすいのです、今は大馬出曲輪の脇の二の丸虎口目にいます、此処からも細い土橋・向こう側の大手からも土橋二の丸の入る口も土橋と深い空堀に狭い道に絞った防御が見られますね。

大馬出側から見た土橋、右側も土橋で二の丸の枡形虎口となります。

道正面から見た土橋、向こう側、右側も土橋。

二の丸への土橋と奥が二の丸枡形穂口へ繋がります。

大手筋からの土橋、奥右側は二の丸で手前が空堀です。

此処は三の丸の空堀、右側上が三の丸。

三の丸空堀をぐるりと半周・・・大手筋から見た三の丸です。

大手筋へ出ました、右側が三の丸です。

三の丸上から見た三の丸の空堀です、素晴らしい城壁ですね、当然当時はより深く切り立っていたのですからね、此れから、千畳敷曲輪・二の丸・中の丸・本丸へ進みますよ。



那須塩原に行って来ました。

2019-11-12 09:56:49 | 旅行
2019年11月8日(金)にスケッチの会で那須塩原に行って来ました、当然現地での絵がメインの為アチラコチラの散策は無く、一か所でのスケッチとなります。

もみじラインから”塩原ものがたり館”の吊り橋のある場所です。

天気に恵まれ沢山の人が紅葉を見に来ていました、人が少なく暖かい場所を選びました。

此れが私のつたない絵です・・・・どうもうまく描けなく・・・上の所を書いたつもりですが。

角度を変えて幾つかの写真を・・・。



絵は水彩画を月一・二回書いていますが、何時まで経っても上手くなりませんね、マア遊びですからね・・・・またの機会があれば・・・。

斑尾高原に行って来ました(赤池・沼の原湿原)。

2019-11-11 10:18:03 | 山関係

2019年11月6日(水)に斑尾高原の赤沼・沼の原湿原に行って来ました、今日も斑尾観光ホテルの車で沼の原湿原に送って頂きました感謝です。

ホテルの部屋から見た雲海です、綺麗に沸き上がって流れます。

赤池に行きたかったのですが、台風の影響で道が崩れ沼の原湿原脇に着けてもらいました、そこからまず赤池へ歩きます、赤池ー沼の原湿原ーホテルまでのコースとなります。

紅葉の山道を気持ちよく歩きます、アップダウンはありますが楽な山道ですね。

見てください気持ちの良い山道?を進みますね。

途中マウンテンバイクの方に会いましたが悠長な日本語を話せるフランスの方でした、ホテルに帰ったらフロントの女性の旦那とか・・、漸く赤池にでました、水の色は赤・・・イエ泥でしょうね。

丁度?太陽が雲間に入り陽が指しませんが紅葉の木々が・・・しばらく待ったのですが日差しが出ず残念です。

赤池に架かる橋?‥‥船着き場?。

もう一度紅葉を、ここから袴岳1135mまでいけますが、赤池ぶな林トレイルに行きます。

ぶな林の結構な木が有る尾根の山道ですが気持ちよいですね、今は森林浴にはならないのでしょうが癒しの空間ですね、ここ山歩きが続き高尾山・日光半月山・昨日・・・山歩きに馴れて足の疲れも無く快調ですね。

微妙なぶなの木の模様に見えませんか・・・・。

ぶなが沢山色々な形を見せてくれますネ。

雪が深いので変形したぶながあり、変化が有ります。

此処が赤池ぶな林トレイルです、此れから沼の原湿原へ。

沼の原湿原ですが、この時期は何も花はありませんね、木道に大きな糞が・・・熊の糞かな?。

湿原も寂しですね。

紅葉も日差しが無く・・・・・。

でももう一枚・・・・・・・・・。

湿原らしいところを、これからホテル帰ります。

翌日のホテルからの朝焼けです、今日は風が少しあり雲海は流れ少しですが・・・今日は散策なしで早めに帰途となります、明日は日帰りで朝早くから那須塩原です・・・疲れますよね。

斑尾高原に行って来ました(斑尾山・希望湖)。

2019-11-10 08:03:15 | 山関係

2019年11月5日(火)に斑尾山・希望湖トレイルに行って来ました、朝から天気は良かったですが、途中から雲がで妙高山山頂は見えませんでしたが気持ちの良い山歩きになりました、又斑尾観光ホテルでの車での送迎があり比較的楽な山旅ができ併せて感謝です。

斑尾高原の全体図です、今日は斑尾山1382mに上り、その後希望湖(のぞみこ)を歩きました、登山口までの送迎及び希望湖までの送迎に感謝です、翌日は赤池・沼原湿原にも車を出して頂いて併せて感謝です。

斑尾山1382mです、ゲレンデの登山口からかえでの木トレイルコース・・・・スキーゲレンデの中を直登します。

紅葉も光が当たればまだ奇麗です、ゲレンデ脇の木々の黄葉・・・最近は黄色が多いとか運転手さんも行っていましたね?。

ゲレンデを直登し大分上りました、最後はジグザグで登りますが、此処斑尾高原は女子に人気のあるスキー場で私も来ましたが、野沢スキー場の方がよく野沢スキー場へは何度も行きましたね、正面が日本海側ですね、此処は雲海がこの時期出やすいのです。

上から見た紅葉です、赤みが少ないですが如何ですか。

漸くスキー場の上に来ました、リフトがあれば簡単でしたがね、此処はまだ運転していません、此処からブナの山中に入ります、急なのです。

急坂を過ぎ開けてきました、ブナの木々ですね。

一つの山頂ですが、左右の分岐路です、右側は下りで万坂峠方面で明日行く赤池方面へ出ます、私たちは左側の山頂を目指します。

正面に見えるのが斑尾山山頂です、一度下り上り返しますね、時々右側に野尻湖・妙高山が見えますがハッキリしません。

斑尾山山頂1382m?、此れは切り捨てか?、此処は展望があまりなく此れから後ろを回り込み大明神岳に行きます。

斑尾山山頂から10-15分位で大明神岳1360mへ展望の良い所です。

大明神岳からの眺望・・・如何ですか、眼下が野尻湖、山頂に雲が妙高・・・槍ヶ岳も見えました・・・。

此れです、スッキリしませんがほぼ見えましたね、妙高の山頂だけが見えませんでしたが。

振り返ると斑尾山山頂です、此れからもと来た道を帰ります、スキーならばあっという間に下れるのですが、結構下りがきついのでした、登山口に車で来て頂いたのでまだ時間も早いので、ダメもとで希望湖をお願いしたら快くOkでした。

希望湖周辺の黄葉です、山上より葉がまだ沢山有りますね。

希望湖です、波があり木々の写りが・・・。

希望湖に出ている出島・・・・。

日光八丁出島みたいに湖に突き出ています。

湖周辺の黄葉・紅葉。

天気もよく紅葉も奇麗なのでホテルまで歩いて帰りました、連絡が無く遅いので運転手さんが希望湖まで迎えに行ってくれたとの事で申し訳ありませんでした・・・併せて感謝です。

飯山城跡に行って来ました。

2019-11-09 08:42:55 | 城郭長野

2019年11月4日(月)から6日(木)まで斑尾高原に行って来ました、飯山駅まで新幹線なので飯山城跡を散策しました、飯山駅から寺町方面へ歩いて行きました、あまり電車の本数が無いので・・15分ー20分位で一駅(北飯山駅)意外と近くでした。

高橋まゆみ人形の店の角を曲がればすぐですね、この奥が少し高台で飯山城です、この辺りはお堀でしょうかネ。

飯山城の縄張り図です、上が千曲川(東)・下側が山沿い(西)で沢山のお寺、私は右下から入りました、この城は上杉謙信が甲斐武田との前進基地として改修したお城です、江戸時代は色々大名が変わりましたが、本多家が飯山藩2万5千石で明治を迎えました、・・・武田対策では逆方向の城向きなのですね(左側が越後側なのですから)、でも後堅固な作りとか水堀が大きく土塁が高く急な造りでいきなり本丸ですからね、それと下側の飯山街道脇は山側で寺が山沿いに並び街道を見ていますね、沢山の寺は当時越後から信州善光寺への軍隊を派遣する拠点だったのでしょう、春日山城ー鮫ケ尾城(御館の乱・・上杉景虎討ち死)-飯山城は近いですからね・・貴重な防衛ラインでもあるわけですからね。

飯山城の駐車場石垣・・・此処はお堀跡なのでしょう。

この石垣南側上に復元した城門がありました・・・江戸期には十幾つかの門が有ったとか・・・どこの御門かは?、左下が先程の石垣右側の土塁、上が西の丸で門奥から回り込むように西の丸へ・・・・今はこの右側から西の丸へ直接上がれますが、当時はありませんね。

御門を潜り抜け、振り返りました、左側上がが西の丸です。

西の丸の虎口上です下の道から上がって来た所ですね、正面方向が本丸です・・・今は葵神社(本丸)への登り口ですが、昔は無く左方面から三の丸へ登のでした。

西の丸です、右側下が先程の御門からの道になりますね。

西の丸端(南側)奥が本丸下の帯曲輪の土塁です、土塁が割れていますが(葵神社への道)昔は無かった。

先程の分岐の道から左側奥へ・・・右側は葵神社への道で昔は無かったはず、此処が三の丸への上がり路のはずですね。

石段を上らず三の丸脇を進む、北中門跡とか、奥が三の丸土塁です、この左側方面は現在グランドで当時堀があり北郭の外郭が有った場所ですね、お城は越後方面の防御構造ですね、20m程のの丘を切り崩し構築した梯郭式平山城ですからね。

先程の階段を上ります、三の丸です、右側は二の丸の土塁ですね、奥は千曲川側です。

二の丸の少し入った所から左が登り口、奥が三の丸、此処は二の丸の虎口ですね。

二の丸虎口から見た二の丸と奥が本丸の石垣と建物は葵神社です。

本丸石垣上から見た二の丸全景です・・・江戸期は此処が殿さまの御殿場所とか。

二の丸脇から見た千曲川です、結構高いですね。

二の丸から見た本丸石垣です、正面が本丸門の石垣枡形構造。

同じく裏側の虎口の本丸石垣・・・搦め手門側です。

本丸から見た搦め手の虎口。

本丸南西の端二重櫓跡?から見た、下が帯曲輪と先程の西の丸・・・真ん中の石垣の道は当時は無かった?。

同じ場所から見た南側です、現在は学校?、急な高い土塁の斜面と広い水堀で当時は防御。

同じ場所からの本丸・・・現葵神社です。

本丸にある葵神社です。

本丸御門の石垣。

本丸御門の石垣・・枡形構造。

少し角度を変えて。

二の丸側から見た本丸御門・・・・。

此処は二の丸から続く帯曲輪です、右側が本丸です。

現在の葵神社への登り口・・・・昔は無かった・・帯曲輪の一部、正面下側は現在弓道場ですが、大手門筋の城内の曲輪跡ですね。

現在の葵神社への登り口です、昔は無かったのです・・・石垣か土塁か?、少し姿が変わっていますが当時の面影が色濃く残ていますね。

日光半月山に行って来ました。

2019-11-02 11:00:36 | 山関係

2019年10月31日(木)に日光半月山に行って来ました、10月は雨模様の天気が続き、漸く秋晴れの予報が出たので・・・でも思ったほどの天気ではありませんでしたが、日光は人が沢山いましたね。

JR日光駅前からバスで中禅寺湖へ・・・今日は朝早く家をでましたがバス停には結構帆とが・・・無事に座れたので良かったです。

中禅寺湖バスタミナルで半月山行きに乗り換えますが10時なので少し時間が有るので華厳の滝を見てきました、ガスが沸き上がり滝が見ずらかったですね、水の量が多く迫力はありました。

2日前に漸くこのスカイラインが開通しました、途中台風で崩れ今も修復中でしたね・・・東武線も一時期運休でしたからね、正面奥の山が半月山です。

これから正面の半月山へ、ダケカンバは葉が落ちて冬の風情です、この山は2017年11月9日にも来ていますがその時も紅葉は終わっていましたね。

まず半月山山頂へ1753mで見晴らしの無い山頂です。

半月山展望台に架かる案内板です見晴らしが凄い?、今日は?。

今日は秋晴れとの事でしたが・・・雲が多い天気ですね、中禅寺湖です、奥が男体山2484mですが雲が・・・それと水蒸気が多いのかと奥はスッキリしませんね、手前が八丁出島なのですが紅葉も・・・。

これは2年前の写真です、この時も紅葉は終わっていましたね、でも天気はスッキリですね、左の上野島も微かに見えますね。

展望台は人が一杯なので速やかに社山方面の尾根に前に見える山が中禅寺山・・此処から急坂を下り半月峠へ。

下りました、もう少しで半月峠です、私たちは目の前の中禅寺山を上ります。

此処が中禅寺山山頂1650m?ですが景色は見ずらいですね。

中禅寺山を過ぎるとこの先が少し周りの景色が見えますね・・・・。

紅葉はほぼ終わりですが・・・右側は中禅寺湖で奥に太郎山?方面の山々が・・・、今一つスッキリしませんが。

右側に男体山が少し、下は中禅寺湖・・紅葉?。

正面の奥が社山1826mです・・・私は登っていません。

今日はスッキリ感のない透明度の落ちた写真ですね。

反対側の渓谷です、ガレ場から見た紅葉、日がもう少しかかれば・・・。

振り返り紅葉を探すのですが・・・・落ち葉が始まっているので・・。

振り返ります、中禅寺山ですね。

再び男体山雲が切れました。

中禅寺湖に突き出た八丁出島です、湖の向こう側まで帰りは湖畔を歩いて帰りました。

中禅寺湖小寺崎と上野島?です。

阿世潟峠です左側が社山方面で此処から往復2時間30分位?とか・・・私は湖面へ下ります。

湖面へ下り此れから湖面脇を歩きますね・・・・・4kMぐらいでしょうかネ?。

途中湖畔へ降りて八丁出島の写真を撮りました・・・紅葉で有名なのですが。

イタリア大使館別荘がありますが平成9年まで使用されていたとか。

今は観光用で見学開放されていますね、中禅寺湖目の前で景観バッチリですからね。

最後に立木観音の中禅寺で観音様を見て帰りましたが、ターミナルでは沢山の人がバス待ちでした運よく座って帰れましたが、この時期は沢山の観光客で一杯でした。