2019年4月16日(火)に高取城跡に行って来ました、今回は最終章です、このお城は2度の戦に耐えた防御力の高いものです、関ケ原の戦いの前当城主本田家は徳川家康について会津上杉討伐にその隙をついて西軍2000が西軍への味方を迫りますが城主不在を理由に断りますがお城に攻め入ることは出来なかったみたいですね、あの伏見城の降伏開城を迫った時と同時期です、2度目は幕末文久3年(1863)・・・新選組の時です天誅組1000人以上がお城を乗っ取りに来たのを城方200人で撃退したそうです、その凄い城内へ。
二の丸中段の巨木脇から本丸天守石垣を見上げます。
振り返り太鼓櫓の石垣方面を見る櫓の左右が虎口です、櫓の向こう側二の丸、馬出。
もう一度本丸の石垣の横側。、左側が虎口側です。
本丸の石垣に沿い進むと曲折した石垣と虎口の登坂が、左側も結構広いですし。
横の曲輪?から見た本丸虎口、回り込む形で上がりますね。
もう少し下がり虎口を含め左側まで左側の左下方面が吉野口門で桜の名所吉野山方面です。
角度を変えて、今来た石垣沿いと虎口です。
本丸下の曲輪脇から・・・奥左下方面が吉野側。
本丸への虎口全景?、張り出した石垣脇をUターンし上るのですね。
虎口の中へイザ。
奇麗な枡形を進みますね、まだ石垣が出てきますね。
登りつめるとすぐ正面に低い石垣があり左右のいずれかになりますね、此れは右側です天守側へと足が向きましたね、でも正面も石垣?。
振り返ります、左側の虎口を今上がってきたのです。
回り込んで上がってみました、左側から上がってきたのです、まるで迷路みたいな作りですね、本丸です。
絶景スポットですね、虎口をUターンし登り枡形内に入り正面で止められて左右に分かれ両サイドの上から攻撃ですよ。
本丸の天守石垣(右側)・・・これで半分です。
天守石垣。
天守石垣上から見た二の丸側の石垣最初に見た石垣を見てます、右下側が七つ井戸がわで段々の石垣に見えますね。
これも天守石垣上から見た二の丸方面正面が太鼓櫓跡、左側が七つ井戸方面、右側が十五間多門です。
本丸虎口の反対方向です。
本丸からの眺望。
南北朝時代より南朝方の越智氏が築城、織田信長により一旦廃城、後筒井順慶・・・豊臣秀長が大和郡山城の支城として本多利久に家臣の諸木大膳に命じて縄張り築城・・・・等々、この壺阪寺はお里沢市の壺阪霊験記でも有名ですね、・・・・。