三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

奈良高取城跡に行って来ました(今回は3の3)。

2019-04-25 09:21:00 | 城郭奈良

2019年4月16日(火)に高取城跡に行って来ました、今回は最終章です、このお城は2度の戦に耐えた防御力の高いものです、関ケ原の戦いの前当城主本田家は徳川家康について会津上杉討伐にその隙をついて西軍2000が西軍への味方を迫りますが城主不在を理由に断りますがお城に攻め入ることは出来なかったみたいですね、あの伏見城の降伏開城を迫った時と同時期です、2度目は幕末文久3年(1863)・・・新選組の時です天誅組1000人以上がお城を乗っ取りに来たのを城方200人で撃退したそうです、その凄い城内へ。



二の丸中段の巨木脇から本丸天守石垣を見上げます。



振り返り太鼓櫓の石垣方面を見る櫓の左右が虎口です、櫓の向こう側二の丸、馬出。



もう一度本丸の石垣の横側。、左側が虎口側です。



本丸の石垣に沿い進むと曲折した石垣と虎口の登坂が、左側も結構広いですし。



横の曲輪?から見た本丸虎口、回り込む形で上がりますね。



もう少し下がり虎口を含め左側まで左側の左下方面が吉野口門で桜の名所吉野山方面です。



角度を変えて、今来た石垣沿いと虎口です。



本丸下の曲輪脇から・・・奥左下方面が吉野側。



本丸への虎口全景?、張り出した石垣脇をUターンし上るのですね。



虎口の中へイザ。



奇麗な枡形を進みますね、まだ石垣が出てきますね。



登りつめるとすぐ正面に低い石垣があり左右のいずれかになりますね、此れは右側です天守側へと足が向きましたね、でも正面も石垣?。



振り返ります、左側の虎口を今上がってきたのです。



回り込んで上がってみました、左側から上がってきたのです、まるで迷路みたいな作りですね、本丸です。



絶景スポットですね、虎口をUターンし登り枡形内に入り正面で止められて左右に分かれ両サイドの上から攻撃ですよ。



本丸の天守石垣(右側)・・・これで半分です。



天守石垣。



天守石垣上から見た二の丸側の石垣最初に見た石垣を見てます、右下側が七つ井戸がわで段々の石垣に見えますね。



これも天守石垣上から見た二の丸方面正面が太鼓櫓跡、左側が七つ井戸方面、右側が十五間多門です。



本丸虎口の反対方向です。



本丸からの眺望。



南北朝時代より南朝方の越智氏が築城、織田信長により一旦廃城、後筒井順慶・・・豊臣秀長が大和郡山城の支城として本多利久に家臣の諸木大膳に命じて縄張り築城・・・・等々、この壺阪寺はお里沢市の壺阪霊験記でも有名ですね、・・・・。

奈良高取城跡に行って来ました(今回は3の2)。

2019-04-24 10:40:54 | 城郭奈良

2019年4月16日(火)に高取城跡に行って来ました、今回は続きその2です、大手門に漸くたどり着きましたが、これからが凄いのです2万5千石のお城とは思えませんね、当然天正13年(1585)豊臣秀長の本多でしょうね。



高取城の大手門跡です、この辺が三の丸とか・・・私はこの中の二の丸が三の丸と思ってしまいましたが?、右側が城代屋敷跡とか荒れていましたが、右石垣脇を行けば八幡口登り口壺阪寺へ。



この石垣ですから、綺麗な枡形構造で秀長一統の土木技術は凄いですね・・・竹田城とか藤堂高虎とか、秀吉の補佐の縁の下の力持ちなのですね。


これは大手門左側の石垣ですからね。



大手門のイメージが此れですよ、山の上で?。



大手門枡形構造、三方から囲まれ曲がるとまた囲まれますね。



此処が凄いのは門を入るとその先にまた石垣が立ちはだかるのです、この石垣の上が二の丸なのです。



大手門の枡形を上がりきると見えました、此れが二の丸の石垣と虎口が見えますね、この手前の広場(曲輪)は?、しかも奥行きが凄いのです本丸の下の下まで続きます。



取り合えず大手門石垣の上から門下を覗きましたね・・・こういうところが大好きなのですが、大砲でもないとなかなか近代戦でも抜けませんね、如何ですか。



門内の広場には大きな木が幾つか存在していました・・・当時から大切にされたのか江戸期か?。



それでは十三間多門から二の丸入ります。



十三間多門・・・これでもかこれでもかと高い防御ですね。



十三間多門の奥から見た所結構な段差もあります、登敵は眼下です、石垣も屈折し隠れて打てますね。



上がりきると前側に低い出すが石垣があり、左右に分かれねば二の丸へ入れませんね、私は此処が三の丸?と思うほどまだ奥があるのですよ、本丸は奥の奥の石垣の上ですからね・・・・感じた事は少し病的なほどの防御形を作ったと思いましたが、桜が今満開で奇麗でした。



今の景色の逆側の二の丸です。



十三間多門少し脇の石垣の上に大きな木が根を張っていました、石垣が壊れるのですが風情はありますね、大手門方向が見えました。



二の丸です奥に櫓の石垣が有ります。



此処から見える景色は?吉野山方向でしょうかネ。



近づいて見ます、太鼓櫓の石垣です、右側から入りますね。



壺阪寺方面からの登り口七つ井戸方面です、本丸の脇下で石垣が続きますね。



此処にも虎口がしっかりした石垣で有ります、此処を入ると二の丸の中段、今までが二の丸下段・・・その奥に二の丸上段が。



虎口脇から本丸の石垣を見る・・・右下が七つ井戸へ下りますね。



本丸天守の石垣が漸く見えてきました、此処に素晴らしい巨木が立っていましたね。



嬉しいのでもう一枚。



巨木脇から振り返りました、太鼓櫓の石垣です、此れから右側へ出て見ます、今は左側から来ました。



十五間多門とありました、此処までが二の丸の中段?ですね此れから二の丸上段から本丸ですネ、大変なお城ですね。

奈良高取城跡に行って来ました(今回は3の1)。

2019-04-23 10:15:04 | 城郭奈良

2019年4月16日(火)に奈良駅より橿原神宮前へ近鉄線で壺阪山駅へここから高取城跡に行って来ました、14日が雨の為中一日開けて今日にしました良い天気ですね、子供たちが遠足?か大勢乗り込みましたが飛鳥駅で下車、後は吉野山の桜でしょうかね、この駅下車は殆どいませんでしたね。



案内図の真ん中少し上が高取駅・左上隅が高取城跡です、当然山の中のお城です。



説明版にあるとおり日本三大山城でいずれも百名城に含まれる名城です・・・備中松山城は現存天守で今に建物が残る数少ないものです。



これは縄張り図からCG復元した高取城のようです、此れから上りますが583m(比高350m)の山の上ですからね、曲輪の繋がる連郭式の山城では国内最大規模でしょうね。



バスで壺阪寺まで行くつもりでしたが、城下町のある土佐街道を歩く事にしました約2時間弱です、城下の風情ある街並みを上ります立派な武家屋敷も見られます・・・・平和になれば段々山から町へ降りてきますよね、しかし山中にこれだけの・・・。



街並みが終わり砂防公園まで来ました、此れからは山登りです。



宋泉寺との分岐です。



高取城跡の大手道の説明版と距離が掲げられています・・・所々標識もあり有難いです。



川が道とクロス・・・此処は黒門跡で城戸があったのです多分冠木門でしょうね、城下にも総門跡とか厳しく封鎖しています。



此処はもう城内なのでしょう。



七曲りと言われる難所です、此れだけでも下から攻める敵を上から狙い撃ちですからネ。



七曲りが過ぎると旧坂な直線コースが一升坂と名前が付くほど、何せ山頂の城内に食べ物等を毎日運び上げたのですからね、食べ物だけでなくこの先見る多量の石も運び上げたのですから・・・。



登りつめるとT字路に少し立ち寄りますね、右側に回り込みます。



回り込むと此処も幾つかの段丘になっていましたね、城郭の一部でしょうね、一番奥に石仏が(不動明王)、この辺はあれています。



T字路に戻り左側の本道を進みます。



漸く出てきました、途中の目安の猿石です、明日香村方面への分岐ですが大手道脇上なので気が付かない人もいました(実は後で聞かれました)、多分明日香村に災いが入らないように結界を張ったのでしょう、この少し先が二の門です。



高取城の縄張り図です・・・今左下が猿石の場所です、これからが本当のお城の中に入るのです、今回は左側のブロックまでです。



猿石を少し進むと二の門跡へ、石垣が大分崩れていますが、ハッキリしていますね。



二の門前の水堀です。


二の門内の正面は石垣があり、左側に回り込むみますが大分石垣が崩壊しています。



大きく回り込むと突き当りが見え(矢場門)手前に国見櫓の入り口が出てきました、国見櫓へ行きます。



矢場門石垣前から進むと左側の広場(荒れているが国見曲輪?)、右側の下段側にも広場が広がっていました(荒れているが)、突き当り奥の石垣上が国見櫓・・・・景色が良く見えます。



国見櫓の石垣上から見た眺望・・・大和遠く大阪方面まで見えるとか。



矢場門へ入ります、しかし素晴らしい石垣と枡形の防御形ですね。



少し進むとまた門が・・・松の門です、此処は石垣が崩れ補修してありますが無造作ですね、ここの冠木門が城下に移築されていましたね。



松の門を過ぎるとすぐまた門が、宇陀門の枡形構造の門。



少し離れて千早門が此れも枡形形式で・・・・これで先程の縄張り図の左側を終わり右側のブロックへと入りました。



千早門を抜けて見えて来た大手門です、この右横辺りが三の丸みたいですが荒れていました、しかし、この門の数・・・イエイエこの先病的なぐらいな防御をこのお城は見せるのです、なぜ?。

八王子根小屋城跡に行って来ました(戸吹城跡)。

2019-04-22 18:42:57 | 城郭東京1
2019年4月21日(日)に八王子の戸吹城跡・・現在は根小屋城跡に行って来ました、滝山三城(滝山城・高月城・根古屋城)で以前より気に泣ていたのですが、交通の便が悪く行けませんでした、本日高校の時のクラブの飲み会がありお願いし現地に行って来ました。



滝山街道(古甲州道(武蔵府中の国府から甲斐の国府を結んでいます))沿いを少し離れた加住丘陵にあり秋川の渡河地点の近くにある軍事的な要衝なのです、お城というよりは見晴らし砦でしょうかネ、細い道路を入り案内板が有るのでたどり着きましたね。



どのくらいな規模?、上の方に秋川が有ります、下ののうから入りますが南北に分かれた曲輪が細尾根で連結したものですね、砂交じりの土なので雨風で風化し崩れています。



少し拡大下南曲輪です右横が秋川側です、私たちは左側中央辺りからこの尾根筋へ出ました、一度上の方に、続いて右側の北曲輪方面へ(いけませんでしたが)最後に下側にと見て歩きました、防御は北側もしくは東側をほぼ重点的に考えられていますね・・・高月城・滝山城の支城ですから。



案内板の先の竹林がほぼ南曲輪です、私有地の竹林には入れませんが階段状に削地されていますね。



少し上の方から見ればよくわかりますね。



急な坂ですが短いのですぐに尾根筋まで登れます、社があります・・・南曲輪の中心でしょう・・・東西に尾根があり、この社の後側に北曲輪の道が有ります。



右側が南曲輪で北側に空堀が有ります左側が秋川側で奥の高い所を左に行けば北曲輪ですね。



少し離れて同じ場所を見て見ます、右側の広場の尾根が南曲輪で左側は防御の空堀です。



南曲輪の西側です、こんもりと土塁?でしょうかネ、横側を尾根が少し下り・・・その後は細い尾根ですね、多分あまり警戒していないのでは。


此れがその先の尾根筋ですね・・・、防除的仕組みを見て取れませんした、元に戻ります。


空堀をまたぎいよいよ北曲輪方面へ



此処から左側へと向かいます、右側は社のうえですね、北側くればこの正面から迎え撃つのでしょう。



馬出・・・小さな広場がありその先は細い支線の尾根です、両サイドが切れていますね・・・一応注意のロープが。


上がったり下ったり細い道が続きますねこちら側は結構切れ立つ崖の連続なのですね。



なおも先へ進みます・・・結構危なそうです、崩れたのと削ったのもわかりませんからね・・・。



崖で右側が見えました、南曲輪です、今日送迎した人が向こうで見ていますね。



結局北曲輪まで行かずもどります・・・残念ですが!!。



いずれにしろ、此処までは無理そうですからね。



無事元の場所にもどりました、此れから右側(東)へ。



社の土塁の上から北曲輪方面を見る。



尾根筋です。



尾根筋を少し進むと堀切で分断・・・堀切に細いくの字がたの土橋(よく読み取れませんでしたが)横矢がかりの側面攻撃の防御です。



堀切から竪堀で落としてありますね。



此方から見るとくの字型土橋に見えますね。



無事に降りてきましたが、そんなにすごくみえませんが秋川側は天然の要塞なのですね。

これからクラブOB会の飲み会です、幹事さんのご厚意に合わせて感謝です・・・飲みすぎないように注意しますね。

春日大社に行って来ました。

2019-04-22 09:13:49 | 巨木巡礼近畿


2019年4月17日(水)に奈良春日大社に行って来ました、今日は帰りなので巨木を見ながらゆっくりと散策しました。



ホテルから真っ直ぐ三条通りを進みます、猿沢の池興福寺を過ぎて一の鳥居にでます。



一の鳥居から結構距離が有りますね、朝が早いので人は殆どいません鹿も人が居ないと出てきませんね、帰りは沢山の人が居ましたが。



参道左側にありました、気が付かない人もおおいかも?、ムクロジの木ですが中が空洞なのです、竹が木の中をとおり顔を出しています。



これは飛火野で行われた陸軍大演習の折に明治天皇が植えられた楠・・・・実は三本で一本の巨木ではありませんね。



第二の鳥居です。



春日大社の参道らしく・・・・・。



左側が春日大社ですが私は右側の若宮神社へ。



若宮神社です。



若宮神社の大クスノキです、下の道から見た所、写真が撮りずらく幹回り11・4mとあります。



若宮神社参道から見た大楠です、石灯籠があり幹がみずらいですね。



折角ですからもう一枚。



少し戻り春日大社南門です。



南門を入り幣殿です回廊があり中門御殿となります。



幣殿から見た春日大社の大杉幹回り8・7mとか。



これは駐車場脇のケヤキです。



この地域はイシイガシの巨木が多いみたいですね。



参道脇から見た巨木らしいき木を・・・・小さな巨木?は多数ありますが飛びぬけたのは今回の散策で見当たりませんでしたね。


南都東大寺興福寺に行って来ました。

2019-04-22 07:26:22 | 旅行記

2019年4月16日(火)に高取城跡(まだ未整理)・橿原神宮・南都東大寺・興福寺に行って来ました、昨日は高校時代のクラブの飲み会があり作業が出来ず、午前中に根小屋城跡(八王子戸吹)を散策。午後から先輩・後輩と大いに飲み語ってようやく帰りました。



奈良公園の鹿たちです、沢山いました。



東大寺の南大門(国宝)です。



有名な金剛力士像(仁王様)です。



鎌倉期の有名な彫刻士慶派によるものですね。



世界最大級の木造建築の大仏殿(金堂)です、中門を入り回廊から・・・・東大寺の大仏にお会いするのは初めてです、此れではわかりませんが八角燈籠は奈良時代のもので国宝なのです・・・・此処は国宝の世界遺産で一杯です。



此れが大仏殿の大きさです。



創建当時は金箔だったそうですが、東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)です、一般に奈良の大仏(ならのだいぶつ)として知られる。 聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼 、現在の大仏は頭は江戸体は鎌倉台座は奈良期だそうです。



大仏の脇に2体の脇侍・・・虚空蔵菩薩です。



如意輪観音です、裏側四天王像の内やはり2体おります。



広目天です。



多門天です・・・・いずれも大きく大迫力ですね。



此処は復興した興福寺東金堂です。

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興福寺の五重塔・・・興福寺は翌日の17日に回りました。

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南円堂です・・・同じような北円堂もありますね。

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南円堂の裏手にある三重塔です、此れは国宝ですね。

橿原神宮に行って来ました。

2019-04-20 10:45:01 | 旅行記

2019年4月16日(火)に高取城跡・帰りに橿原神宮にに行って来ました、高取城跡は内容が濃く整理に時間がかかるので本内容を先に。



橿原神宮の祭神は神武天皇です、皇室にゆかりのある神社で神宮ですね、初めての訪問です、駅前の表参道から。



鳥居を過ぎて真っ直ぐの参道を進み突き当りまで進みますね。



突き当たり、左側には深田池、右側の南神門が正面です。



南神門をくぐると大広場があります、正面奥に北神門、左側に外拝殿です。



外拝殿です。



外拝殿。



外拝殿から見た本殿です、お参りしました。

淀城跡・伏見城跡に行って来ました。

2019-04-20 10:01:47 | 城郭京都

2019年4月15日(月)大阪の岸和田・住吉、兵庫の尼崎と回りました、いよいよ京都の淀城・伏見城に行って来ました、淀と伏見は比較的近いですね伏見城は廃城解体となり淀城が幕末まで残ったのですね、豊臣・徳川ー幕末の戊辰戦争の始まりもこの近辺でしたね。



淀駅から近い場所に有ります、宇治川・桂川の合流付近の川中島だそうです、ここは豊臣秀吉時代の淀君がいた淀城とは少し離れて違うとの事です。



淀神社脇から城内へ、あの春日局の子孫で五代目正知の時に佐倉から10・2万石で入府したときの稲葉家の神社が正面にあります。



この淀城は伏見城廃城に伴い京都の水陸の要所なので松平定綱が築城した山城の国唯一の居城なのです。



右側のやや高い石垣が天守の石垣です。



天守脇から見た石垣と水堀です、向こう側は線路で多分城の一部は分断されたのでしょう。


淀城天守台石垣です、穴倉式天守台です・・・正面の石垣の間をもぐり中に入るのです。



天守石垣の上から見た本丸の石垣と堀。



天守の石垣、穴倉式。



本丸脇の土塁ですこちらと正面側は石垣水堀の遺構が残っています。



天守と対角にある隅櫓の石垣。



隅櫓下から見た石垣と水堀です。



本丸にある淀城址の碑です。



この後古淀城跡に行ったのですが、遺構らしきものが解らず、戊辰戦争の碑がありました、鳥羽伏見の戦いで敗北した旧幕府軍が拠り所としたのですが拒絶されましたね、伏見に向かいます。



伏見桃山駅から伏見城跡まで歩きます。



伏見桃山駅隣に近鉄線桃山御陵前駅がありその通りをすすむとJR桃山駅がある交通の要所ですね、この門は伏見城大手門を移築したものとか(御香宮神社)、廃城のおり伏見城はあちらこちらで再利用しましたね。



伏見城大手門です、凄いですね・・・・伏見城は関ケ原前哨戦のおりに徳川家康が会津上杉軍征伐で大阪を離れた時西軍がまず抑えたのがここ伏見城です、鳥居元忠が当時城代で1800で立てこもり、4万の大軍と攻防を繰り広げたのです、今の場所ではないそうです。



しかし見事なお城ですね、徳川家康が再建・・・・城造りの名人藤堂高虎が普請奉行、将軍宣下は伏見城で受けたのです、後に廃城し天守は二条城に移築・・・・伏見櫓(江戸城にもありますが?)。



現在中に入れませんが・・・・十分ですね。



横の方から仰ぎ見ました。



桜の花も・・・。



五層六階の大天守見事なものですね、山城の遺構も好きですが、建物があれば・・・・、今日は此れで奈良へ戻ります、疲れましたが明日は高取城跡ですからね。

尼崎城跡に行って来ました。

2019-04-19 21:28:13 | 城郭兵庫

2019年4月15日(月)に尼崎城跡に行って来ました、住吉大社から難波駅乗り換えで阪神尼崎駅へ乗り換え場所が離れていたので大変でしたが無事着きました、電車から良く見えましたネ、本尼崎城は3月末?開城の新しいお城です。



以前の三の丸の公園に築城。



立派なお城ですね、今日は天気が良くて・・・・一段と良いですね。



阪神尼崎駅の側です。



尼崎城は戸田氏鉄5万石が築城、当時は三重の堀に囲まれていたそうですね。






お城も遺構があれば良いですが、建物があれば全然違いますからね、此れから梅田に出て淀城に行きますよ。

住吉大社に行って来ました。

2019-04-19 16:33:48 | 巨木巡礼近畿


2019年4月15日(月)に住吉大社に行って来ました、岸和田城跡からです。



住吉大社です・・・・所で大社て?・・・・全国の住吉神社の総本社の事です、明日は橿原神宮に行くのですが神宮とは神社に祀られている神様を祭神と言いますが、皇室の祖先や皇族など皇室とゆかりの深い神社名との事ですよ。



住吉大社で有名な太鼓橋です、階段になっているので上り下りは危なくないですね。



太鼓橋を渡り右側にある巨木?・・・・幹が白骨化しているが幹の皮一枚で頑張っている感じですね。



住吉大社へは初めて行きました。



一番奥の社でお祈り中でした、私は奥の巨木を見てきますね。



左側の奥に入り目についた大楠を祀ってありました、大分痛んでいました、此処はどこも旗が多く巨木が写せないのです。



これは夫婦楠で樹齢800年幹回り7・9mとありました。



この奥の楠が樹齢1000年幹回り9・8mの楠です。



旗の隙間から見た所です、クスノキはまだまだ大きくなりますからね。



この木もなかなかの巨木ですね、やはり古い神社に巨木が有りますね、17日は奈良の春日大社に行き巨木を探しますね。