三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

2017年の城郭訪問です。

2017-12-30 11:57:57 | 訪問城郭年間総集

2017年度に訪問した天守もしくは櫓がある城郭を年賀用に一覧にしました。

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三重県伊賀上野城の天守です、梯郭式平山城現在は木造模擬天守で層塔型3重3階ですが昔は5重と大きく石垣を当時の半分しか使用していないみたいです、此処は高石垣でも有名です。

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福井県越前大野城の天守です、現在は連結式望楼型2重3階、織田信長の家臣金森長近が一向一揆鎮圧の恩賞にこの地をもらい建てたそうです。

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福井県丸岡城の現存天守です、独立式望楼型2重3階、柴田勝家の甥柴田勝豊築城。

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岐阜県岐阜城の天守です、長良川脇の金華山(稲葉山)山頂、織田信長が斉藤龍興から奪い天下布武の号令戦国統一に向かいました、独立式望楼型3重4階。

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愛知県犬山城の現存天守国宝です、木曽川の脇望楼型3重4階。

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青森県弘前城の現存天守です、独立層塔型3層3階、現在石垣修理の為曳家で本丸広場に移動中でした。

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東京都江戸城伏見櫓・多門櫓です、皇居二重橋の奥に見える櫓です、西の丸の櫓はこれ一つとか。

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新潟県高田城です、松平忠輝で有名ですね独立式望楼型3重3階、大阪城が欲しくなるのも?。

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福岡県小倉城望楼型4重5階。

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長野県上田城西櫓です、真田氏の居城。

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岐阜県大垣城です関ケ原の戦いでの拠点でした、層塔型3重4階。

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大阪府大阪城です望楼型5重8階、豊臣秀吉で有名ですが、徳川秀忠が再建したのです。

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大分県府内城人質櫓幕末再建の櫓です、右側石垣が本丸です。

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奈良県大和郡山城追手門・追手門向櫓、本丸はこの奥の石垣に囲まれた跡があります、豊臣秀長です。

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大分県中津城です、黒田官兵衛(考高)築城の城です、独立式望楼型5重5階です。

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福島県二本松城箕輪門・付櫓、幕末の戦乱で落城した悲劇の城です(少年隊の悲話も)。

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宮城県白石城です、片倉小十郎の城です、三階櫓層塔型です、幕末の奥州連合の舞台とか。

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京都府福知山城です、明智光秀の居城で連結式望楼型3重3階です。

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愛知県名古屋城です、連結式層塔型5重5階の大天守・左側が小天守です、右側が御主殿です、徳川家康が天下普請でつくり尾張徳川家が治めました、今度木造での再建とか楽しみですね。

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和歌山県和歌山城です連立式層塔型3重3階豊臣秀長が築城、のち紀州徳川家が治めましたね。

他にも沢山のお城を訪問しましたが、お正月用に櫓・天守があるお城を載せました、来年も元気にお城探索が出来ればと良いと思っています。










八王子の浄福寺城跡に行って来ました。

2017-12-07 11:56:30 | 城郭東京

2017年12月6日(水)に八王子の恩方に在る浄福寺城跡(別名・・松嶽(竹)城・案下城・千手城・新城)に行って来ました、12月2日(土)に同じ八王子の高月城跡に行きましたが立ち入り禁止区域が多く消化不良の為、再度山城を見に行きました。

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浄福寺城は八王子城の裏手の方(高尾駅方面から見て)にあり大石氏の城でしたが手狭になり、滝山城・・その後八王子城を作ったので出城として使用されていました、別名が多いのは山・道・地名などの呼び名の為ですか?、今回は一番右側の恩方第一小学校脇(松竹橋すぐ)から山道に入りー山の神ー飯縄山ー東尾根中の丸ー三の丸ー二の丸ー北の丸ー本丸ー南尾根ー浄福寺へ(大手門・・・中尾根丸方面へは行きませんでした)。

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まず、大手門跡方面へ行きニユータウン方面(恩方第一小裏方面)を歩きましたが現地の方に尋ねても(4人)わからず、採石場があり登り口が無い?もしくは危険で迷惑なのかも?、引き返して松竹橋脇の理髪店裏の駐車場脇の細い道から山中に入りました。

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入口少しはヤブですが、山道がその後ついていました、しばらく進むと人工的な切岸?が出現。

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山の神の曲輪です、後が飯綱山259mです、漸く城の中に入れました。

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飯綱山を下り振り返ります、左が大手門跡方面への下り道ですね・・・・今回はそちら方面へ行きません、東尾根中の丸へ進みます・・・しばらく山道が続きます。

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出てきましたね、正面に立ち塞がる切岸、左右から挟み込むような土塁です。

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土塁上から下を見るとご覧のようですね、上から横から打ち取る防御です、山の尾根筋を利用した同じ形の防御が此れからアチラコチラの尾根筋で見られます。

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土塁の下横を来る敵、上からの横矢がかりの餌食が想像できますね、山城の醍醐味ですね、ちなみに本日この城で一人も合わず独占でしたね、しかし興味ない人は歩いても仕組みも気が付きませんね単なる山歩きですね。

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なおも先に行くと再び急な登り口・・・・横からの攻撃うかうかとは登れませんね。

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これは尾根筋を建ち割った堀切ですね、木々が多い堀が埋まっていますが、まだまだこれから大きなものが出ます。

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三の丸を過ぎて二の丸へ、北の丸の細い尾根筋です、堀切で分断もあります。

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此処が北の丸で小さな山頂を削り落とした曲輪みたいですね三方向は厳しい斜面です、これで二の丸へ戻ります。

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北の丸の堀切から二の丸方面を覗いた所です、細長い尾根ですね先程通過したところです。

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細長い二の丸の端に険しい深い堀切があります、二の丸と本丸入り口を分けています、荒れていて登りに気を付ける必要があります。

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本丸側から見た堀切と二の丸側です、本丸へはこの後しばらく急坂を上りますね。

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登りつめると本丸です、奥が一段と土盛した土壇になっていますね。

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此処が本丸です。

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本丸跡に石社が・・・他に説明版もありませんね。

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本丸の虎口ですね、観音堂への降り口です・・・・もう少し、左側方面に中の尾根丸への下り場所があったのでしょうが気が付かず下りました・・・・・?。

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この南尾根筋も防御台が連続していて、細い急坂で上りくる敵兵を上から攻める仕組みで固められています、細い尾根を削り回り込む山道が繰り返し出てきます。

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上から見ると下ががら空き状態ですからね。

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下からは急坂を上るわけですもしくは回り込む、上が楽に攻撃できるわけです、この城も八王子城と共に落城したわけですが、守りの人数が多分少なく(八王子城も少なかったですから)、しかも鉄砲に武装された敵方の前には守り切れずに玉砕したのでしょう・・・・歩いていて水の手がわかりませんでしたが、多分沢筋から運び上げたのでしょうかネ?籠城は大変ですね。

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漸く、観音堂へ降りてきました、此処も小さな曲輪後なのでしょうね?。

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観音堂周りも切岸状態の防御になっていますからね。

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浄福寺の白山大権現堂脇に下り、お墓から境内へ紅葉も終わりですね。

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浄福寺ですこの前に説明版がありました、登り口は左側墓の奥です、バスが陣馬街道(案下道)は一時間に一本と少ないので、帰りには川原宿まで歩きました、天気も穏やかで、山城も最高でしたね、規模は小さいですが小谷城の尾根筋を思い出しましたね。