2020年12月23日(水)に静岡県伊豆半島の河津城に行って来ました、鎌倉公方足利持氏の七男蔭山勘解由築城とか、中世の山城です、麓に屋敷があり裏山の山頂を詰めの城としています。

河津駅の脇の城山です、駅から見えるトンネルの左上の山、右側の海側は片瀬山(多分見晴らし台)駅裏マンションの前に案内板があります。

案内板の路奥から山道へ。

この辺まではどなたさんかの屋敷跡なのでしょうね、削平されています・・・、石積もありますが。

山道に玉石が敷かれていますが・・・・・銅なのでしょうかネ?。

この辺りは麓の屋敷跡と言えばいえるかも?、見方によれば削平されていますが年代が?、何せ延徳3年(1491年)以前ですからネ。

雰囲気は非常に良いのです?。

お地蔵様は新しいのですがね、左側・右側とも人為的に削平はされていましたネ。

見てください、山道に玉石と横に石積が見られます・・・・・???。

漸く鞍部に出ました、左側城山(大日山180m)直進は片瀬山方面です、此処から左には玉石はありませんね。

少し山道を進むと木々が切れって、いよいよ河津城の虎口でしょうかネ?、でも又しばらくは竹藪等が続きます、四阿から景色が良く見えますね。

今の四阿を抜けて先に・・・しばらく竹藪が続き急坂を上れば・・・、この竹藪あたりも曲輪なのでしょうか?。

出てきました河津城本丸の虎口です、冠木門・柵が嬉しいですね雰囲気が出ますね、大きな木はオオシマサクラです。

振り返ります急坂が解りますね、山頂の独立した郭が解りますね。

虎口から城内へ・・・上段が一の郭でしょうね、此処は二の郭ですね、やはり結構狭い郭で詰めの城なのですね、説明版あり。

二の郭から見た一の郭です石積が見られます、この城は伊勢新九郎(後の北条早雲)が伊豆攻略で蔭山軍を火攻めで攻めたとの伝が伝えられているみたいですね、その後は北条に降伏。

一の郭脇から見た二の郭です、火攻めの折に水が無く米が・・説明?、焼けた米の云々は眉唾では?、水が無いので水の音を利かした話がありますが・・・・。

一の郭の上から見た二の郭、左側の冠木門から城内へ、この一の郭・二の郭の周りは切り立っていますね。

二の郭から見た河津の町方面です、河津桜はこの下の川沿いで見られますね。

同じく河津の海側を。

二の郭から見た一の郭。

虎口の冠木門です、この郭の下あたりの郭(竹藪)は見ることが出来ませんでしたが、中世城郭の山城の遺跡が充分残っていましたね、うれしかったですよ、今日はまた下田へ帰り明日は下田城(二度目ですが)です・・・下田城模擬天守も見ました。