三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

静岡県下田城に行って来ました。

2020-12-28 09:35:53 | 城郭静岡

2020年12月24日(木)下田公園(下田城)に行って来ました。

Dsc06180

下田の町に天守が在る?、寝姿山の中腹に・・・今はそれこそ廃城ですが、下田模擬城がロープウェイの下に見えますか?。

ではアップします、立派なお城ですが屋根瓦が・・・城好きのお金持ちが拵えたのでしょうが現在は使われていないみたいですね近ずきませんでしたがネ。

下田公園・・・下田城です、豊臣秀吉の小田原征伐に対抗するため天正16年(1588)北条氏直の命で清水康英が城将として築城したのです。

下田の半島のような天然の要塞鵜島に築いたのです、陸の防衛拠点箱根の山中城・海の防衛拠点下田城です。

坂道を上れば大きな広場が・・・此処が実質の本曲輪でしょうか?、この上に伝天守台がありますが・・・遺構は天守台周辺ですが、この地に約600名の兵士が籠城、天正18年(1590年)3月清水湊に集結した豊臣水軍長曾我部元親・脇坂安治・九鬼嘉隆・加藤嘉明ら約1万名が取り囲んだそうです、50日の籠城後開城。

広場後が天守ですね、回り込みます。

下田の港ですペルーが来た所です、左が下田富士・右が寝姿山。

馬場先物見台からです、海上保安庁の下田基地です、島は犬走島です。

さらに進むと高台が伝天守台です、鵜島城の碑があります。

伝天守台です、細長いが狭いですね。

天守台裏側です、堀切です、右側下は空堀です、向こう側が外海なのでの防御を敷いたのです。

脇から見た本丸の堀切、向こう側に空堀。

堀切の向こうに空堀の遺構が約700m尾根の前に。

空堀が続きます・・・・現在は崩れて埋まっていますが当時は深いのです。

振り返りました、堀切、左が天守、手前が空堀・・・・今は空堀に道があるが当時は無いと思いますね。

途中の物見台から・・・・犬走島が眼下でした、当時は沢山の舟が取り囲んだのでしょうか?。

振り返ると此処にも堀切が向こう側は空堀でした・・・・こちら側が城内ですね。

お茶が崎の物見台です、外海がわです。

お茶が崎の物見台から眺めた景色です、下田海中公園です、右側の上あたりが宿泊したホテルです大浦湾ですねこの辺りは船の隠した所でしょうか・・・・船戦は瀬戸内海の海賊がやはり強かったでしょうからネ。

雁島辺りから見た下田城です・・・・・下田城は2度目です如何ですか。

静岡県河津城に行って来ました。

2020-12-28 06:43:25 | 城郭静岡
2020年12月23日(水)に静岡県伊豆半島の河津城に行って来ました、鎌倉公方足利持氏の七男蔭山勘解由築城とか、中世の山城です、麓に屋敷があり裏山の山頂を詰めの城としています。

河津駅の脇の城山です、駅から見えるトンネルの左上の山、右側の海側は片瀬山(多分見晴らし台)駅裏マンションの前に案内板があります。

案内板の路奥から山道へ。

この辺まではどなたさんかの屋敷跡なのでしょうね、削平されています・・・、石積もありますが。

山道に玉石が敷かれていますが・・・・・銅なのでしょうかネ?。

この辺りは麓の屋敷跡と言えばいえるかも?、見方によれば削平されていますが年代が?、何せ延徳3年(1491年)以前ですからネ。

雰囲気は非常に良いのです?。

お地蔵様は新しいのですがね、左側・右側とも人為的に削平はされていましたネ。

見てください、山道に玉石と横に石積が見られます・・・・・???。

漸く鞍部に出ました、左側城山(大日山180m)直進は片瀬山方面です、此処から左には玉石はありませんね。

少し山道を進むと木々が切れって、いよいよ河津城の虎口でしょうかネ?、でも又しばらくは竹藪等が続きます、四阿から景色が良く見えますね。

今の四阿を抜けて先に・・・しばらく竹藪が続き急坂を上れば・・・、この竹藪あたりも曲輪なのでしょうか?。

出てきました河津城本丸の虎口です、冠木門・柵が嬉しいですね雰囲気が出ますね、大きな木はオオシマサクラです。

振り返ります急坂が解りますね、山頂の独立した郭が解りますね。

虎口から城内へ・・・上段が一の郭でしょうね、此処は二の郭ですね、やはり結構狭い郭で詰めの城なのですね、説明版あり。

二の郭から見た一の郭です石積が見られます、この城は伊勢新九郎(後の北条早雲)が伊豆攻略で蔭山軍を火攻めで攻めたとの伝が伝えられているみたいですね、その後は北条に降伏。

一の郭脇から見た二の郭です、火攻めの折に水が無く米が・・説明?、焼けた米の云々は眉唾では?、水が無いので水の音を利かした話がありますが・・・・。

一の郭の上から見た二の郭、左側の冠木門から城内へ、この一の郭・二の郭の周りは切り立っていますね。

二の郭から見た河津の町方面です、河津桜はこの下の川沿いで見られますね。

同じく河津の海側を。

二の郭から見た一の郭。

虎口の冠木門です、この郭の下あたりの郭(竹藪)は見ることが出来ませんでしたが、中世城郭の山城の遺跡が充分残っていましたね、うれしかったですよ、今日はまた下田へ帰り明日は下田城(二度目ですが)です・・・下田城模擬天守も見ました。







韮山城跡・三嶋大社に行って来ました。

2016-03-11 11:18:57 | 城郭静岡

2016年3月8日(火)に三島から山中城跡に行き、戻り次に伊豆急で韮山に行きました、駅から15分位で県立韮山高校裏の韮山城跡に行って来ました、韮山城は北条早雲が堀越公方を滅ぼした後に築城し住んだ城です、天正18年(1580年)3月29日から6月24日まで豊臣秀吉の大軍(4万)と籠城戦で戦った城です。


Dsc00753駅裏側に回り込み田んぼ道から城跡が見えます、左側が本城で右側の高いのが天ケ岳砦です。Dsc00756県立韮崎高校のグランド脇から山に入ります、少しの上りで権現曲輪にでます。Dsc00766左側は三の丸方面ですが、そこを下ると学校に出れます=>昔の御座敷(お殿様の住居です)、右側が二の丸への虎口です。Dsc00770山沿いを回り込むように上がると二の丸の虎口です、上り路は二の丸脇からの横矢掛かりなのでしょう。Dsc00775二の丸の先に本丸への登り口があります、小高い山の尾根を利用した細長い縄張りです。Dsc00778前の写真とほぼ同じで二の丸から本丸へ回り込む道です、景色が良く、北側に富士山が見えますね。Dsc00779振り返り二の丸の全景です、一番奥左側が虎口のある場所です右側は急斜面でその下側は城池です。Dsc00783回り込んで本丸の虎口です、回り込ます(横矢掛かり)の防御システムが見えますネ。Dsc00784本丸広場です、奥に細長く続いています、伝塩蔵跡の土塁があります。Dsc00785本丸から今来た帯曲輪を上から見た所です、やはり打ちやすいですね、グランドはお座敷跡の学校です、富士山はこの方角です、今は雲がかかりスッキリしていませんでした。Dsc00793此れが奥の伝塩蔵の跡です。Dsc00800細い尾根筋の奥が本丸です・・・・そう広くないですね、良くこの規模で3ケ月の籠城に耐えたのでしょうか?、この城の前も湿地帯で後は大きな池と天ケ岳の砦で大軍が一度に攻撃しずらかったのでしょうかネ?。Dsc00807権現曲輪を回り込むように下ります、左側が三の丸川ですね堀切ですね。Dsc00808城池です、昔は此処も湿地でしょうね、左側の山は秀吉軍が陣地を張ったところで、右奥が天ケ岳砦側ですね。Dsc00820


再び、三島に戻り折角なので三嶋大社にお参りしました、ここには巨木がありますから、樹齢650年のケヤキの巨木です、何本か他にもあります。


Dsc00831此れはクスノキの巨木です、向こう側がありませんが結構なものです。Dsc00851樹齢1200年の巨木です、キンモクセイです、根元から二つに分かれ痛々しいですが枝は大きく広げていますね。Dsc00854三嶋大社の本殿です、本殿は流れ造りで千木・鰹木をつけています、拝殿は権現造りです(入母屋造で千鳥破風・軒唐破風)、今日は段々熱くなり汗をかきながらの各所を見て歩きました、帰りの電車が疲れて長く感じましたね。


山中城跡に行って来ました。

2016-03-09 16:25:27 | 城郭静岡

2016年3月8日(火)に天気が良いとの事で青春18キップでのお城巡りに行って来ました、朝一でスタートしましたが朝濃霧の影響で電車が遅れましたが段々良い天気になりました。三島まで行元箱根行のバスで山中城跡までです。

Dsc00580山中城跡は日本100名城で後北条の城で三代氏康が築いたのです、秀吉に対抗するため防御態勢を固めたのですが、1590年(天正18年)3月29日秀吉軍4万の大軍の前に北条氏則・松田康長4千は半日で落城、小田原北条の滅亡の先駆けとなったのです。縄張り図です、旧東海道を真ん中に挟み(三の丸)左側が出丸、右側が本城となります、右上が西の丸・二の丸・本丸・北の丸となります。

Dsc00588田尻の池です・その先に箱井戸があります井戸は飲料水で池は馬・洗濯等に利用したものです。Dsc00600西の丸の空堀畝堀です、山中城は石垣が無く、すべて堀と土塁での防御システムです、畝堀・障子堀は後北条の城壁の特徴です、当時は急勾配で堀も深く関東ローム層で滑り一度落ちると登れないものだ数です。

Dsc00614帯曲輪の先端からの見た富士山です畝堀があり右側が西櫓の馬出です。

Dsc00619富士山をアップで、お城の北北西側ですね、この後雲に隠れました。

Dsc00623帯曲輪を回り込みました、右が西櫓で左側が西の丸中が障子堀の空堀で西櫓と西の丸は木橋で連携しました。

Dsc00633左側西櫓で畝堀が続きますね、右側気に下側が三の丸方面で、左側が二の丸・本丸方面です。

Dsc00637西櫓に上がりました、中は土塁で盛り上げてあります、富士山が見えますね、櫓台もあります、右側は西の丸方面なので土塁がありませんね。

Dsc00647西の丸虎口から見た西の丸物見台です、向こう側に西櫓があり木橋があったそうです。

Dsc00649物見台から見た西の丸全景と向こうに見えるのが元西の丸です、広場が斜面上になっていますね、水を集めるための考慮と在りました。

Dsc00652やはり物見台から見た西櫓と障子堀です。

Dsc00657西の丸の虎口で元西の丸への通路です、ここは堀切状態でですね。

Dsc00663元西の丸から西の丸虎口を見た所です。

Dsc00668元西の丸から二の丸(北条丸)へは木橋となります。

Dsc00677二の丸の橋横の土塁の上から見た元西の丸です、元西の丸は小さな広場です。

Dsc00682二の丸と本丸は土橋と木橋で繋がっています、木橋はいざの時壊せばよいのです。

Dsc00683二の丸の広場です、ここは結構広いですね。

Dsc00692本丸広場です、天守台から見ました、正面奥が二の丸、左側したが弾薬庫・兵量庫の広場です。

Dsc00696天守台から見た北の丸ですやはり空堀があり木橋で連結されています。

Dsc00714本丸下の駒形諏訪神社境内にある大カシの巨木です樹齢650年根回り9・6mと在りました。

Dsc00743最後に出丸側の最先端であるすり鉢曲輪です、ここにも畝堀が見られました、大軍によるもう攻撃の前にこれだけの防御もわずか半日で落城するとは考えもしなかったのでしょうね!



静岡県浜松・掛川に行って来ました(浜松城址・掛川城址)。

2015-04-01 12:26:12 | 城郭静岡

2015年3月31日(火)に静岡県浜松城址・掛川城址に行って来ました、青春18キップの最後です、片道5000円を超えるので十分なもとをとりました、でも疲れますね・・・・天気が今日まで良いので花見を兼ねていきました。

Dsc07966

まず、浜松に行き駅から歩きました、城内は花見の客で混雑していました、天守門と浜松城天守です、石垣は当時の野面積みの荒々しい様子が見てとれました、美しい景色です。

Dsc07972

石垣が美しいですね、天守門、此処は今川氏の城でその後徳川家康が17年間過ごしたと説明にあります、この天守は家康が秀吉により関東に移封後、堀尾吉晴が築いたと思われる天守の再現です、地震により江戸時代には天守は無いそうです。

Dsc07974

徳川家康公の像です随分痩せているのでイメージが違いますが、若い時ですからネ、何せ元亀元年(1570)に武田信玄に対抗すべく岡崎城を長男信康に譲り、本城を築き城主になったのですから、元亀天正と言えば戦国時代の激戦時代ですから。

Dsc07989

天守門を入り直ぐの所より見上げました、虎口は石垣に挟まれるように回り込みます、この石垣は石を余り加工しないで大きい所を中に入れるので見てくれほど弱くない製法らしいです、水はけは良いのです隅角部は算木らしい(2;1)ですね。

Dsc07993

此れは広場少し奥からです、こうして見ると建物は天守台一杯で無く当時より小さめですね。3層3階の天守曲輪、左側が搦め手の門方向です。

Dsc08010

搦め手の土塁上から見た城と門です。

Dsc08017

これは城の虎口から見た天守門と石段です。

Dsc08019

天守門の内側です。

Dsc08032

公園市役所側から見た天守門と天守です手前は石垣です。

Dsc08042

市役所横の大通りからお城を仰ぎ見ました、平日ですが皆さんお花見がてら沢山の人が来られていました。

Dsc08056

掛川駅まで戻り掛川城址へ逆川近辺から仰見た掛川城天守です、ここは駅から近いので助かります。

Dsc08058

本丸広場から掛川城天守をみる、元は今川側の城で徳川が納め、やはり家康が関東に移封された後に山内一豊(後の土佐藩高知城主)が拡張し天守を設けた、後に地震で江戸時代は天守は無かったそうですが、木造で再現された城です、此処も浜松城と同じ望楼型天守閣です。

Dsc08063

此れは四足門脇の太鼓櫓です。

Dsc08070

三の丸側からみた掛川城(右が天守・四足門・太鼓櫓)、右側が二の丸側です。

Dsc08071

四足門の内からみた掛川城天守3層4階で付櫓があります、手前は石垣(?)ですが・・・。

Dsc08093

天守の虎口から見た右側が本丸広場、左側が太鼓櫓、正面に逆川が流れている、昔は深い淵で岸壁だそうです。

Dsc08108

天守上から見た二の丸と正面が二の丸奥御殿で文久元年(1861)の幕末の建物だそうです、奥御殿は以外と現在に残っていないみたいです、二条城・高知城・川越城は有名です、そうそう熊本城は復元しましたネ。

Dsc08129

奥御殿の玄関先です。

Dsc08139

奥御殿庭先から見た掛川城天守です、やはり堅固な高台に築かれた城です。

駅の観光センターで高天神城跡のパンフレットをゲットしました、その内にぜひ行ってみたいと夢が膨らみます・・・・・でも鈍行では疲れます、春日城・七尾城も行きたいし・・・・・。


静岡に行ってきました(駿府城・静岡浅間神社・来宮神社)。

2014-07-24 11:30:19 | 城郭静岡

2014年7月23日(水)に静岡に行ってきました、駿府城・静岡浅間神社・来宮神社の大クスを見て回りました。

Dsc08000

駿府城の全体図です・・・・今は内堀(本丸を囲む堀)は有りません、中堀が綺麗にあります、外堀は所々があります、静岡駅は下の右側の方向です、駅から歩いて15分ぐらいで巽櫓に出てきます。

Dsc08600

此れは中堀の全体図です、内堀が無く判りずらいですが、真ん中に本丸内堀が存在していたのです、内堀の周りが二の丸でこの堀の外側が三の丸です。

Dsc08626

これは外堀です奥の建物が県庁で大手門近辺で三の丸です。

Dsc08634

此れは二の丸に架かる東御門と橋、手前が巽(たつみ)櫓(そん)(南東方面)です。

Dsc08637

東御門(東御門橋・高麗門・多聞櫓・おくが櫓門で構成された桝形門です。

Dsc08644

高麗門です、中突き当りが多聞櫓(左もそうですが)で右側に次の門(櫓門を潜り二の丸に入れる、この内側が桝形(四角)で二重の門で堅固なのです。

Dsc08656

二の丸水路内堀と中堀を繋ぐ水路・・・・・・・。

Dsc08662

城内紅葉山庭園です・・・・・・・・。

Dsc08694

本丸跡に建つ家康公像。

Dsc08701

坤(ひつじさる)櫓(こん)(南西方面)です、平成25年に復元建てられました。

Dsc08712

堀の外から見た坤櫓です。

Dsc08715

三の丸にある県庁の21階展望室からの城内・・・巽櫓と東御門、右奥が紅葉山庭園です。

Dsc08723

城より15分位歩くと静岡浅間神社です、幾つかの神社が重なるようにあります、これは八千才(はちほこ)神社です、社に彫り物があり美しいです。

Dsc08735

此れが静岡浅間神社です、珍しい建物です。

Dsc08736

特に大拝殿は重層楼閣造りで「浅間造り」と呼ばれているそうです。

これから熱海に戻り、伊豆急の来宮に行きました。

Dsc08768

来宮神社で大楠を見ました、樹齢2000年幹回り23.9mの大巨木です、片方は枯れていますが、片方は今も盛んに伸びています。

Dsc08782

裏側から見た木です。

Dsc08785

横の山側から見た元気の良い方です、どうです、凄い迫力です。

Dsc08787

よりアップした木の胴回りです。

Dsc08826

これは第二の大クスです、樹齢1300年とか300年前に落雷に会いましたが今も元気です如何です、凄いものですね。

本日は朝一番で青春18キップでの日帰り旅行でした、やや疲れましたが巨木に元気をもらいました。