三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

真田丸三城址に行って来ました(沼田城址・名胡桃城址・岩櫃城址)。

2016-05-19 11:56:43 | 城郭群馬
2016年5月18日(水)に群馬の真田丸三城址に行って来ました(沼田城址・名胡桃城址・岩櫃城址)、昨日の雨が嘘のように晴れ渡り絶好のお城巡りとなりました、幹事さん及び皆さんに感謝です。
Dsc03500
まず、河岸段丘の崖に三方を囲まれた沼田城址、此れは幕府に提出した沼田城の縄張り図です、当時は5重の天守で関東では江戸城と2つのみのお城だそうです、真田家の分領でしたが、5代目信澄で改易城は壊しました。
Dsc03509
沼田公園で本丸です、正面小高い所が天守の場所。
Dsc03520
乾櫓の石垣です、土に埋もれていたのを発掘したもので当時の面影を残す遺構です。
Dsc03529
段丘はずれの古城跡(捨曲輪)。
Dsc03534
捨曲輪から見た谷川岳連峰、左側の方面に名胡桃城が見えるのです(この写真のもう少し左?)4km位こか。
Dsc03549
名胡桃城址(なぐるみ)です、豊臣が出した惣無事令に北条の沼田城代(氏邦)猪俣何某が違反し落城したお城です、此れがもとで小田原征伐の口実が出来たのです、それでこの小さな城が有名なのです。
Dsc03559
三の丸から見た二の丸です、空堀で分けられています。
Dsc03560
三の丸と二の丸の空堀です、両サイドは沢で切り立つような崖です。
Dsc03563
二の丸です、奥が土塁でその奥が本丸ですがやはり空堀・橋で引きられていますね。
Dsc03568
土塁を入り本丸側を見た所です。
Dsc03576
本丸跡です、見事な碑ですね(徳富蘇峰)。
Dsc03577
本丸の先もやはり堀越で分かれたささ曲輪となります。
Dsc03581
利根川に突き出た段丘を利用した山城です、此方からも沼田城方面が右側の山にかかるかぐらいで見えるのです、対岸の山中腹には敵の明徳寺城がありますね。
Dsc03606
中之条親都神社の大ケヤキ樹齢700年幹回り6・7mと在りました、真ん中の幹が枯れて上に屋根が乗っています中は空洞化しているのでしょうね・・・・群馬県内で第二位と在りました・・・・第一位も近くの原町に在ったのですが気が付きませんでした・・・・残念無念です。
Dsc03620
霊山嵩山の男岩から鯉のぼりが・・・・・この山の山頂付近にも山城があるのです、今回はいけませんが。
Dsc03639
岩櫃山を背景にある岩櫃山の縄張り図です、武田勝頼が織田軍に攻められた時昌幸が進めた城が此処です、勝頼はその後譜代の小山田信茂が進める岩殿山城を選択し裏切られ天目山で最期を遂げるのです。
Dsc03642
見事な縦堀(私は横に見えましたが)あります。
Dsc03646
本丸への細く急な道が続きます。
Dsc03653
左側開け、右側に切岸の土塁に出ます・・・右側が二の丸・本丸への登り口です。
Dsc03656
土塁端は複雑な縦堀で構成されていました。
Dsc03663
二の丸を上がり本丸への入り口です、横矢がかりですね。
Dsc03665
本丸へ上がり下を見ると二の丸ですね、本丸を囲むように帯曲輪?もありますね。
Dsc03669
本丸の碑です。
Dsc03674
本丸脇の石社、下段が帯曲輪?かな。
Dsc03679
その帯曲輪の端に枡形虎口跡があります、他にも木戸・水曲輪・屋敷跡が多数見られました。
各城ともボランテアのガイドさんが居られ親切丁寧な説明をして頂きました、本当にありがとうございました、この後岩櫃城温泉に入り反省会をして帰宅、感謝感謝。